『機動戦士ガンダム 水星の魔女』に感じる“喉越しの良さ” 第16話「罪過の輪」のスピード感を振り返る

 プラントクエタでの戦闘後、散り散りになっていたキャラクターたちが再びアスティカシアへと集まってきた第16話「罪過の輪」。グエルとミオリネの帰還、やっぱりエアリアルの中にいたエリクトVS強化人士5号、怪人プロスペラ&ベネリットグループ総裁選突入と、相変わらず内容盛りだくさんな回だった。

 やはり今回一番強烈だったのは、とんでもない怪人ぶりを発揮してきたプロスペラだろう。冒頭からいきなりエリクトとエアリアルの関係をおさらい(ベルメリアを追い詰めながら)しつつ、強化人士を実現した技術はカルドが認めていなかったことが明かされる。データストーム耐性のある神経を人間に埋め込むなんて、聞くだに危なそうだもんな……。常識人っぽい雰囲気だったけど、ベルメリアもやっぱりちょっとおかしいのである。

 そしてプラントクエタ以来の再会となったスレッタとミオリネ。第一シーズンラストの「人殺し……」のセリフは、正直ちょっと唐突というか、「この2人がそれまでに積み上げてきたものを考えたら、いくらなんでもそんなこと言うかな~?」とは思っていた。あそこで普通に会話してたら第二シーズンへの引きにもならないわけで、あれはあれで作劇上の理由もあったのだろうが、どうにもモヤッとしたのは事実である。

 このモヤモヤした点に関しては、今回のミオリネの謝罪によってある程度説明されたと言っていいだろう。そこからまたプロスペラを盲信するスレッタの異常さが浮かび上がってしまったのはキツいが、第二シーズンになってもミオリネがまたスレッタの言動に愕然としたりしないあたりが『水星の魔女』のいいところである。今回はこの擦れったの異常さが「ミオリネがプロスペラのところに直で殴り込む」という展開につながり、そこで父デリングがプロスペラ親子の仇であることがプロスペラによって説明される。この一連の流れをもたつかせずコンパクトにまとめるスピード感。このスピード感こそが、『水星の魔女』の喉越しの良さの源泉である。

 しかし第二シーズンのミオリネは強い。親の因果が子に報い……となりそうなところを「大人は大人で勝手にやってろ」と突っぱねる様子からは、ストレートにキャラクターの成長が見てとれる。10代の若さであっても、もともと優秀な人間が鉄火場をくぐれば、変な仮面を被った義母とバチバチにやりあう度胸も胆力もつく……。キャラクターの成長とその根拠に気が配られているので見ていて引っかかるところがなく、安心して会話劇を見ていられるのが嬉しい。

 もう一点、今回あまりにも鮮やかな手際でびっくりしたのが、「グエルがすぐ帰ってきた」という点である。

 ガンダムシリーズは、その第一作から「少年と、そのメンターとなる年長の人物」を描いていた。アムロはランバ・ラルと出会って、戦士としての生き様と死に様とはどういったものかを学び、さらに過酷な戦いへと進んでいった。以降もガンダムシリーズでは「主人公を導く年長者」(もしくはそういった人物の不在)が何度か描かれてきたのである。

 先週登場したオルコットは、まさしくそんな「シブいおっさん」枠のキャラクターにしか見えなかった。落ちるところまで落ちて腹を括ったグエルに、ぶっきらぼうながら闘うことや生きることを教え、最後には何かやむを得ない理由のために体を張って、ここしかないというタイミングで死ぬ……。グエルくんはオルコットさんから行き方も戦い方も学んで、父親像を重ねてみちゃったりして、一通り鍛えられてから終盤の美味しいところで再登場するんだね……と思っていたわけである。

 ミスリードだった。グエルくん、軌道エレベーター使って速攻で帰ってきとるやんけ。今回一番驚かされたのはこれである。考えてみれば、前回ラストのオルコットとグエルの様子を見て大体上記のような内容がおれですら予想できてしまったわけで、「少年とシブいおっさんのロードムービー的なやつ」をわざわざやっても意外性は薄い。ありがちなネタをなぞって時間を浪費するくらいなら、キャラクターを高速で鉄火場に戻す。それが『水星の魔女』なのである。

 グエルの高速帰宅は、今後の展開を読みづらくする効き目もある。地獄めぐりをして腹を括ったであろうグエルには、今後どうしていくかのプランが明確に存在しているはずだ。もしかしたら、道中でオルコットにそれを語ったかもしれない。しかし、我々視聴者にはそれは知らされていない。なぜならグエルくんが速攻で帰ってきちゃったからである。

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