重い障がいのある子は親に何をもたらすのか? 『時には懺悔を』の体験に裏打ちされた迫真性

このような小説が、ありうるのか。8月28日公開の映画『時には懺悔を』(中島哲也監督)の打海文三による同名原作小説(1994年)を初めて読んだ時、そう感じ入った。
現在は独立して探偵をしている佐竹は、元上司に頼まれ、探偵スクールのレディース科1期生・中野聡子の代理教官を務めることになった。だが、実習の最中、佐竹のかつての同僚だった探偵・米本が殺害されているのに出くわす。同業者が死んだ事件を佐竹たちが調査すると、幼児が誘拐された過去の事件にたどり着く。そして、もうじき9歳になる障がい児・新と44歳の父・明野哲夫の存在が浮かび上がる。
探偵が事件の真相を捜査するミステリ小説であると同時に、重い障がいのある子と親の関係をめぐるヒューマン・ドラマでもあるのだ。そこには、子どもの世話をする親がいて、子どもを助けようとする人々が登場する。だが、その一方で障がい児が必ずしも歓迎されるものではないこと、その兄弟姉妹は心の優しい子どもに育っているに違いないという世間の思いこみや期待が本人たちにはプレッシャーとなっていることなど、ネガティブな面も描かれる。障がい児の面倒を見る親ばかりではなく、遠ざけてしまった親、先立たれてしまった親も描く。感情移入しすぎる人もいれば、無関心すぎる人も出てくる。涙を強制する感動の押し売りではなく、かといって露悪的な方向に走るのでもない。希望はあるがリアル、といった水準で書かれた物語だ。
第13回横溝正史ミステリ大賞優秀作を受賞した『灰姫 鏡の国のスパイ』(1993年)でデビューした打海文三が、第2作として『時には懺悔を』を執筆した経緯について、元担当編集者が書いている(【エッセイ】『時には懺悔を』映画化記念。元担当編集者が、作家・打海文三を語る。)。それによると、二分脊椎症と水頭症を抱えて生まれた打海の次男について、小説にすることをその編集者が提案し、「妻が嫌だと言わなければ」という条件つきで打海が応じたのだという。編集者は、病院で「それほど長くは生きられないだろう」といわれた次男の生きようとする力、両親の介護の苦労などを打海の自宅で目の当たりにして「小説にしなければと考えた」としている。
『時には懺悔を』の記述の迫真性が作者家族の体験に裏打ちされているのは確かだろう。もう1つのポイントは、ミステリ小説として書かれていることだ。
聡子は、新の写真を見て「大きな赤ちゃんです」と表現する。佐竹は「三、四歳でしょうか」、聡子は「からだの大きさからすると……五歳ぐらいでしょうか」というが、要するに体の変形した障がい児の年齢を的確に察することができないのである。佐竹には「写真の子の生活の輪郭といったものが、漠としてつかめないのだった」。自分の子ども時代や息子が小さかった頃の記憶といった自身の体験の外にいるため、「あの障害の子の体温や息づかいが、まるでイメージできないのだった」。障がい者が身近に暮らしていない人々にとっては、彼らのような反応は珍しくないはずだ。
佐竹と聡子は探偵として、明野哲夫・新の父子を離れた場所から観察し、彼らの住まいに盗聴器をしかける。そうして食事、洗濯、歯磨き、排泄処理といった父子の日常生活のルーティーンを知るようになる。当初はわからなかった明野父子の「生活の輪郭」を、少しずつ理解していく。
その過程では、障がい児がそれまでの佐竹や聡子の体験の外にあったとはいえ、やはり彼らは自らの体験を通して理解を深めているように思えるのだ。佐竹は息子と、聡子は娘との関係がうまくいっていないことを、それぞれ気にしている。小説では2人が親として、新と親の関係に共感のようなものを抱いたことが、彼らにとってのよい未来を探そうとする動機づけにつながったように読める。
早くから新に感情移入し始めた聡子に対し、当初の佐竹は、わりと冷めた態度をとっていた。他人のプライバシーを暴いてきた元同僚の探偵・米本の死について、彼が殺された理由は、自分がいずれ殺される理由になるかもしれないと、同じく探偵の佐竹は考える。警察が殺されたら殉職だが、探偵が死んだら自業自得だといわれると、元上司の探偵・寺西はいう。その言葉に「でも国家権力と街のゴロツキの差だから、愚痴をこぼしてもはじまりませんよ」と返す佐竹は、探偵という職業をシニカルにとらえていた。
しかし、幼児誘拐事件のその後を調査するうちに、探偵として新に対しできることを考えるようになる。作中には、「みんなが新を励ましてるようですね」という佐竹が、「逆だよ」、「みんなが新に励まされてるんだ」といい返される場面がある。障がいのある新の生命力が、人々の心を動かすということだ。それが、とってつけたきれいごとにならないのは、探偵行為によって佐竹たちが事件の背景を掘り起こすとともに、普通なら他人には見えない障がい児の生活の具体的なディテールを知っていったからだろう。読者は佐竹や聡子とともに、他人に観察されているとは気づいていない父子の無防備な日常を覗くことになる。現実に行えば罪深いが、架空の世界で探偵を視点にしたミステリのスタイルによって書いたからこそ伝わるものが、この小説にはある。
『時には懺悔を』を読んで、本当によかったと思う。

























