『あんぱん』は朝ドラとして王道か、それとも新しいか? 阿部サダヲが“アニメ感”の象徴に

『あんぱん』阿部サダヲが“アニメ感”の象徴

 朝ドラことNHK連続テレビ小説『あんぱん』は王道なのか、新しい朝ドラなのか。早くも意見が割れるところである。結論から言うと、王道であり、新しくもある。第1週「人間なんてさみしいね」(演出:柳川強)を観て、古きものと新しいものを融合しようと試行錯誤しているのを感じた。そしてその取り組みはきっといい方向に向かっているとも。

 『アンパンマン』の作者・やなせたかしとその妻・暢をモデルにして、名作『アンパンマン』がどのようにして誕生したか、そこに妻の多大な協力があったことを描く朝ドラ『あんぱん』。そのはじまりは極めて王道であった。

 冒頭は、アンパンマンのキャラクターがアニメになって、やなせたかしをモデルにした嵩(北村匠海)の仕事場に飛んでくる。50代になっている嵩とのぶ(今田美桜)が登場し、仲睦まじい姿を見せる。漫画家として活躍している嵩に明るく寄り添うのぶ。しまった窓のカーテンを開けたのぶの背後から明るい陽光が差しこんで、のぶの後光のようにも見える。おそらく嵩にとってのぶは常にまばゆい光なのだと感じさせるはじまりだった。主人公の未来の幸せな姿を見せて、「物語がここに至るまでを描きますよ」と紹介するのは、実在の人物をモデルにした朝ドラのはじまりの定番である。

 王道の朝ドラだと、ほっとしたのもつかの間、タイトルバックが定番ムードをがらりとひっくり返した。RADWIMPSによる主題歌「賜物」は早口に歌詞をまくし立てる。映像は想定外のCGによる近未来的風景。足早に姿を変えてゆく街並みを、のぶではない今田美桜そのものが彷徨っていく。RADWIMPSのミュージックビデオがはじまったかのようで、面食らった視聴者がSNS上では少なくなかった。ここで対話が生まれるのはいいことだと思う。筆者的には歌詞に滲む死生観のようなものが響いて、『アンパンマン』をモチーフにした『あんぱん』をいま、作る意味がここに込められていると感じた。牧歌的な『アンパンマン』ファンのみならず、新海誠のアニメーションの世界が好きな視聴者も興味を持つのではないだろうか。歌詞と映像を見ていると、「いつ終わるかもわからない絶望的な世界で、ひとりの少女に出会って、彼女の生きる力で世界を救う鍵を見つける」といった壮大なアニメ(新海誠作品のような世界)が浮かび上がってくる。

 やなせたかしの心象の令和的解釈のようなタイトルバックが終わると、朝ドラ定番の子役時代がはじまった。ここはまた王道である。元気溌剌の主人公・のぶ(永瀬ゆず)が舞台となる高知県御免与町の大地を全速力で走る。王道すぎるほどの王道。第1話の冒頭で、「正義は逆転する。じゃあ、決して引っくり返らない正義ってなんだろう。 おなかをすかせて困っている人がいたら、一切れのパンを届けてあげることだ」という『アンパンマン』の大事なテーマが語られていた。そして、子供時代にはそれを象徴するかのようにシーソーが出てくる。ギッコンバッタン、ギッコンバッタン、シーソーの動きのように、『あんぱん』のなかで王道と新しいものが行ったり来たりする。

 世間のタイトルバック評も、あるときがらっとひっくり返るかもしれない。

 のぶの家から御免与駅に向かう道には彼岸花が咲いていて、あっちの世界とこっちの世界をつなぐ道のようにも見える。この道にはジブリ的な雰囲気がある。嵩(木村優来)の母・登美子(松嶋菜々子)が再婚するため、嵩を置いて町を出ていくときは、松嶋菜々子のヘアメイクと着物と日傘がリスペクト・ジブリとしか思えなかった。

 新海アニメとジブリ、名作ではあるがその作者の若かった時代は戦前から戦後。戦争も昭和も知らない世代と物語を接続するために、人気アニメに頼りたい気持ちはよくわかる。

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