『ホットスポット』が『ハルヒ』っぽいのは必然だった? バカリズムに潜む日常系の作家性

バカリズム脚本のSFドラマ『ホットスポット』(日本テレビ系)が終盤に入り、超展開の連続となっている。
本作は、山梨県にあるビジネスホテルで働くシングルマザーの遠藤清美(市川実日子)が、同僚の高橋孝介(角田晃広)に命を助けられたことをきっかけに、彼の正体が宇宙人だと知ってしまったことから始まる物語。
高橋が宇宙人であることは、清美と彼女の幼なじみだけの秘密だったが、次第にその正体を知る人が増えていく。
しかし、清美たちは高橋の正体を知っても平然と受け入れており、宇宙人だからといって怯えたり、拒絶することはない。神経質な高橋の性格に対して少しイラッとすることはあるが、彼の存在自体は緩く許容しており、微妙な距離感を保っている。
また、バカリズムの脚本も、宇宙人の力で人助けをする高橋を英雄視することや、地球人に紛れて暮らしているマイノリティの孤独を強調することに対しては距離をとっており、ドラマ的な盛り上がりを意図的に避けている。

この高橋を取り巻く「緩い優しさ」をバカリズムが得意とする淡々とした会話劇で見せるのが『ホットスポット』の面白さである。
本作は「地元系エイリアン・ヒューマン・コメディー」と銘打たれている。そのため終盤は、高橋以外の宇宙人が次々と登場するのではないかと想像していたのだが、物語は予想外の展開を迎えている。

まず、第7話の終盤で清美は、ホテルに長期滞在していた村上博貴(小日向文世)から自分は未来人だと告白される。村上は50年後の未来から来たと語り、もうすぐこのホテルが閉鎖されると清美に告げる。そして第8話終盤では、清美の同僚の磯村由美(夏帆)の幼なじみ・みずぽん(志田未来)が、超能力者だったことが明らかとなる。
つまり、新たな宇宙人が続々と登場するのではなく、未来人、超能力者といった異なる属性の人間が登場する。宇宙人、未来人、超能力者が立て続けに登場する展開を観て、谷川流のライトノベル『涼宮ハルヒの憂鬱』(KADOKAWA、以下『ハルヒ』)を思い出した。
『ハルヒ』は高校を舞台にしたSFラブコメで、ヒロインの涼宮ハルヒは、自己紹介の時に「ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、わたしのところに来なさい。以上」と言う。その後、ハルヒが結成したクラブ「SOS団」に、主人公で語り部のキョンと、長門有希、朝比奈みくる、古泉一樹が加わるのだが、実は長門は宇宙人、朝比奈は未来人、古泉は超能力者で、この世界の神であるハルヒを監視するために、SOS団に入ったことが明らかとなる。

この自己紹介のくだりを知っている方なら、未来人と超能力者が出てきたところで『ハルヒ』のことを頭に浮かべたのではないかと思う。
バカリズムがどれくらい『ハルヒ』を意識しているかは、第9話以降の展開を観ないことにはわからない。だが、『ハルヒ』と『ホットスポット』は、SFと日常の奇妙なバランス感覚が、とてもよく似ている。
『ハルヒ』が面白いのは、宇宙人、未来人、超能力者という言葉に象徴されるSF的アイデアを大量に盛り込んでいながら、劇中でハルヒがおこなうことは、自主映画制作や文化祭で軽音楽部の助っ人メンバーとしてライブをするといった高校生の青春だということだ。一方でハルヒのストレスが原因で起こる世界の危機は、キョンたちがハルヒの知らないところで解決するという構造になっている。一方、『ホットスポット』は高橋という宇宙人の存在を描きながらも、SF的な非日常の世界には踏み込まず、職場、家庭、幼なじみとの交友といった清美の日常生活に重点が置かれている。また、高橋が町で起こる小さな事件を人知れず解決している姿も『ハルヒ』のキョンと重なるものがある。