令和ロマンくるま、ノンスタ石田も……芸人の「お笑い分析本」出版続くーートレンド理由をラリー遠田が分析
しかし、『M-1』以降、それでは済まされなくなってきた。「あの審査員の点数のつけ方はおかしい」「あの人の審査は的確だ」などと、視聴者が審査員を審査するような動きが出てきた。これは明らかに『M-1』で生まれたものだ。
それまでにもお笑いコンテストやコンテスト形式の番組はいくつも存在していたが、個々の審査員の審査の正当性について議論が起こるようなことはなかった。良くも悪くも、昔のお笑いはそこまで真剣に見るようなものではなかったのだ。
人々は審査についてあれこれ言うようになった。そして、審査員がどのような基準で審査をしているのか、というのを気にするようになった。審査員のコメントの一語一句を真剣に受け止め、解釈して、ときには言葉の裏の意味までを探ろうとした。SNSなどによってそういう楽しみ方がどんどん広まっていった。
「裏側」もおもしろく語れる芸人が求められる時代
そんな中で、芸人の側にも変化があった。もともと芸人は、お笑いに関する分析的な話を表では語りたがらない傾向があった。それはマジシャンが手品のタネをばらすようなものであり、職業倫理に反することだと考えられていたのだ。
しかし、『M-1』以降、お笑いを分析的に見る楽しみ方が広まっていくにつれて、芸人側にもそれが求められるようになり、徐々に芸人もその需要に応えていくようになった。
芸人の中にも、理詰めでお笑いを語ることを得意とする人と、そうではない人がいる。得意とする人はお笑い語りをますます求められるようになり、それを1つの芸として極めていくようになった。今回、本を出す石田や高比良は、まさに分析的な思考を得意とする芸人である。そういう人の語り口は、一般人から見てもわかりやすくて面白い。だから、分析自体が1つの芸として成立している。
表舞台で語られる「裏」は本当の裏ではない?
ちなみに、芸人たち自身は「手品のタネをばらす」ようなことをしているという後ろめたさを持っているものなのだろうか。これに関しては、人によって意見が違うと思われるが、ある芸人が以下のような趣旨のことを言っていた。
「裏側を語るなって言われることもあるけど、表で語ってる時点で本当の裏じゃないから。エンタメとしてやってるから」
個人的にはこの言葉がしっくりきた。実際、芸人が本当の舞台裏でこっそり語っている話と、テレビ・ラジオ・YouTubeで語っている話が同じであるはずはない。
表に出ている部分は「表に出せる部分」でしかない。どんなことであれ、芸人が表でやっていることはエンタメであり、見る人を楽しませるためのものである。「お笑い分析」も例外ではない。本来は「お笑いを分析している」というネタとして楽しむべきものなのだ。
お笑いを真剣に語ることすら、広い意味での「お笑い」になってしまうというところに、お笑い文化の奥深さがある。芸人のお笑い分析は今後もどんどん行われて、お笑い文化の裾野を広げていくことになるだろう。