『さみしい夜にはペンを持て』著者・古賀史健×教育YouTuber・葉一対談 ぼくらが中学生に「書くこと」を推す理由

左から『さみしい夜にはペンを持て』の著者である古賀史健氏と教育YouTuberでありYouTubeチャンネル『とある男が授業をしてみた』が高い人気を誇る葉一氏

「書くことは最もストレスなく、自分の思いを形にできる手段」(古賀史健)

”ぼくは、ぼくのままのぼくを、好きになりたかった”

  古賀史健さんの新刊『さみしい夜にはペンを持て』は、そんな一文からはじまる。世界累計1000万部を超えた『嫌われる勇気』の共著者で、ブックライターとしてビジネス書を中心に数多くのロングセラーを連発してきた。自著『取材・執筆・遂行』などでは、実践的な文章の書き方を指南し、多くのライターにとって良き教師であり、良き目標でもある。

  しかし、古賀さんが『さみしい夜~』で想定した読者は、なんと“中学生”。しかもタコジローというタコの少年を主人公にした物語で、「書くこと」の意義と楽しみを伝えるという。なぜ中学生に向けて書いたのか? 「書くこと」をおすすめする理由とは? そんな疑問を、すでに中学生を中心にチャンネル登録者193万人と絶大な人気を誇る教育YouTuber・葉一氏と探ってみた。

 「中学生だからこそ、真摯に」ことに向かう、想像以上に波長のあった2人の対談、その前半をどうぞ。

勉強より、体験が“掛け金”になる。

――お二人とも「はじめまして」ですよね。 互いのことを知っていらっしゃいましたか?

古賀:葉一さんのお名前は著作である『自宅学習の強化書』で知っていました。けれど、YouTube動画は今回対談のお話があってはじめて拝見した。率直に「自分が中学生のとき、葉一さんがいてくれたらなあ」と思いましたね。

葉一:おお、うれしいです(笑)

古賀:単に数学や英語をわかりやすく教えるのではなく、葉一さんって勉強を通じて「人生の攻略法」を教えているんですよね。

  勉強ができるようになると「あの高校に行けるかもしれない」「大学でこんなことができるかも」と将来への掛け金みたいなものが少しずつ増えていく。今いる場所がつらくても、勉強すればそこを抜け出す、将来の希望が見いだせる、というか。葉一さんが、単に勉強法だけではなく、人生や生き方に関するお話をよくされるのも、そうした意図があるんだろうなと感じたのです。

葉一:YouTubeの活動をしていると、大人が想像する以上に子どもたちが不満や不安を感じてもがいているなと感じるんです。「彼らの背中を押して上げたい」という思いは、確かに強くあります。ただ私がみんなに届けたいのは決して、学力の向上じゃないんですよね。学力以前に、勉強で得られる「成長実感」が大切だと考えています。

  何かがんばった結果、自分の成長を実感できる。そんな自己肯定感に繋がる経験が増えると以降の生き方や考え方って変わる。スポーツでも芸術でも何でもいいんだろうけど、勉強ってそんな成長時間を最も実感しやすいジャンルだと思っているんです。

古賀:うん。やっぱり中学時代に出会いたかったなあ(笑)

――葉一さんは、古賀さんをご存知でした?

葉一:『嫌われる勇気』はもちろん読んでいました。実は古賀さんのnoteもたまに読んでいたんです。でも、2つがつながっていなくて。今回「えっ、同じ人だったの!?」と驚きました。ただ、今は完全に『さみしい夜にはペンを持て』の著者というイメージですね。今回の本、すばらし過ぎたので。

古賀:ありがとうございます。

葉一:実は大学に入るまで、マンガ以外の本を読むことはほとんどなくて……。今は本が好きになりましたけど、それでも活字の本を一気に読み切ることができないタイプなんです。けれど、この本は気付いたら読み終えていました。これまで中学生の子たちにいつも決まった作家さんの本を薦めていたのですが、今後は『さみしい夜にはペンを持て』も薦めさせてもらいます。

中学生は簡単に「うん」とは言わない。

――すごい(笑)最高の褒め言葉ですね。その『さみしい夜にはペンを持て』は、古賀さんが中学生に向けて「書くこと」を伝えたくて執筆された物語です。この本を書かれた経緯から教えてもらえますか?

