鈴木涼美×島田雅彦×宮台真司『ギフテッド』鼎談【後篇】「母の不在という名の影響はいまだに確実に受けている」

鈴木涼美×島田雅彦×宮台真司 鼎談【後篇】

 第167回芥川賞候補になった鈴木涼美の初中編小説『ギフテッド』(文藝春秋)について、本人、社会学者・宮台真司、作家・島田雅彦が語り合ったトークイベント「100分de『ギフテッド』」のレポート後篇。毒親や私小説といったテーマについて語った前篇につづき、後篇では母親と娘の関係性や芥川賞の裏側についても明かされた。司会はジョー横溝。(編集部)

鈴木涼美×島田雅彦×宮台真司『ギフテッド』鼎談【前篇】「娘を使って自己実現を図ろうとする行為は毒親的でありつつ私小説的」

親への反抗がなくなった理由

左、島田雅彦。右、宮台真司

宮台:涼美さんにお伺いしたいことがあります。90年代半ばから母親と娘が共依存関係にある「一卵性母娘」(速水由紀子の造語)が顕著に増え、反抗期を迎えることなく成人する女性が多くなった。しかし涼美さんはお母様の嫌がることのベスト3をすべてやってきたと以前から言っておられる。昔は涼美さんのように母親と確執があるような娘たちが普通にいましたが、今では珍しくなっています。

 その意味で、涼美さんは「昭和的な身体」を持っていらっしゃって、そのことがうまく小説に反映されたら良いなと思っていました。その点で期待通りの小説になっています。そこで質問です。女の行為が〈女〉を参照しがちなのは変わらないのに、母娘関係はむしろ〈女〉を参照した共闘関係のようになってきた現実を踏まえたとき、母親への反抗というものについて、どう考えていらっしゃいますか。

鈴木涼美

鈴木:夜の世界でいうと、かつては親や社会への反抗として不良化して入ってくる女の子と、逆に親の借金などの理由で入ってくる女の子の2パターンがあったのですが、この小説の舞台となっている2009年頃からの歌舞伎町では、そのどちらでもないパターンが増えていると感じます。親の車でキャバクラに出勤してきたり、イベントで指名が取れなくて罰金になっちゃうからと言って、お母さんが友達を連れてキャバクラに来たりするパターンですね。他の職業ですでにあった構図が、キャバクラ嬢にまで来たのが2010年前後からというイメージです。親公認のAV女優が急激に増えたのも2010年代でした。親も風俗嬢で、お前も売ってこいという特殊なケースは前からあったけれど、自らAV女優になりたいと言って親を説得したりするケースは、私が現役の頃にはなかったです。メディアで私の母親は絶対に私を許さなかったという話をすると「鈴木さんのお母さんは厳しすぎる」みたいな反応が返ってくることもあって。AV業界は、私がやっていた頃よりはたしかに健全化したと思いますが、親がAV出演を公認するような社会は果たして健全化したと言えるのかなと。

宮台:それは「世間問題」かもしれません。柳田國男を踏まえれば、日本には世間があっても社会はない。世間とは、社会に代わる標準化された参照点です。社会とは、見ず知らずの広汎な人間たちと共有するプラットフォームーーゲームプレイヤーにとってのゲーム盤ーーを大切にしようという規範的な構えに対して現れるビジョンです。これは「悲劇の共有」(ニーチェ)に由来するコミットメントです。

 社会的な記憶力が乏しい日本人にそんなコミットメントが生じたことはかつてなく、これからも永久にないかもしれません。代わりにあったのが「それじゃ世間は通らないんだよ」と参照できる界隈、つまり世間です。かつての親は「皆が見てるでしょ」的に世間を参照することで子どもを抑圧できたし、「お前は世間を知らないが、自分は世間を知っている」と偉そうにする親に、子どもが反抗しました。

 親が持ち出すのが社会であれ世間であれ、反抗期自体は普遍的で、子どもは「結局のところ自分もまた親と同じ小さな存在に過ぎないのだ」と受け入れることで反抗期を卒業するのも普遍的です。しかるに、社会と違って、世間は地縁共同体の想像的な延長なので、地域が空洞化すると世間も空洞化します。1960年代から始まった共同体の劣化で、今は親が背負える世間はもうなくなったのですね。

