逢坂冬馬×モモコグミカンパニー『同志少女よ、敵を撃て』特別対談 「戦いが終わった後も人生は続く」

逢坂冬馬×モモコグミカンパニー対談

人間はいかにして自分を肯定していくのか


モモコ:素朴な質問ですが、逢坂さんはなぜ戦争を題材にして小説を書こうと思ったのですか?

逢坂:難しい質問ですね。僕自身、戦争はもっとも忌避すべきものだと考えていますが、だからこそ文学のテーマにする価値があると捉えているのかもしれません。アマチュアの頃から、戦争の話はよく書いていました。

モモコ:『同志少女よ、敵を撃て』の前にも投稿はしていたんですか?

逢坂:そうです。12年ほど、長編なら年に1作のペースで投稿していたのですが、全然ダメで。才能のあるなしで言えば、どう考えてもない方だと思います。ただ、小説を書くのは好きで、ずっと飽きずに続けてこれたので、そういう意味では向いていたのかもしれません。書き続けることが苦労だとも思いませんでした。

モモコ:すごいですね……! 『同志少女よ、敵を撃て』は本当にデビュー作とは思えない完成度で、でも今のお話を聞くとやはり長年の積み重ねがあってこその筆力なんだと納得しました。私、今日は逢坂さんにいっぱい質問したいことがあって(笑)。参考文献がたくさんありますけれど、自分が経験していないことについて書くにあたって、どれくらいが資料に基づいたもので、どれくらいがご自身の想像力なのかを教えてもらえますか?

逢坂:歴史的な物語に関しては特にそうなんですけど、資料にあたるのは順番がとても大事です。歴史小説を書いたのは今作で2回目なのですが、1回目にナチス体制下ドイツの少年たちの群像を書いたことがあって、その際に未熟ながら資料の集め方のコツを掴んだと思います。まずは独ソ戦の通史とか大きな枠組みで書かれたものを何冊か読んで、そこから段々とディティールに入っていく。スターリングラード攻防戦はどうだったのか、ケーニヒスベルク市街戦はどうだったのか、狙撃兵はどういう感じだったのか、と専門的な領域に降りていく。その後、兵士たちの証言集などオーラルヒストリーを読んで、現場の空気感を想像していきます。でも、雪原に遺体が散らばっている光景なんて見たことはないので、そこはもう自分の想像力の限界との戦いです。戦争映画などが参考になりそうですが、映画はかっこよく撮ることを優先しているから、本当に知りたい情景はあまり描かれていなくて、意外と参考にならなかったりします。

モモコ:すごく勉強になります。私も初めて小説を書いたのですが、やっぱりまだ自分の経験とか見てきたものを軸に書くことしかできなくて。

モモコグミカンパニー『御伽の国のみくる』(河出書房新社)

逢坂:モモコさんの『御伽の国のみくる』、さっそく読みましたよ。これはれっきとした純文学だと思いました。アイドルに憧れている女性の物語ですが、モモコさんの立場で書くのはとても勇気がいる作品だったはず。僕はアイドル文化に詳しくはないですが、結構突き放したものの見方をしていて、興味深かったです。エッセイの『目を合わせるということ』も読んだのですが、この本は書き出しから素晴らしくて、「目を合わせるのが大切で、自分が相手を見ていて、相手も自分を見ている、それが成立しないといけない」という一文には大変感心しました。人は常にまっすぐに自分を瞳に捉えてくれる誰かを必要としているのかもしれない、というテーマは『御伽の国のみくる』にも通じていると感じました。

モモコ:たしかに、“目を合わせること”は私のテーマのひとつかもしれません。物理的な問題ももちろんあるけれど、真っ直ぐにお互いを受け入れ合うのはめちゃくちゃ難しいことだなと、普段から思っていました。『同志少女よ、敵を撃て』のイリーナとセラフィマの関係性からも、受け入れ合うことの難しさを感じていました。人の居場所は、単にどこかの組織に所属しているとかではなくて、他人が自分のことを受け入れて、ちゃんと見てくれているかどうかによって決まるものだと私は考えています。『御伽の国のみくる』にはそういうテーマも反映しているので、『目を合わせるということ』と関連付けてくださったことはとても嬉しいです。

逢坂:すごく現代的な小説だと思います。主人公の友美をはじめとして、基本的に登場人物たちは愛されたいという願望を抱いていて、「愛されている自分」というものを求めていくけれど、その「愛されている自分」は虚構だったりする。例えば実名でInstagramやFacebookをしている人にとっては、すごく切実なテーマなんじゃないかな。彼らは「こういう風に見られたい」と演出した自分が、だんだんと虚構の自分になっていく恐怖と戦っているのかもしれない。

モモコ:虚構の自分がどんどん本来の自分とかけ離れてしまう恐怖はありますよね。友美のアイドルになりたいという理想は、友美自身をすごく苦しめているんだけれど、キラキラしたものへの憧れはどうしたってある。アイドルのオーディションは、毎年何千人という女の子たちが受けて何千人も落ちる世界です。私は昔から、なぜアイドルのオーディションはこんなに倍率が高いのか、女の子たちはなぜそこまでしてアイドルになりたいのかに興味がありました。『御伽の国のみくる』の女の子たちは、逢坂さんの小説の主人公たちとはかけ離れたところにいて、比べるようなものではないけれど、やはり窮地に立たされているし、なんとか生き抜こうとしているという意味では切実だと思います。

逢坂:私はモモコさんの小説を読んで、人間はいかにして自分を肯定していくのかというテーマを読み取りました。友美だけではなく、堂々と「人の欲しがるものが欲しい」と言うリリアや、「自分を邪魔しない人が好き」と言う翔也も歪んでいて、なかなか恐ろしい世界だなと思いました。モモコさんは、この小説では誰に一番自分を重ねていましたか?

