『タコピーの原罪』しずかは男を破滅させる悪女なのか? 鬱漫画が打ち砕くファム・ファタル幻想

『タコピーの原罪』ファム・ファタル考察

ファム・ファタル幻想を打ち砕く

 そんな社会の歪さに翻弄される存在として、ヒロインのしずかの存在がある。彼女は美少女だ。タコピーは初めてしずかに会った時に頬を赤くして「ドキッ」として、彼女を助けようとする。もう一人、彼女を助けようとする存在がいる。同級生男子の東くんだ。

 東くんは、しずかとタコピーが「ある罪」を犯した現場を目撃する。東くんはしずかにキラキラした目で「助けて」と請われ、犯罪の隠蔽に加担してしまう。医者の子供であり成績優秀な学級委員長である東くんは、人としての道を踏み外していく。

 この時のしずかは、男を誘惑し破滅に導く「ファム・ファタル」として、物語の中で機能している。

 ファム・ファタルとは、運命の女という意味だが、男を篭絡し破滅させる存在として物語の中でよく登場する概念だ。かつてのハリウッドのフィルム・ノワール(犯罪映画)などでは定番のキャラクター像で、日本語では「悪女」のニュアンスに近い。

 このファム・ファタルというキャラクター像は、男性優位主義の社会を無批判に象徴してしまっているものだと近年批判されることが多い。男を破滅に導く悪女、というのは男性から見てそう見えるという話であり、別段、女性側は誘惑したつもりもないことが多い。

 本作で、しずかはタコピーや東くんを誘惑したのだろうか。彼女はただ可愛かっただけである。タコピーや東くんが勝手に「誘惑された」のだ。本作が巧みなのは、しずかのキラキラした顔のアップを、東くんやタコピーの視点として描く点だ。また別の人間の視点からは、しずかは汚れた小学生として描かれることもある。つまり、人によって見え方が違い、しずかのキラキラしたあざとさは、本人がそうしているわけではなく、東くんやタコピーがそう見てしまっていることを示唆している。

 しずかの視点に立てば、悲惨な境遇から抜けるには誰かに助けを乞う必要があったに過ぎない。偶然居合わせた同級生に助けを求めたら、彼がなぜか足を踏み外してしまった。しずかは、その悲惨な環境ゆえにそのようにしか振舞えないのだ。そして、その最初の成功体験ゆえに、しずかは次々と相手を破滅させるような行動に出てしまう。

 本作は、その作劇の巧みさでファム・ファタル幻想を見事に打ち砕いている。男を狂わす悪女がいたとしても、それはそのようにしか生きられない環境があるのだ。そして、本人の意思にかかわらず、女性にフィルターをかけて見てしまう男性側の視点の持ち方で、ファム・ファタルが生まれてしまうということを、本作は見事に描いている。

 しかし、本作は業が深いなと思うのは、そんなファム・ファタルは社会の構造問題を描きつつ、やはり抗いがたい魅力を放ってしまっていることを説得力を持って描いている点だ。ファム・ファタルに翻弄される物語は、男性側のマゾヒスティックな欲望をも象徴しており、どこか本作からは破滅の甘美さも感じさせる。この甘美さに抗えるかどうか、一読者として筆者は試されているような気分になった。

 ちなみに、もう一人のヒロイン、まりなは対照的にファム・ファタルになれない存在だ。彼女の場合、ファム・ファタルになれないために悲劇が訪れることが後に描かれる。

 本作は、悪女にならなければ生きられない環境を生み出すこの残酷な世の中を見事にあぶり出している。このような歪な社会で誰かをハッピーにするには、別の誰かを不幸にするしかないのではないか。

 発売された単行本は上巻となっているので、おそらく・上・下巻で完結するのだろう。雑な引き延ばしはなく、最後までコントロールされた作劇が楽しめるはずだ。どんな結末になるのか楽しみだ。

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