古賀:「熱が出たから、このお薬をどうぞ」みたいな本に少し飽きていたんですね。これまでぼくがメインに手掛けてきたのは、そうした「何かの役に立つ」ビジネス書のフォーマットの本がほとんどでした。言い方を変えると「答えがいっぱい詰まっている」本です。

 今回の本と同じ「書くこと」を伝える本でも、たとえばライター向けにライティング術の本を書いたり、ライターのスキルをビジネスシーンに置き換えて「企画書や社内報を上手に書けますよ」と伝える本はすでにつくってきました。

  けれど、そうした直接的な損得を強調すると、もっとシンプルな読書の「おもしろさ」から遠ざかっている気がしていたのです。書くことに関しても、もっと根っこにある「書く楽しさ」をスポイルしてしまう気がした。 なので、まず書く楽しさをシンプルに伝える本を、しかも明確な答えがない本を書きたかったのです。

――中学生をメイン読者に想定された理由は?

古賀:損得ではなく「おもしろいものが読みたい」と本をとってもらえるのは誰か? 同時に孤独で、さみしくつらい思いを抱いているんだけれど、相談する相手も見つけにくいのは?  そう考えると、中学生だなと思いあたったんですね。過去の自分を振り返っても中学の頃は損得で本なんて選んでいなかった。また心の内側の思いと、外に出す言葉がつながらず、もどかしさも抱いていました。彼ら中学生たちに損得の答えではなく、生きるヒントのようなものを伝えたい。そんな気持ちが強かった気がします。

――葉一さんは配信者として、すでに多くの中学生のファンを持っていらっしゃいます。『さみしい夜には~』を読んで、「このあたりは中学生に刺さるだろうな」と思われたところはありました?

葉一:主人公のタコジローが最後、絵に描いたようなハッピーエンドを迎えないところです。中学生のタコジローが、学校の人間関係に悩み、つらいときに、ヤドカリのおじさんと出合う。そして勧められた「日記を書くこと」を通して自分の頭で考えて、心と行動を繋げられるようになる――。そんな物語を通して、タコジローは成長するんだけど、キラキラとした未来が開かれるラストシーンは描かれていないんですよね。そこがとてもリアルで、中学生には共感しやすいだろうなあと。

――キラキラした未来が訪れないほうがリアル?

葉一:そう思います。実世界で、劇的な変化だとか、キラキラしたエンディングなんてほとんど起きませんからね。リアリティのない物語を声高に伝えられても「自分とは関係のない話だ」となる。ただ世界は劇的に変わらないけれど、そこに向ける自分の目、解釈は変わるんですよね。タコジローにあった変化はそれだと思う。

古賀:ぼくはこの本を書くとき、いつも以上に「ウソをつかないようにしよう」と意識しました。中学生って「大人のウソ」に敏感だと思うんです。以前、瀧本哲史さんと『ミライの授業』という本を作ったんですね。そのとき、全国の中学校を7~8校回り、中学生と話す機会があった。

  校風も学力もバラバラなんですが、共通していたのが純粋な眼差しでした。よそ者の大人がやってきて講演する。警戒心と共に「このひとの話にウソはないか」と見抜こうと目を見開いているのをひしひしと感じた。大人がついているウソを見抜くし、ときにはウソを信じたフリもする。

葉一:しますね。

古賀:そう。村上春樹さんが15歳の少年を主人公とした『海辺のカフカ』という作品を書かれたとき、「15歳がそんな大人びた考え方をするはずがない」と反論が届いたらしいんです。しかし村上さんは「あなたたち大人は、中学生を甘く見すぎている」という意味のことをおっしゃっていた。まさにそうだと思うんです。

  だから今回、単純なハッピーエンドにしなかったのも、「本当にそんなにうまく行く?」と勘ぐられると思ったからです。ウソを見抜く中学生だからこそ、真摯に物語を書く必要があった。書いている間、ずっと各地で見た中学生の眼を思い出し、プレッシャーを感じていましたね。

葉一:今の中学生はとくに嘘に敏感ですよね。日常的にSNSで玉石混交の情報にも大量に触れていますから、目も肥えている。YouTubeの動画も同じで「本気で楽しんで撮っているかどうか」が伝わってしまう。YouTubeでの活動を楽しんでいないYouTuberの多くは消えていく気がしますね。そこを見透かされてしまうので。

古賀:おもしろい。おもしろいし、恐ろしくもありますね。

葉一:ええ。ただ、やっぱり「おもしろい」が上だと思います。裏を返せば、中学生たちは、こちらが本気の言葉を投げかけたら、真剣に、まっすぐに受け止めてくれるってことですからね。

――古賀さんは、今回中学生であるタコジローの物語にリアリティをもたすために、彼のセリフや感情の動きなど苦労しませんでした?

