京極夏彦が語る、妖怪と世相の関係性 「災厄が過ぎ去って、平時がもどって、やっとお化けは活躍できる」

京極夏彦が語る、怪談と世相

 〈巷説百物語〉シリーズの11年ぶりの新作『遠(とおくの)巷説百物語』が刊行された。一癖も二癖もある連中が様々な厄介ごとを「化け物退治」として落着させる時代小説のシリーズだ。柳田國男『遠野物語』で知られる遠野を舞台にした新作について、世界妖怪協会・お化け友の会代表代行でもあり、妖怪に関する造詣が深い著者の京極夏彦氏に話を聞いた。(円堂都司昭/8月14日取材)

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『遠野物語』が書かれた時点で日本民俗学はまだない


――『遠巷説百物語』は、KADOKAWAの雑誌『怪と幽』に2019~2020年に連載されたものです。このシリーズは同誌の前身『怪』にずっと掲載されてきましたし、他の小説を書くよりその新作を書くほうがいいと思ったのですか。

京極:思いませんでした(笑)。僕は別に書きたいものなどありませんので、仕事としてお受けして、依頼にお応えしただけです。〈巷説〉シリーズは『怪』の創刊零号から書いていますが、正直面倒なので、あまり書きたくはなかったんですが(笑)。

――(笑)。

京極:『怪』は、亡くなられた漫画家・水木しげるさんの旗振りで作られた「世界妖怪協会」の機関誌です。僕は刊行前から水木さんの忠実なしもべとして(笑)、荒俣宏さんなんかと一緒にオブザーバー的に関わっていたんですが、その当時は「お化けの雑誌なんか売れそうもないから出せません」みたいな感じで、どこも相手にしてくれなかったんです。そんな中で角川書店(現・KADOKAWA)の某氏が手を上げたんですね。僕はデザインなんかで協力することになっていて、小説を執筆する予定はなかったんですが、その某氏に謀られて(笑)ぎりぎりになって小説を書くことになった。そこで急ごしらえで作ったのが『巷説百物語』(1999)なんですね。とはいえ、雑誌自体いつまで続くかわからないですからね。水木さんも荒俣さんも「続いて 5冊くらいかな」と言っていたくらい。なので、単行本一冊分たまったところで終わりにする設計だったんです。

 ところが、終わらなかった(笑)。もっと続けろというんですね。『鬼平犯科帳』みたいに同じフォーマットで2巻、3巻と続ける手もあったんでしょうけど、いつ廃刊になるかわからないから、とりあえずもう一冊分のテンプレートを考えたんですけど、『怪』はお化けの雑誌なので、お化けに関係ないものは書けない。しかもドラマ化なんかもあって、続きにしないわけにはいかなくなっちゃったんですね。ですから『続巷説百物語』(2001)はシリーズなんだけど、作品としては独立しているんです。

 ところが、それでも終わらなかった(笑)。しかたがないので、また違うコンセプトを考えて『後(のちの)巷説百物語』(2003)を書いたんです。これは後日譚的なパートも組み込んでるんですが、それはシリーズ完結編にするつもりだったからです。しかし雑誌は終わらなかった。むしろお化け界隈の元気が良くなってしまった。やむをえずまた枠組みを変えて、エピソード0的な『前(さきの)巷説百物語』(2007)を作ったんですが、悪いことは重なるもので(笑)、『後』が直木賞を受賞してしまった。版元は「これはやめらんないっすねえ」というんですよ。同じシリーズでありつつ違うコンセプトというのは、それなりに面倒なんですよ。そして『西(にしの)巷説百物語』(2010)というのを書いたんですが。これは柴田錬三郎賞をいただいたんです。さすがにもういいでしょうということで、違う作品の連載を始めました。

 一方で『幽』という怪談専門誌がメディアファクトリーから出てまして、そちらも立ち上げの段階から関わらせていただいていたんですが、同社がKADOKAWAに吸収されることになって、『幽』も『怪』もKADOKAWAになっちゃった。僕は、連載は1社1媒体と決めていたので、『幽』で書いていたシリーズを横断して『怪』にも書くことにしたんですが、そのうちようやく『怪』が終了するという運びになった。『怪』は通巻54冊ですから、予想の10倍続いた(笑)。

 やれやれと思っていたら「いや、『怪と幽』という新雑誌を作る予定でですね……」なんていうんですよ。悪いことに『怪と幽』編集長に決まった似田貝大介さんとは彼が学生の頃からのつきあいなんですね。彼は世界妖怪会議というイベントの手伝いにきてたんですが、それをメディアファクトリーの編集者が見初めて、同社のバイト、契約社員、正社員を経て、合併でKADOKAWAの社員に出世したというわらしべ長者のような人で、今太閤とまでいわれている偉人ですが(笑)、つきあいも長いし、断りにくい。まるっきり新シリーズの企画もあったんですけど、こんなご時世ですから新雑誌を軌道に乗せるのは大変ですし、ここは〈巷説〉リブートかねえなんて、やおら現実性をおびてきて(笑)。とはいえ、〈巷説〉にするなら時代や登場人物は或る程度同じにしなくちゃいけないし、何より「桃山人の『絵本百物語』(1841)に竹原春泉が描いたお化けをモチーフにする」というきつい縛りがあるんです。しかも、過去全作違うスタイルで書いているわけで、そこは変えなくちゃいけない。まるっきり新作の方ががぜん楽なんです。

 シリーズをふり返ると、語りの集積によって物語を作るのが最初のスタイル。『続』は視点人物を傍観者に固定しました。『後』は過去と現在のエピソードを重ねた多重構造。『前』は仕掛ける側の視点、『西』は仕掛けられる側の視点ですね。『西』やったんだから東西南北できませんかといわれたんですが“南巷説”は……ちょっと(笑)。北は良いなと思ったんですが、“北巷説百物語”も細川たかしさんの演歌みたいだなあと(笑)。たまたま僕は遠野関係の仕事をたくさんしていていたので、『遠』を採用しました。


