若者の「させていただく」は大人への配慮? 不特定多数とのコミュニケーションによる言葉の変化

「させていただく」の使い方

「させていただく」から感じる他者を傷つけたくない気持ち

 『「させていただく」の使い方』の中で、著者は、「させていただく」に抵抗感の少ない若者たちが大人配慮に心を砕くようになっていることに触れ、「芸能人だけでなく私たち一般人も、直接顔を合わせないまま不特定多数の人と対話をするコミュニケーション形態が増えているといった事象」があり、「相手がどんな人かわからないから、失礼の内容に無難な物言いにしておこうという気持ちから『させていただく』を使って安心・安全な距離をとっているわけです」と書いている。

 先日、これと同じようなケースがあった。友人が引っ越しについてツイートしたのだが、その後に、引っ越しへの不安やマイナス面を丁寧に綴った。不特定多数の方が目にするSNSに書き込むから、さまざまな背景をもつ方に対して配慮しなくてはならないのだろう。

 というのも、同じようなことが筆者にもあったのだ。通算17年の海外生活にピリオドを売って帰国したばかりの頃、子どもの幼稚園の保護者の集いで家族について話すことがあった。その場は和やかにすぎたと思っていたが、後日「家族間がうまくいっていないご家庭もあるので幸せ自慢と受け取られるような話は控えた方がいい」と注意されたことがあった。「家族円満のときは聞き役に徹するほうが円滑なコミュニケーションをはかれる」と言うのだ。

 こういった「配慮」は、年々求められるようになってきていると感じる。一方で発信する機会は増える。傷つけたくない、傷つけた事実に自分も傷つきたくないという気持ちが強くなり、「させていただく」の乱用につながっているようだ。

 『「させていただく」の使い方』は、筆者が求めていた答えを与えてくれる本ではなかったが、現在進行形で多用される言葉をどう捉えるべきか、と、敬語も謙譲語も多用されることで敬意が失われていくといった新しい視点は得られた。今はまだブームの真っ最中にある「させていただく」も、数年すると使い古され、敬意が感じられなくなり、新たな言葉が取って代わるのだろう。

 ならば、誤用だとめくじら立てて修正するのもおかしな話で、むしろ今しかない「させていただく」を楽しんだ方がいいのかもしれない。

 ということで、これからは乱用しない程度に使わせていただきたいと思う。

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