広瀬すずの“虚構の家族”は何を意味する? 『anone』が示した、テレビドラマと視聴者の関係

『anone』が示したドラマと視聴者の関係

 林田亜乃音(田中裕子)から1000万円を盗んだ青羽るい子(小林聡美)は、そのお金を何者かに奪われてしまう。青羽は持本舵(阿部サダヲ)とともに亜乃音に謝罪し、警察に自首すると言うが、偽札のことを話されては困るからと、亜乃音は取り合わない。

 暗いトーンで進んできた『anone』だが、第5話の導入部はコミカルで楽しいものだった。何より青羽と亜乃音の間に入る辻沢ハリカ(広瀬すず)が楽しそうでいい。3~4話と主役でありながら脇に追いやられていた広瀬すずだったが、はじめて大人の輪の中に入れてもらえたように感じた。その後、4人は家族になりすまして共同生活を送ることになる。その姿は、まるでホームドラマのようだ。

 そんな家族のドタバタをハリカはカノン(清水尋也)に伝える。入院しているカノンは、ハリカが話す面白いエピソードを楽しみにしていて「君の冒険は僕の心の冒険です」と言う。しかしハリカが病気のことや治療にかかる費用のことを話そうとすると「明日の話や、いつかの話は、もうナシにしてください」と拒絶する。2人の関係が何を意味しているのか、今まではよくわからなかったのだが、ニセモノの家族の姿を楽しそうに聞くカノンを見て、これはテレビドラマと視聴者の関係なのだ、と思った。

 本作のキーワードである、ニセモノとはテレビドラマも含めたフィクション全般のことのようにも見える。しかし虚構の世界を、実在するかのように演じる役者たち作り手にとっては、生きるための仕事であり、もうひとつの現実だ。だからこそ坂元裕二は作品のディテールをきめ細かに描写し、まるで偽札を作るかのようにフィクションの現実感を高めていく。

 だが、そうやって生まれた現実感は、時に観ている側に拒絶される。視聴者が求めているのは現実感ではなく、辛い現実を忘れるためのファンタジーとしての日常だからだ。

 ここ数年、テレビドラマを観る度に虚構と現実がひっくり返ってしまったと感じている。特に岡田惠和脚本の連続テレビ小説『ひよっこ』(NHK)、バカリズム脚本の『架空OL日記』(日本テレビ系)、そして坂元裕二脚本の『カルテット』(TBS系)、この2作を観た時は、今や最大のファンタジーは「何も起こらない穏やかな日常」なのだということを思い知らされた。

 2010年代の日本では地震に原発事故、そして北朝鮮のミサイル発射にともなうJアラートなど、かつてならSFアニメで描かれていたような荒唐無稽な出来事が次々と現実化している。そんな何でもありの現実に対して、心のシェルターとなるような「誰も傷つかない優しい世界を描いた、変わらない日常」を描くことこそが、物語の作り手に求められている。

 しかし、これでは一種の後退戦で、フィクションは現実に対して無力だと宣言しているようなものである。

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