――柳田國男『遠野物語』(1910)を京極さんが現代文にあらためリミックスした『遠野物語remix』(2013)は、角川学芸出版(現・KADOKAWA)から出ていましたね。

京極:あれはずいぶん抵抗したんですよね。柳田國男は名文家だから、書き直す意味がわからなかった。でも、『怪』を創刊した某氏――まあ郡司聡さんという偉い人なんですけど、当時彼は角川学芸出版のトップで、「版権も切れるし今しかない、書くのはあんたしかいない」なんて、それはしつこかったんです(笑)。出版社の都合はともかく、僕は取り分が多くなるわけでもないですし(笑)。そのまま現代語訳するなら誰にでもできることですし。そこで、書くなら一旦『遠野物語』を解体して、収録順を変えて編集し直そうと考えたんです。その結果が『遠野物語remix』なんですが……考えてみれば〈巷説〉も〈遠野〉も同じ男にそそのかされて書いているんだ!(笑) 続けて書かされた『遠野物語拾遺retold』(2014)も、汐文社から現在も刊行中の『えほん遠野物語』(全12巻予定)も、同じ人物が画策したものですよ。そんなですから、僕は柳田國男の専門家でもなんでもないのに講演をたのまれたりすることが多くなって。遠野文化賞までいただいてしまった。きっかけはともかく、ご縁も深いので、舞台は遠野にしようということに。

 遠野と云えばまず『遠野物語』ということになるんでしょうし、『遠野物語』は民俗学の起点となる民話集という印象が強いですから、遠野はずっと「まんが日本昔ばなし」みたいな土地だったと思われがちですけど、そんなわけはないんです。『遠野物語』ができたのは明治時代後半ですが、書かれた時点で日本民俗学はまだないんですよね。後に柳田は民話を昔話、世間話、笑い話、伝説などに分類し体系立てますが、『遠野物語』の時点ではまだ混沌としているんです。昔話って、最初から昔話だったわけじゃないんですよ。ただの世間話でも、語り継がれる間に話の骨子が整えられ、盛られて、それが蒐集されて初めて昔話として分類されるわけですね。語っているばあちゃんは面白ければ何でもいいわけで(笑)。一方、『巷説百物語』は江戸時代です。『遠野物語』以前を書かなくちゃいけないんですね。

 そこで、昔話生成の道筋を逆にたどってみたらどうかと考えました。昔話、世間話、当事者の話、謎解き、という構成で。本当は遠野に伝わっている昔話を使いたかったんですが、さっきも言った通り『絵本百物語』のお化けの絵を使わなきゃいけないわけで、そんな都合のいい昔話なんてない(笑)。それでしかたなく、ウソ昔話を作ったんですが。

――『遠巷説百物語』は、『絵本百物語』から妖怪の絵と文の引用があった後、昔話が語られる「譚(はなし)」、風聞を書く「咄(はなし)」、事件の当事者の視点の「噺(はなし)」、真相が明かされる「話(はなし)」と、「はなし」を重ねる各話の構成が面白かったです。でも、お話を聞くと結局、すごくめんどくさいことをしているのでは(笑)。

京極:小説は読むもので、書くのはだいたいめんどくさいものですよ。作中でも取り扱ってますが、遠野には宇夫方広隆の『遠野古事記』(1762)などの、古い資料が残っていて、これが実に面白い。ただ、時代が古いんです。遠野って、遠野藩という藩があったのではなく盛岡藩、もとをただせば南部藩の一部なんですね。その辺は特殊です。盛岡藩は波乱万丈だったようですが、遠野はまた別のややこしさがある。


――遠野南部家の当主は藩の筆頭家老として盛岡城常勤で地元の鍋倉城に不在だけれど、独自の裁量権を与えられた地域だという特有の条件が、話に活かされていますね。

京極:小説はぜんぶ嘘ですが、現実からの借り物も多いですね。嘘か本当かわからないように書くもんです。でも、今回はわりと史実を取り込んでますね。収録作の「磯撫(いそなで)」で米取引きに関わる騒動を扱ってますが、あれはもう嘘臭い話なんですけど、ちゃんと記録に残ってるお話で。まあでかい魚は出てきませんけど。軍事調練だとか、一揆なんかも史実ですし。お奉行様だとか殿様だとかも実在の方ですね。ご子孫の方がいらっしゃるとお怒りになるかもしれないので、実在の人はだいたい良い人にしました(笑)。

――『遠巷説』には新田乙蔵など『遠野物語』の人物や場所が登場しますし、以前のシリーズで活躍した人物が過去と違う組みあわせで現れるなど、手のこんだ作りになっています。

京極:乙蔵は『遠野物語』で臭い臭い書かれていたので採用しました(笑)。鮭を食べない医者の「こうあん様」なんかもそうなんですが、細かく拾えばパーツはたくさん使わせてもらってます。

――『遠巷説百物語』を読んでから『遠野物語remix』をめくり返したら、けっこうリンクする部分がみつけられて興味深かったです。

京極:『遠野物語』成立前夜、という設定ですから、ある程度はリンクしていないといかんなあと。でも、アフター『遠野物語』な世界観は捨てなくちゃいけない。『遠巷説百物語』と『遠野物語』の間には確実に転換期がはさまっていて、それでも齟齬や断絶があってはいけない。近代化というファクターを外せばこうなるという、いわば『遠野物語』の平方根探しみたいな感じですね。やっぱり……めんどくさいですね。

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