住野よる、最新作インタビュー「分かってたまるかっていう気持ちが自分の中にやっぱりある」
――登場人物の中には、小楠なのかという小説家も登場します。作中では小説や映画化に対する彼女の思いも綴られていますが、これは住野さんの小説家としての考えでもあるのでしょうか。
住野:僕そのもの、ではないですね。僕は全てのキャラクターがこの世界のどこかにいると思っているので、小楠なのかが生まれた瞬間に彼女は僕の同業者でライバル。そういう意味では、ちょっと嫌いだし、僕とは違うところがいっぱいあります。例えば、小楠なのかは映画化の際に脚本には口出ししないって言っていますけど、僕はめちゃくちゃ口出しします(笑)。
――本作の冒頭に小説の映画化に関する小楠なのかのインタビュー記事があって、実はドキッとしたんです。映像化されると作品や小説家としての認知度が上がる一方で、どこか作品や作家のイメージが作家自身の元を離れて一人歩きしてしまう感じがありますよね。それも、本作で扱う「表の自分」と「本当の自分」の乖離と似たところがあるなと。住野さんは、そこはどう折り合いをつけたんでしょうか。
住野:折り合い、ついてないですね。今は小説家生活の中でだいぶ精神が落ち着いているほうなんですけど、いつまた自分がバケモノになるか分からないと思いながら生きています。それこそ、茜寧じゃないですけど、(「表の自分」と「本当の自分」との)付き合い方を悩み続けていくしかないかなと思いますね。「ハラワタ」の作中に流れている全体のテーマでもあり、僕がここ数年ずっと思っていることなんですが、決めつけちゃえばラクだけど、そうしないことが人間の尊厳かなと思っているので。
――それって、他者との関わり合いにおいても言えることですね。考え方や意見が違う人たちをシャットアウトしちゃうんじゃなくて、耳を傾けて考え続けることが何かを変えるきっかけにもなるかもしれない。
住野:そうだと思います。でも、同時にこの世のバグだなと思っているのが、そうやって考え続けて自戒する人の意見のほうが弱くなってしまうことなんです。自分が言っていることは間違っているかもしれないと、他の人たちの意見にも耳を傾けて自分で考え続ける人のほうが(人間の)あり方として良いと思うんですけど、考えている間に他の人の極端な意見や強い言葉ばかりがどんどん広まってしまっているように感じます。
次回作のテーマは?
――本書の刊行から1カ月ほど経ちました。読者の方々からはどんな反応がありましたか。
住野:「めっちゃぶっ刺さった」っていう人がいると同時に、「マジで意味分からん」って人もいっぱいいるみたいで、読者さんたちがちょっと困惑するぐらい賛否が分かれているみたいです。でも、全然それでいいというか、そうじゃなきゃっていう気持ちですね。小説を書くにあたって、「みんなに届いてほしい」「分かち合いたい」という気持ちと同じくらいの強さで「分かってたまるか」っていう気持ちが自分の中にやっぱりあるんですよ。だから、それがちゃんと結果として今回出ているんだなと思うと嬉しいですね。
――本作は、書店やライブハウスなど住野さんの「好き」が散りばめられているような印象もありました。
住野:そうですね。久しぶりに自分の好きなものを詰め合わせたような小説にしてみようと思いました。タイトルも最初はグロすぎるかなと思ったんですけど、僕がカッコいいと思っているものって、ただキラキラしているものじゃなくて、そこに気持ち悪さやちょっと猟奇的な部分があるものなんですよね。好きなバンドたちのライブを見ていて「この人たちは自分たちがカッコいいと思う音楽をずっとやっているんだな」と思ったのもあって、タイトルも自分が好きなものにしようと『腹を割ったら血が出るだけさ』になりました。
――自分が好きなものを詰め合わせた小説にしようと思ったのには何か理由が?
住野:小説を人のために書いているような感覚がちょっとあって。こういう話なら担当編集さんが面白いと言ってくれるとか、読者さんにもウケるんじゃないかとか。
――それって茜寧の「愛されたい」という感情に近いですね。
住野:そうですね。あと、樹里亜のアイドルとしてのプロ意識にも近い。人のために小説を書いているような感覚がある中で、「ハラワタ」を書いている途中にも自分のエネルギーを失っていくことがあったんです。その時に先輩作家さんに相談する機会があって「自分のために書いたほうがいい」と言われて、またエネルギーを取り戻せたんですよね。
――聞くところによれば、次回作は既に書き終えているそうですね。どんな物語なんですか。
住野:超シンプルな片思い小説です。今まで僕は小説内で歪んだ愛情表現をしてきたなと思っているんですよね。「ハラワタ」も「膵臓」も「くてくて(青くて痛くて脆い)」も、ちょっと一般的じゃない愛情表現をしてきた。だけど、次の作品は、特別なことは何一つない、ふつうの高校生の男の子が女の子に恋をするという話。自分がキュンキュンするためだけに書いた話です。周囲からどう見られるとか一切関係がなかった頃の、社会的立場があるから付き合うとかじゃない「好き」を、現在進行形の形で描きたかったんです。甘すぎて、書きながら吐きそうになりましたけどね(笑)。
――(笑)。少しも毒気はないんですか。
住野:いや、毒はあります(笑)。僕はやりたいことが1冊じゃ収まらないんですよ。『君の膵臓をたべたい』『また、同じ夢を見ていた』『よるのばけもの』の「春の花三部作」、『青くて痛くて脆い』『この気持ちもいつか忘れる』そして「ハラワタ」の「秋の植物三部作」ときて、次回作から「悪の三部作」にしたいと思っています。細かい悪から犯罪まで(笑)
――今までとはまた違う三部作になりそうですね。「悪の三部作」でもそれ以外でも、今後取り組んでみたいことは何かありますか。
住野:最近思うのは、僕がちょうどよく読んでいた頃の、2000年代のラノベのような作品を書いてみたいですね。『塩の街』や『バッカーノ!』『キーリ』とか、その頃「ラノベ」と呼ばれていたもの。自分は何に憧れて小説家になったのかといったら、そういう作品なんですよね。自分のために書いた「ハラワタ」が誰かに確かに突き刺さったので、今は自分のために小説を書いて誰かに刺さってくれればいいなという気持ちです。