うんこと人類の文化史 武器に飼料に……さまざまに有効活用してきた日本人、世界一高価なうんこって?
■うんこと人類の文化的側面

うんこがブームである。前回は人類はうんこをどう処理してきたかについて、ミダス・デッケルス(著)『うんこの博物学 - 糞尿から見る人類の文化と歴史』とスチュアート・ヘンリ(著)『はばかりながら「トイレと文化」考』を中心に考察をしてきた。最終回となる三回目も二冊に依りながら、うんこの利用方法について考えていきたい。
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■うんこを有効活用してきた日本人 世界一高価なうんこ
中世のヨーロッパはうんこまみれだった。
特に都市部はひどい惨状で、部屋でおまるにしたうんこを路上に捨てていた。下水道など存在しないので、うんこはただ打ち捨てられるだけである。加えてヨーロッパの都市部は石畳の道である。うんこが地面に吸収されることは無く、雨が降るとうんこが雨の水分で拡散し路上はうんこまみれだった。踵の高いハイヒールも長いマントも、うんこを踏まないようにするために生み出された必要から来る産物である。
そんなうんこまみれだった中世-近世のヨーロッパに対し、同時期の日本は驚くほど清潔だった。日本の都市規模がロンドンやパリに劣っていたからでは無い。江戸の人口は18世紀初頭には100万人を超えていた考えられている。この数字は18世紀当時のロンドン、パリの人口を上回る。江戸は桁違いの大都市だったのだ。
そんな大都市がうんこまみれのロンドン、パリのような惨状にならなかった理由は簡単である。日本が世界的にも珍しい、うんこを最大限に有効活用した国だったからだ。『うんこの博物学』の作者、ミダス・デッケルス氏はオランダ人だが、日本のうんこ活用方法について同書でかなりの長尺を割いている。本稿で同じく参照にした『はばかりながら「トイレと文化」考』のスチュアート・ヘンリ氏も日本のうんこ活用法についてかなりの長尺を割いている。うんこの歴史を語るうえで、日本というただの一か国はそれほど重要な存在なのである。多くの文化圏において、うんこは打ち捨てるべき汚らしいだけの存在だった。それに対し、かつての日本人はうんこを下肥(糞尿を腐熟させ、肥料としたもの)として重宝していた。日本には古くから多くの公衆トイレが存在したが、農民は「汲み取り料」を払い、溜まったうんこをトイレの持ち主から購入していたほどである。
元々は、日本でもうんこはやっかいもの扱いだった。東大寺への参詣客が多くなり、参詣客の落とし物で衛生状況が悪化したことを問題視した当時の役人たちは東大寺の参詣道近くに公衆トイレを設置した。それが中世になると、糞尿を肥料と活用することが定着した。すると、街道筋などに「私設」の公衆トイレが設置されるようになった。トイレを設置した人には糞尿を処理する権利があった。商家などが運営していたこういった私設の公衆トイレが有料だったのか、汲み取り料だけで成り立っていたのかは不明だが、仮に利用料と汲み取り料を両方取っていたのであれば二重に利益を上げていたことになる。賢い商売だと感嘆せざるを得ない。
茶屋も公衆トイレとして重要な役割を果たした。もともと茶屋は山中などの休憩所としてはじまったが、やがて宿場に進出し、最後には市中にまで広がった。江戸中期には飲食も提供するようになり、飲食の場と排便の場を両方提供するようなった。茶屋で客が出していった落し物は、農家に買い取られ、飲食代と汲み取り料の両方で利益を上げるようになっていた。こちらも二重に利益を上げる商売のスタイルだった。
■やはり賢い商売だと感嘆せざるを得ない。
100万都市の江戸には辻便所(街角にある便所)、茶屋などを合わせると人口30人あたりに一か所の公衆トイレが存在した計算になる。同時期のヨーロッパの主要都市にも公衆トイレの記録はあるが、その数は1万人あたりに一か所である。21世紀の現代でも、日本の主要都市とヨーロッパの主要都市では外でトイレを見つける難易度に大きな差がある。しかも日本のトイレは清潔で、多くの場合無料だ。日本は300年以上前から世界のトイレ先進国だったのである。トイレへのこだわりの年季が違う。
うんこは武器として使われた記録もある。漫画『ドリフターズ』で織田信長が矢じりにうんこを塗って武器にしていたが、実際に日本の武将がうんこを武器として使った記録がある。楠木正成は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した実在の武将だが、正成はうんこを武器として使った。千早城に立てこもった正成が北条家時率いる幕府軍に煮立った糞尿を浴びせて大いに戦果を挙げたとの記録が残っている。まさに文字通りの「焼けクソ」である。
このように日本人とうんこは蜜月の関係を築いてきたのだが、別れは突然訪れる。太平洋戦争である。敗戦国となった我が国はGHQに統治されたが、GHQは「不衛生」という理由で糞尿を肥料に使用しないことを推奨した。確かに糞尿を肥料に使う事には衛生上の問題がある。
寄生虫である。下肥を肥料にした畑で野菜を作ると、その作物を食べた人間は回虫に悩まされる危険性がある。また、糞尿を肥料にする下肥よりも、化学肥料の方が安価で扱いやすい。
だが、栄養価となると下肥の方が化学肥料に勝るようだ。うんこの栄養価は実はかなり高い。人の消化器官は意外なほどに非効率で、食物から得た栄養の20%ほどしか吸収できない。言い換えると人のうんこには食物の80パーセントの栄養素と言う「宝物」が眠っていることになる。乾燥させた人のうんこは同量のトウモロコシの栄養価に匹敵するそうだ。昔の農民たちは経験から特に良いものを食べている、
裕福な人のうんこは、良い肥料になることに気付いていた。京都の京野菜は独特の風味で人気だが、下肥を使っていた時代を知る人からすると「今は味が薄くなった」そうだ。京都は公家や皇族などの上流階級の街であり、おそらくは古くから「普段からいいものを食べている人のうんこ」が豊富に手に入ったのだろう。かつての「濃い味の京野菜」は、上流階級がした良いうんこが育んでいた可能性がある。いまさら、うんこを肥料にしていた時代に立ち返るのは難しいだろうが、衛生面の基準を守ってうえでうんこを肥料にする技術は既に存在する。うんこという宝物をただ捨てて処理してしまうのはあまりにも勿体ない、と筆者は思う。