「“わからない”が存在する限り物語を生み出していける」川村元気が違和感を重ねて描いた『私の馬』

「“わからない”が存在する限り物語を生み出していける」川村元気が違和感を重ねて描いた『私の馬』

小説はわからないものを理解していくための手段

俳優の演技にヒントをもらうことも。映画『怪物』の制作では、安藤サクラの演技から学ぶことがあったと振り返る

――馬に貢ぐために億単位の横領、とだけ聞くと突拍子もないことのような気がしてしまうけれど、本作を読んでいると、そしてお話を聞いていると、きっかけ次第で自分もいつ似た境遇に陥るかわからないよな、と思います。

川村:この物語に登場するのって、正解とされているコミュニケーションをとる人たちばかりなんですよ。特に美羽のような若い子は、先ほども言った「傷つけない・傷つかない」ためのスキルが高くて、相手が言ってほしいことを言うのが上手い。人に触れるのも触れられるのも抵抗がないから、セクハラ・パワハラになりそうなことも、軽くかわしていく。でも、上手に合わせられる人というのは、コントロールされやすいということでもあるんですよ。

――優子から見れば、上手に生きているように見えるけれど、実はそうじゃないということが随所で描かれていますよね。

川村:優子のお母さんも過去に「黙る」を選択した人。お母さん世代の人たちは、夫婦間のディスコミュニケーションに悩むことも多く、試行錯誤の末、賢明なふるまいは身に付けているけど、それがけっきょく優子との断絶にも繋がってしまったわけですよね。そつのないふるまいをしていても、けっきょく誰も幸せそうではない。その実感が、優子とストラーダとの関係には反映されていった気がします。

――優子に好意を抱き、横領に気づきながらも黙っている丑尾さんも、黙らずに優子に向き合っていたら、何かが変わっていたんでしょうか。

川村:どうなんでしょう。彼のようなふるまいをする人は、特にSNSではよく見かけます。今は何を言ってもセクハラ・パワハラになっちゃうからなあ、なんて言いながら、根っこのところで意識を変えられていないから、気の遣いどころを間違えてコミュニケーションを不成立にさせてしまう。その解決策が今のところ、やっぱり「黙る」しかなかったりもする。

 だから小説という手段があってよかったなとも思うんです。小説ならSNSとは違い、立体的な人物として描くことができるから。とにかく小説では、ふだん僕が違和感を覚えるような人ばかりを登場させています。

――やはりそこでも違和感が大事なんですね。

川村:そうですね。なぜこんなにかみ合わないんだろう、と人間同士を見て日々感じていることを小説のなかには盛り込んでいますが、それはきっと、読者も常々感じていることだと思います。『仕事。』という対談集で谷川俊太郎さんとお話したとき、「集合的無意識」という言葉を教えていただきました。みんなが同じように切実に感じているはずなのになぜか言葉になってないもののことだと。谷川さんは詩を、僕は物語を書くことでそれを表現しようとしているのではないか、と。

――たしかに、川村さんの書く小説は、人物の解像度が高すぎて……。「こういう人、いる~!!」っていう納得感が、物語の説得力を増している気がします。

川村:ふだん映画の仕事をしていることが、大きく影響しているのかもしれません。たとえば俳優を演出するとき、どんな仕草が人に嫌悪感を与えるか、いやだなあと思われるのかを、一生懸命考える。そのために常日頃から、ほんの些細なしぐさも情報として収集している。動物としての人間の習性、みたいなもののストックをとにかく溜めている。この2年間は、造船所で働く男たちのモデルになるような人たちをつぶさに観察していました。「こういうとき、こういうこと言っちゃうんだなあ」って。

――こわい(笑)。

川村:逆に、俳優の演技にヒントをもらうこともあります。ちょうど今作の取材期間と映画『怪物』の制作が重なっていて、安藤サクラさんの演技を目の当たりにできた経験は大きかったですね。たとえば、人って本当に怒っているときには涙が出てくるんだなとか、リアリティの解像度を脚本で書かれているよりもさらに高くして表現してくれる俳優さんなので。そういう出会いがあるのは、書き手としての僕のアドバンテージだと思います。

――日々映像に触れている川村さんだからこそ感じる、小説で描くことの意義って何だと思いますか?

川村:映像で再現するには難しい場面ってたくさんあるんです。お話したとおり、馬は人間の思うとおりに動いてくれないから、ストラーダが国道に立っている優子との出会いのシーンを撮るだけで途方もない時間と労力がかかる。小説なら、たった一行で済むことなのに。だから僕は、基本的に小説では、映像で撮れないことから書き始めます。先ほどお話にあった、ただそこにストラーダがいると優子が感じる場面も、映像で表現するのはなかなか難しいでしょうね。馬にカメラを向けた後、優子役の俳優さんにカメラを向けて、その表情で乗り切るのが一般的な手でしょうけど。

――ぜひ、違う演出で撮られた映像を観てみたいです。さまざまな違和感を重ねて描いた本作、書き終えてみて何か手応えはありましたか?

川村:僕にとって小説は、恐ろしいものや、わからないものを理解していくための手段なのだと思うんですよ。10億もの金を横領して馬に注ぎ込む、それってどういうことなんだろう、なんでそんなことをしちゃったんだろうという疑問が、本作を書いた出発点で、さまざまな手がかりを通じて「なぜ僕たちは言葉でわかりあえなくなったのか」を僕はわかろうとした。その結果が小説『私の馬』です。

 今の時代、わからないものに対する拒絶反応が強いし、恐怖ゆえに攻撃してしまう人も多いけれど、でも「わからない」が存在する限り、僕は物語を生み出していける。僕が作中にちりばめた違和感が、読んでくれた人が何かを打開するためのヒントになって、物語が広がっていってくれたらいいなと思います。

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