OKAMOTO’Sオカモトショウ連載『月刊オカモトショウ』
連載:月刊オカモトショウVol.5 『ヒロアカ』の熱さは、ヒネくれたマンガ好きの心も燃やす!
ロックバンドOKAMOTO’Sのボーカル、そして、ソロアーティストとしても活躍するオカモトショウが、名作マンガや注目作品を月イチでご紹介する「月刊オカモトショウ」。今回取り上げるのは、大ヒットコミック『僕のヒーローアカデミア』(堀越耕平)。2014年に週刊少年ジャンプで連載がはじまった“ヒロアカ”は、単行本の累計販売5000万部を突破し、テレビアニメ、映画、舞台など幅広いメディアで大ヒットを記録している10年代を代表するヒーロー漫画だ。最終章に突入し、再び注目を集めているこの作品の魅力をオカモトショウが独自の視点で解説!
オカモトショウが『ヒロアカ』に謝りたい理由
――今回紹介してもらうのは、『僕のヒーローアカデミア』。言わずと知れた大ヒット作ですが、ジャンプの連載が最終章に入り、さらに注目度を高めています。
オカモトショウ(以下、ショウ):盛り上がってますよね! もうね、最終章が本当に良くて。ずっと連載も追っかけていたし、面白いマンガなんですけど、さらにスゴいことになっているので、このタイミングで推薦したいなと。一般に広く受け入れられている作品で、誤解を恐れず正直に言うと、「マンガ好きを自負する人間が、わざわざピックアップして語るのも……」という思いもあったんです。すみませんでした!
――(笑)。連載スタートは2014年、現在8年目に入ってます。
ショウ:けっこう長くやっていますよね。ヒロアカが始まった頃の少年ジャンプは、『NARUTO―ナルト―』(1999年~2014年)、『BLEACH』(2001年~2016年)の連載が終わっていく時期だったんですよ。僕が高校生の頃は『NARUTO』『BLEACH』『HUNTER×HUNTER』なんかが輝いていたんですけど、ヒロアカがスタートした2014年はちょうど世代が変わっていく真っ最中だったし、「次のジャンプはどうなるんだろう?」という雰囲気もあって。
――ジャンプ的にも過渡期だったと。
ショウ:そうそう。ただ、ヒロアカは連載が始まったときから「これは絶対、人気出るでしょ」という感じがあって。同じくジャンプ作品でいうと『アイシールド21』に連なるような“アメコミにインスパイアされた日本のマンガ”という印象だったんですけど、世界観の作り込みもストーリーもよく出来ていたんですよね。ポップで飽きさせないし、ヒットが約束されてる雰囲気があったというか。実際、めちゃくちゃ人気が出たし、アニメや映画にもなって、コンテンツとして理想的な広がり方をしましたから。でも、冒頭にもお話ししたように、僕みたいなヒネくれたマンガ好きにとっては、あえてファンを名乗る理由がないと思っていたというか……(笑)。
――そんなショウさんが、ここにきてヒロアカに注目しているのはどうしてですか?
ショウ:クライマックスに差し掛かってからのブースト具合がすごいんですよ。連載を追っていたからこそ、「ここにきて、こんなにすごいことになるんだ!?」という展開に心を打たれたし、その熱さにやられてますね。
念のためあらすじを説明すると、ヒロアカの舞台は「個性」を持った能力者たちが大勢いる社会で。能力者たちをまとめている企業があり、主人公(“デク”こと緑谷出久)はヒーローを養成する学校に通っている、というところから話がはじまるんです。能力で悪さするヤツらもいるし、良いことに使う人たちもいるんだけど、ヒロアカはこの時代におけるヒーローの描き方――勧善懲悪や二項対立ではない――を最初からしっかり掘り下げていて。すごく意欲的な作品だなと思っていたんだけど、ここにきて、その描き方がさらに深まっているんですよね。ネタバレにならないようにザックリ話しますけど、あるタイミングで敵方がヒーローの防衛をものともせず、街を破壊してたくさんの市民の犠牲者を出すんです。で、ほんとはその敵方が生まれる背景には社会構造そのものや市民一人一人の行動も理由の一つなんですが、実はヒーローが直接そこに昔関係してたことがスキャンダルとして出ちゃうんです。それを聞いた市民が、全部ヒーローのせいだ!って非難するんですよ。
――なるほど……。
ショウ:デクは「この状況を変えないと」と果敢にがんばるけれど、孤軍奮闘の主人公たちに対して、民衆たちが石を投げるシーンがあって。僕にとっては、その場面が今の世の中を映しているように見えたんですよ。ネットが普及した結果、社会を良くしようと行動している人に対しても、出る杭は打たれるじゃないけれど、一斉に攻撃されることもあるじゃないですか。
――確かに。SNSの負の側面ですよね。
ショウ:攻撃する人は大多数ではなくて、実は一部の人だったりするんだけど、「みんながそう思っている」というふうに見えてしまう。そうすると「何もしないのがいちばん賢い」ということにならざるを得ないんですよね。ヒーローに石を投げるのは聖書にも出てくる古典的な描き方なんだけど、ヒロアカでは、それが今の社会に繋がってる感じがするのがすごいなと。今までほぼ姿が見えなかった「民衆」が出てきたことによって、いきなり社会とリンクしたというか、『エヴァンゲリヲン』の最後で、いきなり実写が出てくるようなリアルさがあるんですよね。しかもストーリーの軸は、いい意味でちゃんと“ジャンプのマンガ”なんですよ。
――なるほど! “友情、努力、勝利”のラインは守られている、と。
ショウ:“友情、努力、勝利”の定義はずっと変わり続けてるんですけど、ジャンプの看板を背負いながら、ここまで深く表現しているのはやっぱりすごいし、心意気を感じます。ヒーローの描き方でいう意味でも、ヒロアカは挟間の世代という印象があるですよ。その後にはじまった『呪術廻戦』(2018年~)や『チェンソーマン』(2019年~)は新世代というか、ジャンプとしては革新的なダークヒーローを描いていて。ヒロアカは王道を引き継ぎつつ、新しさを提示している作品だなと思います。
――ジャンプの過渡期に始まったからこそ、新しい作風を切り開けたのかも。
ショウ:そうですね。ちょっと自分たち(OKAMOTO’S)と重なっちゃう部分もあるんですよ、そこは。音楽業界が調子よかった最後の時期にデビューして、ヒットの法則みたいなものが変わっていくなかで活動を続けて。同世代のバンドもかなり姿を消したし、新しいバンドもどんどん出てきて、そのなかでどう戦うか?という。もしかしたらヒロアカの作者も、「もっとリアルに踏み込まないといけない」と思ったのかもしれないですね。もちろん、それを描き切るだけの力量、地力があったということですけどね。