“弱者男性”が魔性の女に翻弄されて……押見修造からの影響も感じる衝撃作『澱の中』が描くグロテスクな欲望

『澱の中』が描くグロテスクな欲望

押見修造から影響を受けた“自意識の悩み”の描写  

 五味は学生の頃からの女性恐怖症で、自尊心も低く、「ヒエラルキー下位の性欲はキモい」という認識を胸に生きてきた。そこで選んだのが、女性の前で絶対に性欲を見せず、「無害」に徹しきるという処世術だった。

 欲望を発散するのは、誰にも見られることがない自分の部屋のなかだけ。二次元の物語(フィクション)に没入し感情移入することで、薄暗い性欲を満たしていた。しかし夢空によってもたらされた圧倒的な現実の興奮によって、心地よい空想の世界に閉じこもっていられなくなる。  

 そして外の世界に引きずり出された五味は、なにもかも理解不能な夢空という他者と向き合うことに。皮肉なことだが、夢空の異常とも言える行動に翻弄されることで、ずっと自分を悩ませてきたコンプレックスから自由になっていく。

 とはいえ五味の抱える自意識の悩みは、そう単純なものではない。胸の奥には女性に嫌われたくないという強い恐怖感があり、何をしても「本心では嫌がられているかも」という疑念が頭をよぎる。そしてネットで検索した“正しいやり方”にすがって、相手を喜ばせようとする。つまり一見女性を大切にしているようでいて、同じ人間という目線で見られないという“呪い”のなかに生きていた。

 そんな五味が煩悶し、苦しみながら新しい世界に飛び込んでいく姿には、尋常ではない迫力がある。

 なお作者は自身のX(旧Twitter)にて『惡の華』や『血の轍』の押見修造に影響を受けたことを明かし、「『惡の華』が無ければ澱の中は生まれていません」とまで語っていたが、鬱屈した自意識の描写はたしかに影響関係を感じられる。

 また「弱者男性」の苦しみをテーマとした作品といえば、3月にNetflixで配信された大ヒットドラマ『アドレセンス』のことが思い浮かぶ。同作は10代の少年が殺人事件の容疑者になるという物語で、英米で問題視されているインセル(不本意な禁欲主義者)の問題に踏み込んでいることが注目を浴びた。

 これまで日の目を浴びてこなかった人々と向き合おうとする点で、『澱の中』と共通点のある作品と言えるだろう。ただ『アドレセンス』がインセルを外側から描いていたのに対して、『澱の中』は徹底して内側から描こうとしている。そのアプローチの違いによって、物語の到達点もまったく違うところになりそうだ。

 さらに恐ろしいのは、まだまだ物語が始まったばかりということ。鬱屈した自意識から突き抜けた先に何が待ち受けているのか、今後の展開を見守っていきたい。

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