 だから、世間を背景にした親による抑圧が、あり得なくなったのです。これが、反抗期がなくなって、「一卵性母娘」が一緒に仲良くキャバクラなどに行くようになった理由だと考えられます。社会は規範的概念ですが、世間は事実的概念です。規範は、状況がどうなっても貫徹すべき構えですが、事実の参照は、事実が消えればそれを学習するので、なくなります。残るのは、仲の良さだけになります。

島田:かつては「世間様にみっともないことをしちゃいけない」という形でのモラルがありましたが、宮台さんの仰るように世間の機能がどんどん落ちているのだと思います。例えば、鈴木涼美さんが日経新聞の記者だった当時、AVに出演していたことがわかってスキャンダルになりましたが、それを面白おかしく報道しようとしたおっさん達には「世間様にみっともないだろう」という感覚があったのだと思います。だから彼女の両親にインタビューをするわけですが、どうコメントするのか楽しみにしていたら、お父様は「これも一つの自己表現だから良いじゃないか」と。それは涼美さんが言うように、娘を溺愛していたから嫌われたくないという想いもあったのかもしれないけれど、彼は舞踊評論家だったから理解があったのかなとも思います。芸能の世界では、娘を成功に導くという形でサポートするステージママというのは昔からいますよね。もしかしたら、AV公認の親たちはステージママ的な振る舞いの延長にあるのかもしれません。

芥川賞の裏側

ーー改めて、芥川賞選考の裏側についてもお聞きしたいです。

島田:選考の場所は料亭で、コの字で座るんですけど、端っこの上座に3人並んで、その3人が偉いわけ。1番古いのが山田(詠美)だから真ん中にいて、その両脇を川上弘美と小川洋子が固めて、その逆側の端に私と奥泉(光)さんがいます。座の左側は僕がヒール席と名付けていて、そこには石原慎太郎が座っていました。そのあとは村上龍で、今はなぜか川上弘美が座っている。

 今回の受賞作は、正直なところ私と小川洋子さんは何が面白いのかよくわからなかったです。でも、票が割れるのは予想していました。なぜかというと、芥川賞は選考委員がそれぞれ一推しに○を付けて、そうじゃない作品は×、積極的には推さないけど受賞に反対はしないという消極的な肯定は△なんですね。選考委員が9人いて○は1点、△は0.5点で、5点を取れば受賞だから、△がいっぱい付いていたほうが細く稼げるので有利なんです。だから、必ずしも誰かが強く推した作品が選ばれるとは限らない。涼美さんの作品は他の作品より少し×が多くて、受賞作は△が多かった。あと、『ギフテッド』を推していた吉田修一が体調不良で最終投票に参加しなかったのも残念でした。選考委員の体調や色々な偶然もあるので、芥川賞も水物なんですよね。

ーー立ち入ったことを聞きますけれど、涼美さんは残念ながら受賞をできなかったことについてはどう捉えていますか。

鈴木:ノミネートされることが決まってからは、やっぱり超欲しかったんですけれど、最初に雑誌に載せていただいたときには、賞の候補にはならないと思っていました。時代性がすごくあるわけでもないし、オーソドックスで地味だし、文体も控えめにしたので。私、いろいろなものの選考対象から外れる人生だったから、アングラでやっている意識が強くて、そういう華々しいものとは無縁だと思っていました。SEX MACHINEGUNSとかが紅白出ようと思って活動していないのと同じで(笑)。だから、ノミネートされただけでもすごく嬉しかったです。

島田:ホストクラブで結果待ちをしていたと聞いたけれど。

鈴木:そうです。受賞したときに、記者会見で「どこで待っていたんですか」とか聞かれるじゃないですか。万が一受賞したときに「歌舞伎町のホストクラブで待っていました」と言いたいがために(笑)。手塚マキさんという作家でもあり、歌舞伎町のホストグループのボスでもある友人にお店の一角をお借りして、早い時間から入れてもらいました。私は場所さえ貸してくれればよかったんだけれど、手塚マキさんはちゃんとホストも用意してくれて。仲良しの友人たちと日経の同期とか何人かの編集者とかと一緒に待っていました。

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