岡田健史の演技になぜ心揺さぶられるのか 『中学聖日記』が描く理屈を越えた衝動
現在放送中のドラマには恋愛ものが多いが、それぞれにテーマが違っている。『獣になれない私たち』(日本テレビ系)は、文字通り獣になれない、つまり自分の思うがままに動けない大人たちの関係性を描いたものであり、『大恋愛~僕を忘れる君と』(TBS系)は、病気と向き合いながらお互いがどう進むかの話であり、『黄昏流星群~人生折り返し、恋をした』(フジテレビ系)は、人生の黄昏に向かう男女の最後の恋愛の灯とそれが不倫であるという話であり、それぞれになんらかの「枷」が存在している。
では、『中学聖日記』(TBS系)はどうなのか。やはり恋をするふたりが中学生と先生であるという「枷」がある。その「枷」が大きいほど話題にはなるし、その「枷」が、倫理的に認められないものであれば、人々の反応や共感、反感も大きくなるものだ。
そんな中、ドラマスタート時は中学生で、現在は高校生になった黒岩晶(岡田健史)というキャラクターは、まっすぐすぎるくらいに先生を好きになる役で、演じる上でもかなり難しい役ではないかと思える。
中学生のときの晶は、その年代だからなのか、衝動で突っ走ってしまうことが多かった。勉強合宿の最中に母親(夏川結衣)が倒れてしまい、合宿を抜けて電車に乗って家に帰るという場面では、その電車のドアが閉まる瞬間、担任の先生で付き添っていた聖(有村架純)の手を引いて電車に引き込んでしまうし、聖との関係が周囲に知られることとなり、聖が学校を去る別れの場面では必死に自転車をこぎ、転倒して顔に傷を作りながらも、走って追い続ける。
そんな姿に、大人の視聴者である私たちは、晶の若さ故の行動に怖さを感じるのも事実であるが、同時にそんなシーンを演じる岡田健史の表情や動きに、理解を超えてぐっとこみあげるものがあったりもする。自転車で転倒し、起き上がったときの今にも泣きそうな表情が強く印象に残っている。それは、このドラマが始まるときには、予想できなかったことのような気がする。