『どうする家康』今川義元、本当はどんな人物だった? 本や漫画から考察

今川義元、本当はどんな人物だった?

 現在の静岡県に該当する駿河と遠江、そして愛知県の三河を支配していた戦国武将、今川義元。「海道一の弓取り」の異名を持ち、武田信玄や北条氏康など、有力大名から恐れられていたといわれる。

 また、後に天下を取る徳川家康を人質にとり、家康の人生に大きな影響を与えた。強大な力を蓄えた義元は満を持して西へ進み、尾張で織田信長軍と交戦。2万5千の大軍を率い、大優勢だったが、わずか2000人の織田軍に桶狭間で討ち取られ、命を落とす。この後織田信長が台頭し、隆盛を誇った今川家は没落の一途を辿ることになった。

 2023年のNHK大河ドラマ『どうする家康』では野村萬斎が演じ、第1回の放送で桶狭間の戦いが描かれた。また、回想シーンで家康にアドバイスを与えるような場面もあった。日本の歴史で知らないものはいないともいわれる桶狭間の戦いと今川義元。大群を率いながら手負いの信長に破れたため「凡将」とされているが、本や漫画ではさまざまな「描かれ方」をされている。

『今川義元 知られざる実像』小和田哲男


 静岡大学名誉教授で、大河ドラマの時代考証を務めた経験を持つ小和田哲男氏が今川義元の実像に迫った「今川義元 知られざる実像」。

 大優勢でありながら信長に敗れた凡庸すぎる武将ではなく、寄親・寄子制度を導入するなど優れた政治力、幼少期の徳川家康との関係、そして「今川義元が油断していたため討ち取られた」となっている桶狭間の戦いについて、詳しく解説している。

 今川義元という武将がなぜ力を持ち、最終的に命を落としたのか。それを知りたい人におすすめの本だ。

『太原雪斎と今川義元 東海に覇を唱えた軍師と名将』江宮 隆之 


 今川義元の人生において切っても切れない関係だったのが、教育係であり、軍師でもあった太原雪斎だ。

 太原雪斎は今川義元が家督を継いだ後、軍師として君臨する。義元が行った政治はすべて雪斎の発案ではないかという説があるほど、内政・外交・軍事に高い能力を発揮した。「桶狭間の戦い」は雪斎の死後に発生していることから、「彼が生きていれば起こらなかったのではないか」という声も根強い。

 2人の関係性や活躍、そして最後を描いた書籍が「太原雪斎と今川義元 東海に覇を唱えた軍師と名将」だ。今川義元の隆盛と繁栄、そして没落と太原雪斎の関係性が分析されている。

 検証桶狭間。敵将・今川義元は信長を高く評価し、背水の陣で決戦に臨んでいた!

 桶狭間の戦いを詳しく検証したのが、「検証桶狭間。敵将・今川義元は信長を高く評価し、背水の陣で決戦に臨んでいた!」だ。

 この本は主に信長側から桶狭間の戦いを検証した本で、今川家によって滅ぼされる可能性があった信長が桶狭間に向けてどのような用意をしていたのかなど、背景を詳しく分析。「手負いの信長が決死の突撃で義元を討ち取った」とされる説が真実であるか否かを解説している。

 日本では弱い者が強い者を倒すことを「桶狭間」と呼ぶこともある。歴史上最大の逆転劇とされる桶狭間の真実に迫る一冊だ。

 長年桶狭間の戦いで破れたことや、「馬に乗れない」「公家のような身なりをしていた」という通説から、「凡庸」「無能」などと言われ続けてきた義元だが、最近はその評価を見直す声がある。

 本当の今川義元がどのような人物だったのかを、本で確認してみてはいかがだろう。

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