古賀:苦労しました。この本は中学生のタコジローとヤドカリおじさんの会話で成り立つ部分が多いのですが、おじさん側の喋るセリフはなぜか苦もなく出てくる。ところが、タコジローのセリフやリアクションがやっぱり出てこないんです。

  そこで編集担当の谷さんに、いろいろ指摘をうけて修正していきました。彼女は母親でもあるし、麹町中学校に取材にも行って現役の中学生と触れ合ってくれていたので、彼女の指摘には全面的に「おっしゃるとおりです」と修正しました。普段は、そんなに編集者の意見を丸呑みしないタイプなのですが(笑)

――修正の支持で、印象深かったところは?

古賀:ヤドカリおじさんが何か諭したあと、ぼくはけっこうタコジローに「へぇ。そうなんだ」とすぐ納得させていたんですね。しかし谷さんは「中学生がこんな簡単に納得するはずがない」「『これは違うんじゃないの?』と反発したり疑問を抱いたりするものだ」と。

葉一:そういうシーン、確かに多くありましたね。実際「そうかなあ?」と思いつつ、口に出せない子も多いんです。タコジローのあの反応を読んだ中学生が「あ、言っちゃっていいんだ!」と感じてくれたら、いいなと思いながら読んでいました。そうだ!  ひとつ質問していいですか?

古賀:もちろん。

葉一:表紙を開いた最初の1ページめが「ぼくはぼくのまま、ぼくを好きになりたかった。」の一文ではじまるじゃないですか。あれを読んだ瞬間、「これ絶対いい本だ」って確信したのですが、この一文にどんな思いを込めて、書かれたのでしょう?

古賀:実はその一文は最初の原稿には入れていなかったんですよ。それこそ編集の谷さんと一緒に話し合っていく中で「冒頭に何かひとこと入れたいね」という話になって。「この本をひとことでいったらなんだろう?」と考えて、最後に入れた言葉なんです。

葉一:おぉ。そうだったんですか!

古賀:そうなんです。よく「ありのままの自分でいなさい」って言い方、されますよね。でも内面を掘り下げるプロセスって難しくて、逆に迷路に入り込む。けれど、「ありのままの自分」じゃなくて「ぼくのままのぼく」と、少し主語を変えてやると、何か自分が他人に見えてくる。客観視できる気がするんです。すっと自分のこころの中に入っていける。

葉一:ぼく、中学時代いじめられていて、そのことを発信していることもあるのか、悩んでいる子どもたちが本当に多く来てくれるんですね。古賀さんがおっしゃるとおり、大人はそういう子たちに「ありのままでいい」と伝えるけれど、「ありのままの自分がわからないから悩んでいるんだよ!」と困る子も多い。しかし「ぼくのままの」と言われると、悩んでいる自分を含めてそれでいいよと言ってもらえている気がする。受け取り方が違うと思うんですよね。天才だなと思いました。

古賀:この一文、入れてよかった(笑)

葉一:あとインパクトがあったのが、ヤドカリおじさんが、書く表現に悩むとき「光景をスローモーションで書いてみたらいい」とアドバイスするシーンあるじゃないですか。あそこも印象的でした。

同じ「アイスを食べた」って一文も、アイスを食べたくなった気持ちや冷蔵庫までとりにいく袋をあけて、食べてどう感じたか……とゆっくりと細かに描写するとまったく違う情景が浮かぶ。

古賀:普通は「丁寧に描写しなさい」で終わっちゃうんですよね。

葉一:そうなんです。それをスローモーションで……と伝えるだけで、「ゆっくり流れている時間を切り取ればいいんだ」とわかる。私が学生のときに聞きたかったです。今後、子どもたちにアドバイスするときに使わせてください(笑)

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「著者」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる