スギ花粉研究者が語る、花粉症患者が増えた理由 「花粉症は人類が自分たちで作り出した病気」

スギ花粉研究者が語る花粉症の歴史

 暖かい春の訪れは嬉しい一方で、またあの忌まわしい季節がやってきたと憂鬱に思う人も多くいるだろう。その理由は花粉症だ。涙がとめどなく流れ、少し俯いただけで鼻水が伝う。頭は重いし、喉も猛烈に痛い。肌もざらざらになってしまう。日本人の2人に1人が発症している花粉症は、現代人を悩ませる病の一つ。

 東京農業大学でスギ花粉を研究している小塩海平教授の著書『花粉症と人類』(岩波新書刊)は、謎の風邪に苦しみながら原因解明に挑戦し続けた19世期の研究者や医師たちの姿や、その伝来など、著者が約20年にわたってさまざまな書物を読んで蓄えた花粉症にまつわるあれこれが詰まった1冊となっている。

 今回、著者である小塩教授に話を伺い、地球温暖化や生活環境の変化、産業革命から現代社会の働き方、人間の生き方などさまざまな要因が、花粉症につながっていることを語ってもらった。(タカモトアキ)

花粉症は現代病の一つ

小塩海平教授

――花粉症に興味を持たれたのは、どういう経緯があったのでしょうか。

小塩海平(以下、小塩):大学院生時代の指導教授が林野庁の花粉対策メンバーで、その先生から研究に参加してみないかと言われたのが始まりでした。花粉症は基本的に、風によって花粉が運ばれる“風媒花”と呼ばれるものが原因で発症します。しかし、虫媒花であっても私の後輩のトマト農家さんはトマトで花粉症になりましたし、稲の育種をしている研究者は稲で花粉症になります。こういうケースを職業花粉症といっています。私も研究を始めた頃は花粉症ではなかったのですが、スギ花粉の研究を続けているうちに花粉症になりました。私の場合は、明らかに職業花粉症です。スギの花粉を見てみますか?(と、50mLのスギ花粉が入った小さな瓶を見せる)この中には何億粒というスギ花粉が入っています。スギの木を少し揺すれば、このくらいはすぐ取れるのですが、花粉症の人は何粒か目の中に入っただけで涙が出ますよ。生物兵器として使えそうです。

――想像しただけで恐ろしいです(笑)。スギは日本の山に多い樹木なのでしょうか。

小塩:縄文時代にはものすごくたくさん生えていたことがわかっています。その後文明の発展のために伐採と植林が連綿と繰り返されてきました。戦後の復興に伴う植林政策の結果、今は生えているのは約450万ヘクタール。これは大体、九州と同じ大きさです。林業従事者が高齢化で減ってきて管理できてないところもありますし、海外の安い材木を使うようになったことから建築用資材として使うことも少なくなり、伐採の機会が減っています。また、花粉の少ないスギに植え替える人の手も足りないので、少花粉スギや無花粉スギへの植え替えによって花粉を減らすには100年以上かかるでしょうね。

――100年もかかるとは……。本著では、最初の花粉症患者がアテネのヒッピアスだと言われているなど、花粉症にまつわる興味深い記述がたくさんあります。

小塩:ヒッピアスの論文なんて、ひどいですよね(笑)。ただ、くしゃみをして歯が抜けただけで花粉症だと言っているわけですから。ほかに、聖書を題材に花粉症について書かれている論文も読みましたが、元の論文を取り寄せて改めて読んでみるとまったく見当外れのことが書かれていた。原典に戻って考察することの大切さを実感しました。元々、花粉症の歴史を調べた本は少なく、『花粉症と人類』はいろんなものを20年間くらいかけて一生懸命読んでわかったことをまとめたものです。本を書いてみて、こんなに面白い歴史があるのに、誰も調べていなかったのは不思議でしたね。

――花粉が人体に何かしら影響を与えるということは、昔の人も考えてきたわけですか。

小塩:そもそも、「病気」という概念が確立したのはそれほど昔のことではなく、近代になるまで、病気は祟りや呪いで起こると考えられていました。感染症についてはコッホやパスツールによる病原微生物の発見で理解が深められたのですが、まさか花粉のような無生物的なもので病気になるなんて思いもよらなかったのでしょう。その後、花粉が原因であるということは、チャールズ・ブラックレイという研究者による実験でわかっていくわけですが、彼は治療法を提示できなかったことを非常に残念がっていました。花粉症の症状は産業革命以降より顕著に出てきたもので、現代人の衣食住と密接に関係しているものなのです。

――花粉症は現代病の一つなんですね。小塩教授の研究は具体的にどういった研究なのでしょうか?

小塩:スギには雄と雌の花があって、ジベレリンという植物のホルモンをかけると簡単に雄花を咲かせることができます。一般に花を咲かせる物質はいくつかあるのですが、スギの場合はこのジベレリンの作用で1年目の苗でも花を咲かすことができるんですね。例えば、無花粉スギを増やす過程で、それが本当に無花粉かどうかを確認する必要があるのですが、 ジベレリンを処理することで小さい苗の段階で強制的に着花させ、早いサイクルで無花粉スギかどうかを判別することができます。したがって、ウニコナゾールなど、ジベレリン阻害剤を散布すれば、スギの雄花を作らせなくでき、花粉を減らせることが容易に想像できました。ただ、ホルモンをいじると代謝が激烈に変わってスギの生長がストップしてしまいますし、環境にもよくないことから、私は代替物質の研究を進めることにしました。そこで、天然のねばねばするようなもの――松脂や海藻のアルギン酸というねばねば成分、ゴムの樹脂みたいなもの――などいろいろと試して花粉を固めようと試みた結果、サラダ油がスギの雄花だけ枯らすことがわかりました。そうして微量のサラダ油を混ぜた溶液をヘリコプターでスギ林にまく実験で、翌春に飛ぶ花粉量を減らすことができることが判明しました。その後、油そのものよりも効果や分解性が高い、天然油脂由来の界面活性剤をスクリーニングしてパルカットという農薬を作りました。

 花粉症は便利さを追求し科学技術を駆使して都市文明を築き、生態系を変化させていった人類が、自分たちで作り出した病気といえます。私も科学者ですが、科学万能主義が人類に禍をもたらし、生活を味気ないものにしてしまうことが少なくないと思っています。例えば、涙は科学的にいえば薄い塩化ナトリウム水溶液にゴミが入ったようなものですが、その涙一滴に人生の喜怒哀楽がどれだけ込められているのか。これは科学では解明できません。科学は因果関係を追求する学問で、原因があって結果をもたらすという単純化されたモデルの中で成り立つ考え方ですが、世の中はそんなふうにできていないことが多々あって、結果が原因を生み出したり結果が新たな条件になったりします。世の中で起こることは因果関係がわからない複雑なものだという前提に立って、物事を考えていかなければいけない。新型コロナウィルスだって、どこかの何かのバランスが崩れてパンデミックになったのでしょうが、世界中の英知を集めても原因と結果、対処法がまだ解明されていない。花粉症も同様にどんなに頑張ってもなくせないものだと考えています。私は花粉症について調べる中で、技術やサイエンスは人間の予想どおりに理想を実現できるケースは多くなく、仮に理想に近づけたとしても時間がかかるものだということを学びました。福島第一原発事故などを見れば、最新のテクノロジーほど、かえって破局的な失敗を引き起こす危険があることも分かります。

――では、花粉症も今すぐ完全になくなることはないんですね。

小塩:花粉症を全滅させると、もっとひどい何かが起こる可能性もありますからね。アレルギーも何かに対する身体の反応ですから、そういった反応自体をなくしてしまうと、より深刻な問題が生起する可能性があるのではないでしょうか。ただ、花粉症の原因花粉を減らすことは十分可能です。コロナ禍にあるいまの私たちと同じで、密を避けるようにすればよいのです。これは人間だけでなく、植物や動物にとっても同様で、例えば、同じところに稲ばかり植えているだとか、狭いところで大量の鳥を飼うだとかしていると当然、病気が増えます。稲には農薬を、鳥にはワクチンを打って抑えてはいますけど、鳥インフルエンザが出たら何万羽も殺処分することになってしまう。人間についても、都市に集中して住むことによって感染症やヒステリーなどが増えましたし、現在の新型コロナウイルスの蔓延も、私たちの居住や移動の様態と密接に係わっているわけです。花粉症は欧米では牧草やブタクサが大量に育つような環境が出現することになった歴史的な状況とも関係していますし、日本のスギに関しても戦後の植林政策が大きな要因となっています。今後地球温暖化が進むと、さらに多くの花粉が飛ぶようになると言われています。産業革命以降の現代人の暮らし方、環境との共生の仕方が問われているのではないでしょうか。

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