モモコ:きっと友美と私を重ねて読む読者の方が多いと思うのですが、実際には登場人物は全員が私の一部分を映し出していると思います。リリアがみんなが欲しがるものを欲しがる気持ちもわかるし、翔也の自分にとって都合の良い人が好きだという気持ちもわかる。自分の潜在意識の中にある感情を、キャラクターに託した感じです。逢坂さんは男性でありながら、女の子の心情をリアルに描き出していますが、どのようにキャラクターを生み出したのでしょうか?

逢坂:僕の場合は提示したい物語があって、そこから逆算して登場人物を作るという順番です。だから、女性であれ男性であれ、どの登場人物も体現すべきものがあります。戦争の中で散っていく人間のあり方を描こうと考えて、どういう立場でどういう価値観の人間を出すかを考えている感じです。

モモコ:なるほど。私は小説の書き方がよくわからないまま、プロットもなしに勢いで書いたんですけれど、逢坂さんはどこから手をつけているのかが気になりました。

逢坂:僕はまずテーマを決めます。書きたいことに関連する単語を並べて、そこからテーマを絞って、物語に落とし込む際は上から下まで全部固めてから書き始めます。今も昔も変わらずそのやり方です。最近はプロットだけで数万字になって、ほとんど脚本みたいになっていることもあります。僕は小説を書くのは旅みたいなものだと思っていて、いきなりアメリカをヒッチハイクで横断しますというタイプの人もいれば、この駅で何時の電車に乗って、ここで車に乗り換えてという風に綿密に計画を練るタイプの人もいて、私は後者ですね。でも、旅は常に思わぬアクシデントが起こるもので、実際に書き始めると登場人物が自分の想定とは違う方向に行ったり、意外な人物と出会ったりもする。旅がそうであるように、それが醍醐味だと思っています。逸脱しているときは、テーマを自分で再発見しているときだから。

戦いが終わった後も人生は続く


逢坂:『御伽の国のみくる』は、登場人物たちを安易に救わないところがすごく良くて、特に終盤でとある登場人物を突き放して描いた箇所は、小説の次元を一段階あげたと思いました。また、友美が最後には不毛な戦いから降りて、自立して生きていこうと決意したようにも読めました。僕は本業が会社員で、人事の現場を見ているんだけれど、流れ流れてやってきた人が「ここで生きていく」と覚悟を決めて、すごく成長するケースがたくさんありました。友美もまた、覚悟を決めたことで強く生きていけるのではないかと期待したのですが、モモコさんはどういう想いを込めましたか?

モモコ:甘っちょろい単なるエンタメ小説にはしたくないという気持ちがあったし、終盤での厳しいやりとりには自分の本音も込めていました。また、仰るように友美は最後に自分の足で立って生きていく覚悟を決めたと思います。友美には幸せになってほしい。この小説には少女性の儚さというテーマもあって、女の子は今ある若さの価値みたいなものに振り回されて葛藤するけれど、それはいつかは失われてしまうものなんですよね。もちろん、いつまでも綺麗な人もいるけれど、若さというのは失われるし、それを消費することによって承認欲求を満たしていると苦しむことになる。『同志少女よ、敵を撃て』でも、セラフィマたちが戦争が終わったらどう生きていくのかを話し合っていたけれど、戦いが終わった後も人生は続くんですよね。

逢坂:今の若者が抱いている、ある種の強迫観念みたいなものにすごく寄り添った小説だと思います。10代を人生のピークかのように演出し、若さを消費されることによって自分が輝くという考え方をしていると、モモコさんが言うようにどんどん人生が苦しくなっていく。でも、強迫観念の戦いから降りられたとき、本当の人生が始まるんだと僕も思います。『同志少女よ、敵を撃て』は、戦争が終わったところで物語を終えることもできたけれど、それではダメだと思ってエピローグを書きました。戦後の日常にも辛いことはたくさんあるはずだし、そして辛い現実の中にも見出せる喜びや希望が必ずあるはずです。そこでどう生きるかによって、人生は語れるのだと思います。僕の小説とモモコさんの小説が、同じように戦いから降りてエピローグで終わったのは、決して偶然じゃないはずです。

■書籍情報
『同志少女よ、敵を撃て』
逢坂冬馬 著
価格:2,090 円(税込)
刊行日:2021年11月17日
出版社:早川書房
https://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000014980/

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