『ルックバック』は“音”の映画だーーペンや筆を動かす“音”に表れる、ふたりの初期衝動

『ルックバック』は“音”の映画だ

 藤本タツキによる青春漫画『ルックバック』(2021年)を原作とする映像作品が、現時点においては2本ある。ひとつは、押山清高監督によるアニメーション映画(2024年)であり、もうひとつは、現在公開中の是枝裕和監督による実写映画だ。

 前者は、アニメーターたちが引いた生々しい「線」をそのまま画面に残すことで、後者は、役者たちがペンや筆をじっさいに動かす「音」に徹底的にこだわることで、「藤野」と「京本」という、“絵を描く”主人公ふたりの初期衝動を見事に表わしたといえるだろう。

主人公ふたりの感情と成長を「音」で表わす

 繰り返しになるが、是枝裕和監督による実写映画『ルックバック』は、「音の映画」である。

 最初は藤野がひとりで響かせていた鉛筆を紙の上に走らせる音が、やがて京本とふたりでペン入れやスクリーントーンを削る音となり、最終的には、モニター上でペンタブを動かす音と、大きなカンバスに油絵具を塗る筆の音とに分かれていく。

 あらためていうまでもなく、これは、藤野と京本の“出会いと別れ”を「音」で表現していることにほかならない。また、画材の変化は、彼女らの「成長」の暗喩でもあるだろう。

 ちなみに、同作のパンフレットに掲載されている是枝監督のインタビューによると、原作者(藤本タツキ)に初めて会った際、「アシスタント歴の長い人が線を引くシャーッという音は、迷いがなく、勢いがあってカッコいい」という話を聞いて、触発される部分が少なからずあったそうなのだが、逆に凄いと思うのは、物語の後半――プロの漫画家になった藤野が、ひとりモニターに向かってペンタブを動かしている場面である。そこでは、間違いなく、京本という“相棒”と別れた彼女の「迷い」が、「音」で表現されているのだ。

©藤本タツキ/集英社 ©2026 K2Pictures・集英社

※以下、原作および実写版の『ルックバック』のネタバレを含みます。未読・未見の方はご注意ください。(筆者)

京本はなぜ風景画に惹かれたか

 さらには、そんなエモーショナルな「音」の表現の数々をよりいっそう際立たせているのが、繰り返し画面に映し出される、物語前半のロケ地・秋田県にかほ市の美しい四季の風景だ。これは、さすがに、漫画でもアニメでも表現できない“リアルな美しさ”だといえよう。

 そしてその風景の美しさは、藤野に連れ出されて「外」の世界を知った京本が、男鹿和雄(スタジオジブリ作品などで知られる美術監督)の画集に惹かれたり、漫画の背景を描くことに夢中になったりすることにそのままつながっているのだ。

©藤本タツキ/集英社 ©2026 K2Pictures・集英社

 なお、この、「京本がなぜ風景画(背景画)に惹かれたのか」という問題は、原作ではあまり深堀りはされていない。ただ最初(藤野と出会う前)から、彼女は4コマ漫画でも(祭りの群衆を除き)風景の描写しかしておらず、それは、たんに風景画が好き、というよりは、ずっと部屋に引きこもっていた彼女にとって、そもそも「人間を描く」(あるいは「物語を描く」)という発想がなかったというべきかもしれない。

 それが今回の実写映画では、より能動的な理由づけがなされたように私は思う。つまり、京本という孤独な少女が、藤野という社交的な少女と出会い、「外」の「世界」の美しさを知った。そして、その美しい世界を紙やカンバスの上に「表現したい」と思った。

 その強烈な想い(初期衝動)を、京本役の蒔田彩珠と岡田六花(子役)は、見事に表現しているように思う(注目すべきは、物語の中盤――漫画の演出上、あるコマの背景画を簡略化してほしいと指示を出す藤野に対し、納得いくような、いかないような表情をする京本の姿だ。つまり、漫画家としての京本は、藤野の指示を理解しているのだが、絵描きとしての京本は割り切れないものを感じており、このとき、ふたりの目指す道はいったん分かれたといっていい)。

過去を振り返るのではなく、背負うということ

 いずれにせよ、この、京本奏というキャラクターの初期衝動と風景画への想いがより深く描かれたことで、実写映画を観た者は、原作コミックやアニメ版では連想することのなかった、ある残酷な想像をしてしまうことになるだろう。

 それは、もしあの“事件”が起きなかったら、いつの日にか、京本が、藤野が原作を務めるアニメ作品の美術(背景画)を手がけたかもしれない、という、あるはずのない「未来」の想像だ。

 じっさい、実写版での京本は、男鹿和雄風の風景画をかなり遺しており、それは、彼女がアニメになった藤野の作品の背景を描きたいと思っていたことの表われともいえよう。

 しかし、離れ離れになったふたつの「音」が、再び重なることはないのだ。

©藤本タツキ/集英社 ©2026 K2Pictures・集英社

 物語の終盤――藤野はひとり、かつて京本がこもっていた部屋で、彼女が遺した風景画の数々を見ながら、楽しかった日々を幻視する(その場面は、久野遥子による美しいアニメーションが挿入される)。

 楽しかった日々は戻らない。しかし、前に進むしかない。“ルックバック”――自分の「背中」を見ていた“相棒”が遺した美しい風景画の数々は、そのことを強く訴えていた。藤野に「歩」(あゆむ)という名前が与えられたのも、そういう意味があってのことだろう。

 そして、藤野は、この先も、「藤野キョウ」という、ふたりのコンビ名をペンネームとして使い続けるのだろう。なぜなら、藤野は京本を失ったのではなく、彼女の想いを背負い続ける覚悟を決めたからである。

 そう。物語の最後でふたりは別れたのではなく、むしろ一体化したのである。

©藤本タツキ/集英社 ©2026 K2Pictures・集英社


■公開情報
『ルックバック』
全国公開中
出演:出口夏希、蒔田彩珠、七瀬ふうり、岡田六花、菅田将暉、宮藤官九郎、野呂佳代、池田良、佐々木みゆ、山田真歩
原作:藤本タツキ『ルックバック』(集英社ジャンプコミックス刊)
監督・脚本・編集:是枝裕和
音楽:坂東祐大
撮影:上野千蔵
企画・プロデューサー:小出大樹
後援:秋田県にかほ市
配給:K2 Pictures
©藤本タツキ/集英社 ©2026 K2Pictures・集英社
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