【漫画】幸せだったはずが壊れていく、不器用な夫婦の日常ーーSNS漫画『はじめとちえこの生活』が切ない
何回も描き直した作品
――なぜ『はじめとちえこの生活』を制作したのですか?
Masa-san:本作は山田玲司先生の漫画講座の課題作品として、2021年10月ごろに描きました。友人知人や編集者さんからいただいたフィードバックをもとに修正して、2022年3月、2023年5月にも描き直しをしています。今回の『はじめとちえこの生活』は、コルクマンガ専科への参加を経て2023年4月に描き上げたもので、4つ目のバージョンです。
――どのようなブラッシュアップを?
Masa-san:実際に完成した漫画を人に読んでもらうと、自分が意図した通りに伝わっておらず、全然違う解釈をされることもありました。そこで、作品の軸はブラさずに、よりストーリーがわかりやすく、より感情的なカタルシスを提供できるように改善を試みました。コルクマンガ専科で学んだ感情と意思の演出が活きていると思います。
同じストーリーを複数回描き直すと、描けるものの幅が広がっていることが実感でき、得るものがたくさんありました。ちなみに、電子書籍版には過去のバージョンも収録しているため、ぜひ読み比べてみてください。
――昭和初期~中期ごろを舞台に選んだ理由を教えてください。
Masa-san:貧乏暮らしをしていた20代前半の時期に、たくさん読んだ古い文学作品の影響が大きいです。それらの作品から得た感動やインスピレーションがベースになっています。
――はじめとちえこのキャラクターにも古い文学作品が影響しているのですか?
Masa-san:はじめのモチーフは、石川啄木の読んだ「友がみな我よりえらく見ゆる日よ、花を買いきて妻と親しむ」という歌です。ちえこのモチーフは、高村光太郎の詩集『智恵子抄』の中に収録されている、「あどけない話」という詩の冒頭「智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ。私は驚いて空を見る。」から着想を得ています。
――また、本作のキーパーソンでもあるオッちゃんのモチーフは?
Masa-san:ドストエフスキーの作品に登場する、愚かで卑しいが人懐っこい端役のようなイメージで作りました。オッちゃんの人情家でありながらも利己的で、刹那的な享楽の誘惑に勝てず、人間関係が上手く築けないような人物像は、はじめの中の醜悪な部分の象徴であり、影の存在として物語に登場しています。
音楽制作の経験が活きた演出
――緩やかな序盤から徐々にしんどくなっていく展開にハラハラさせられました。構成はどのように練ったのですか?
Masa-san:大まかには、日常、非日常、そして日常に戻ってくる、という典型的な三幕構成にしています。また、“劇的な冒険と成長の物語”というよりは、「理不尽なことが立て続けに起きても生活を続けていかなければいけないしんどさと、小さな生活の中でのレジリエンスを描こう」と思っていました。
――ちえこを妊娠させた相手が発覚したことにより、はじめの“何か”が一気に崩れていくシーンの畳みかけが素敵でした。
Masa-san:20代の時にバンドやレコーディングの真似事にのめり込んでおり、作詞作曲もたくさんしました。序盤に登場したモチーフが後半でリフレインしたり、フックとなるような演出から前後の展開に緩急を加えたりなど、そういった演出をしていた経験が活かされたシーンになったと思います。また、写真も長い間やっており、カメラワークを考えることも楽しいです。私は漫画を“画面サイズを自由に変更できる映画”と考えています。
――今後はどのように漫画制作に取り組んでいきたいですか?
Masa-san:しばらくは仕事をしながら、Xに作品を投稿する生活を続けると思います。描きたい作品のストックがたくさんあります。ぜひフォローして新しい作品を催促してください。また、たくさんの人に読んでいただけることはとても嬉しいですが、私は数は少なくとも心に深く刺さるような作品を描いていきたいと思っています。私の作品が深く心に刺さって抜けなくなった人が、私の作品を原作に、自分の分野で作品を作ってくれると嬉しいです。