松江哲明の“いま語りたい”一本 第20回
松江哲明の『パトリオット・デイ』評:実際のテロ事件をモデルにしながら、勧善懲悪に陥らない映画
今、世界で何が起きているのか。一流のエンタメ作品でありながら、それが俯瞰的に見えてくる作品でした。年末まで約半年ありますが、観終わった後、今年のベスト10に必ず入ると確信した1本です。
この映画の着地点は、実際に起きた事件をモデルにしているだけあって、あらかじめ分かっているものです。ピーター・バーグ監督の他作品と同じように、モデルとなった実在の人物たちも映画に登場し、人間の強さや愛が映し出されていました。ただ、だからといって、単純な勧善懲悪的な映画では決してありません。
本作は2013年4月15日、独立戦争緒戦の勝利を記念した“パトリオット・デイ”(愛国者の日)に、ボストンマラソンを標的にして行われた無差別テロ事件を映画化したものです。主人公のマーク・ウォールバーグ演じる警官、テロ実行犯であるツァルナエフ兄弟、テロの被害に遭い足を失ったカップル、犯人に車で拉致される中国人青年、そしてボストンで暮らす人々。実在の人物たちをモデルにした群像劇であり、サスペンスでもある重厚なドラマが最初から最後まで緊張感を持って描かれていきます。
一時期のアメリカ映画であれば、テロを起こした兄弟を悪と決めつけ、彼らを逮捕する警察を正義の象徴として描いていたかもしれません。しかし、彼ら兄弟もアメリカ社会が生みだしてしまった被害者でもあるという視点が本作にはあります。そして、もっとも敬意をもって描かれているのは警察ではなく、テロに遭遇した被害者たち。親しい人を亡くし、自分の足を失うという人生最悪の出来事のはずなのに、それを人生最良の日と言ってしまえる強さ。誰かを憎み、恨むのではなく、人を愛する心こそが最も尊い。そんな言葉にすると恥ずかしいことが、実在する登場人物たちの行動を通してスッと染み込む一作になっています。
実際のニュース映像や、マラソン中継映像と撮影素材を組み合わせながら、まるでドキュメンタリーのように、事件前後の102時間が映し出されます。冒頭、マーク・ウォールバーグが深夜の捜査を行っているシーンから、翌日のボストンマラソンがスタートするまで、ボストンに生きる人々がどんな感情で日々を暮らしているのか、それを丹念に描いています。なので、「この人がなぜ取り上げられているんだろう」と不思議に思うかもしれません。しかし、彼らも後に重要な登場人物だと分かるのです。一体、このワンカットのためだけにどれだけの予算がかかっているんだろうと思うほど、画面に映っているものに嘘がありません。だから、フィクションである映像を観ているはずなのに、最初の爆発が起きたとき、マーク・ウォールバーグが実際にそこに居合わせた本物の映像を観ている気になってしまう。映画を観ているはずなのに、現実を観てしまったような錯覚。フィクションとドキュメンタリーの境界線を横断しながら、サスペンス的なエンターテイメントとして仕上げているのは、編集力と監督の演出力の賜物ですね。
映画の最後には本作のモデルになった実在の人物たちが映し出されます。えてして、“再現ドラマ”にしてしまうと、急に白々しくなってしまったり、説教臭くなったりすることがあります。しかも、実在の人物が登場した瞬間、それまで構築してきた“フィクション”の世界が、一気に嘘くさくなってしまう可能性もある。それでも、これだけ実在の人物たちを映画に登場させたのは、自分たちが作った作品が絶対にぶれることはないという確信があるからではないでしょうか。実はマーク・ウォーグバーグとピーター・バーグの『ローン・サバイバー』『バーニング・オーシャン』でも最後にモデルとなった人たちが映るんです。僕は、映画の醍醐味はフィクションが現実を揺らがせることだと思っているので、この演出には作り手の自信と信念を感じました。
一方で、この映画のバランスは実はとてもおかしい。“アクション”としての一面で観るならば、全体の4分3くらいに起きるツァルナエフ兄弟と警察たちとの住宅街の銃撃戦がクライマックスです。ここで、兄は負傷し捕捉され、弟も数日後に捕まります。犯人兄弟の逃亡劇がもう成功することはないことが明白な以上、映画の構成としては弟が捕まるまでを省略して、アクションで盛り上げてそのまま終わりにしてもいい。でも、この映画はここから30分以上もあります。
その後、兄の妻を警官たちが取り調べするシーンも異様に長い。ベタな作りの映画なら、旦那が死んでその妻が懺悔を始める、泣き崩れる、感情を揺さぶる音楽を流すとか、センチメンタルな演出を入れやすいところなんです。でも、このシーンこそが映画全体を貫く作り手のテーマを表しているとも言えます。取調官に尋問されても彼女は自分の意志を絶対に曲げません。イスラム教の妻としての覚悟をはっきりと告げる。彼女の姿に象徴的なように、テロリストとなる兄弟も、警察官たちも、被害にあった人物も、映画に登場するキャラクターは、「誰も後悔はしていない」。彼女の意志の強さに、取調官が根負けする描写がありますが、テロリストとなってしまった兄弟を“悪”と決めつけていたらこんなシーンは入れていないでしょう。
なぜ彼らがテロリストとなってしまったのか。劇中のセリフで、「テレビで言っていることは全部嘘っぱちだ、政府がコントロールしているんだ」と言わせているように、9・11以降のアメリカ社会への疑問が、彼らを通して描かれていると感じました。宣伝ではマーク・ウォールバーグが英雄であるかのように伝えられていますが、決してそうではありません。彼が映画的な活躍をする場面は監視カメラの映像を元に犯人の行動を推測するシーンと、ラストの台詞です。映画を振り返ると、実にその抑制が効いていると思いました。