『聖闘士星矢 The Beginning』は原作ファンの心をくすぐる すべての“蟹座”のためにも続編を

 任天堂のゲームから生まれたマリオが大活躍する『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』が、全世界で10億ドルの興行成績をあげて快進撃を続けている。日本では『マリオ』と同じ日に公開され、同じように日本で生まれた作品が原作の『聖闘士星矢 The Beginning』は勢いの押され気味だが、観れば車田正美の漫画『聖闘士星矢』の要素を取り入れた上で、大人も楽しめる新しいヒーロー物のバトルアクションとなっている。

 ギリシアのアテネにある遺跡に来た観光客が、空から振ってきた傷だらけの少年や、地上に開いた大穴を観て驚く場面から始まった漫画『聖闘士星矢』。その少年が星矢という名で、聖闘士(セイント)となるための訓練を受けていること、聖闘士は戦いと知恵の女神アテナを守るために存在していることが明かされた先、命懸けの訓練を勝ち抜いた星矢が聖衣(クロス)と呼ばれる特別な装備を手に入れ、日本へと戻ると今度は同じように聖衣を持ち帰った者たちとの戦いが待ち受けていた。

 厳しい修行があり、強大な敵との戦いがあり、絶望的な状況からの覚醒があって勝利を掴み、そして次のもっと強大な敵を相手にした戦いがある。『アストロ球団』や『ドラゴンボール』『北斗の拳』に描かれ、『幽☆遊☆白書』や『OE PIECE』『BLEACH』などに引き継がれていく「週刊少年ジャンプ」の連載作品に付きもののバトル要素が、隅々まで詰まった漫画が『聖闘士星矢』だった。

 城戸沙織というお嬢様の下で、青銅聖闘士(ブロンズセイント)たちのトーナメントが見世物のように繰り広げられる。聖闘士は常人よりちょっとだけ強い格闘家のような扱いだが、そうした聖衣の扱いに元締めとも言える「サンクチュアリ」が怒って刺客を送り込んで来たことで、戦いは社会の枠組みを外れた場所での異能者たちの戦いとなる。そして、城戸沙織が女神アテナの生まれ変わりだと判明したあたりから、こちらを正義としてサンクチュアリに陣取る教皇を敵とした壮絶な戦いへとエスカレートしていく。

 これに誰もが興奮した。教皇側についた黄金聖闘士(ゴールドセイント)たちを相手に、星矢や紫龍、氷河、瞬、そして一輝といった仲間たちが圧倒的な不利をものともしないで挑み、傷つきながらも戦い突破していく「黄金聖闘士編」の展開に、大げさではなく何百万人もの読者が惹きつけられた。『鬼滅の刃』で無限城を舞台に、鬼殺隊の面々が鬼舞辻無惨や上弦の鬼たちを倒していったクライマックスなり、オール・フォー・ワンとヴィラン連合を緑谷出久やヒーローたちが迎え撃つ『僕のヒーローアカデミア』の現状にも重なる興奮の連続だったと言えば、今の読者にも興奮度合いが少しは通じるだろう。

 そうした「黄金聖闘士編」の面白さを味わいたいと考えている人には、映画『聖闘士星矢 The Beginning』はもどかしく感じそう。原作漫画の第2巻から登場してくる紫龍や氷河、瞬といった後の仲間たちは映画には出てこず、友情がもたらす勝利というジャンプ漫画ならではの要素も描かれない。そのような作品のどこが『聖闘士星矢』なのかと問われそうだが、だからこその"ザ・ビギニング"なのだと映画を観れば思えるはずだ。

 原作漫画で星矢は、城戸光政の元から世界各地に修行に出された100人の子供たちの生き残りとして聖衣を手にする。最初は城戸沙織が打ち出した大会に反発するものの、生き別れの姉を探す手がかりを得ようと参加を決め、戦いを通じて少しずつ聖闘士になった意味を感じ、城戸沙織=アテナに味方し正義を守る戦いに身を投じる決断をする。対して映画のセイヤ(星矢)は、何者かに連れ去られた姉を探しながら地下格闘技の世界に身を投じ、戦っていたところをコスモを内に秘めた存在として見いだされ、アテナの生まれ変わりとされるシエナを守って欲しいと頼まれる。

 コスモのことも、アテナのことも知らないセイヤにはまったく意味が分からない状況だが、それは観ている側も同じだ。原作漫画やアニメの『聖闘士星矢』の記憶からいったん離れた場所に立ち、セイヤといっしょに起こっている状況に戸惑いながら、展開に身を委ねていける。シエナを養育しているアルマン・キドが本当に正しいのか、それともキドと袂を分かちシエナがアテナとして目覚めて世界を滅ぼすのを防ごうと、武装を進めているヴァンダー・グラードの方が実は正しいのか。迷いながらもとりあえずキドにつき、仮面をつけたマリンという女性の下で修行をするセイヤに自分を重ねて成長していける。

 その過程で、岩の上に置かれた石を素手で破壊するという、漫画にもあった描写が繰り広げられるところが古くからのファンの記憶をくすぐる。一方で、アクションに関しては映画と漫画やアニメとでは趣が異なる。コスモの総量がそのまま力の強さとなって、殴るか蹴るかすれば弱い方が砕かれる原作とは違い、映画はセイヤが激しく動いて敵のパンチやキックをかわすようなところがある。カンフーの組み手やキックボクシングの試合に雰囲気が近い。

 だからこそ、スリリングなシーンが連続するアクションを長く楽しめるところがあるが、「ペガサス流星拳!」なり「廬山昇龍覇!」といった技名を叫びながら拳を突き上げる"見開き"シーンの衝撃はあまりない。そこが映画への違和感にも繋がっている。評価に迷う部分だが、戦隊ヒーロー番組やカンフー映画に慣れた目には楽しく見えるバトルシーンだと割り切れば、これはこれで面白く見られる。

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