「料理は愛情」は呪縛になる? 『料理なんて愛なんて』著者・佐々木愛が語る、“アンチ料理小説”を書いた理由

『料理なんて愛なんて』著者インタビュー

優花ほど料理が嫌いな人は少数派?

――過程で何が起きるのかは自分でもわからなかった、とおっしゃっていましたが、ご自身で「こんなことになるとは」と思った場面はありますか?

佐々木:サヨリの干物をつくる場面です。真島さんの好きな人も沙代里というのですが、私は当初、同じ名前の魚がいることを知らなくて。サヨリという魚がいると知ってから、「沙代里さん、干物になる!」と思いました。

――魚類界の麗人と言われるほど美しいのに、お腹をさばくと真っ黒で、意外と腹黒い人という意味でサヨリのような人と言われることもある。それを知った優花が、真島さんと沙代里さんを招き、目の前で腹をさばき干物をつくろうとする……。すごくいいエピソードでしたけど、偶然から生まれたんですね(笑)。

佐々木:はい。沙代里さんの名前もすでに決まっていたし、こんなことあるんだと、ちょっとおもしろかったです。それから、あとで付け足した場面なんですが、闇鍋パーティーの帰り道は書けてよかったと思います。

――鍋の具に持参してしまった板チョコを百合子に渡す場面ですね。

佐々木:手作りでもなければ、高級でもない、ただの市販の板チョコ。それを闇鍋の材料として鍋に入れたら鍋パーティーは台無しになってしまうんですが、落ち込んでいる友達に渡したとき、励ましたり勇気づけたりする特別なものになる。ただの板チョコがシチュエーションや、あげる人と受け取る人の関係が変わるだけで、意味もがらりと変わると気付けました。

――優花はずっと、「つくる」ことにこだわり続けていますけど、料理ってそもそも「食べる」ためのものですもんね。手作りであろうとなかろうと、食べた人が感じればそこに愛情はあるし、どんなに愛情をこめても、たとえば優花の壊滅的に失敗した手作りチョコでは、きっと真島さんは愛情を感じてはくれなかったでしょうし。

佐々木:そうですね。そういう「料理は愛情」に対するさまざまな思いを感じていただければと思うんですが、刊行してみて気付いたのは、みんな、私が思っているよりも料理が好きなんだな!? ということで。

――そうなんですか?

佐々木:もっと共感してもらえると思っていたんですが。優花ほど料理が嫌いな人は少数派だったようです……。

――たしかに、料理だけを例にあげるとそうかもしれないんですが……。この作品で、料理を通じて描かれているのは、「ほとんどの人が当たり前にできていることを、自分だけがうまくできないし、頑張ることもできない」という孤独ですよね。

佐々木:そうですね、それは意識していました。当たり前のことができないといっても、極端な話ではなくて、社会生活はちゃんと営めるし、世間から隔絶されているわけでもない。のちに出てくる料理人の東当さんみたいに、料理なんてできないままでいいと言ってくれる人も少なからずいるでしょう。ただ、なりたい自分に現世ではどう頑張ってもなれないんだ、と知ってしまったときの衝撃は、当人にとってみれば大きいです。人からは笑われるだろうし、自分でも「なんで私はこんなことで深刻ぶってるんだろう」とばかばかしく思うような部分を、真剣に書きたいです。

――真島さんには、自己啓発書をたくさん買って冷蔵庫にしまうクセがありますけど、優花にとっての料理が、真島さんには人とのコミュニケーションだったのかな、と思ったんですよね。そんなふうにみんな、他人から見れば大したことじゃないことで、悩んだり抜け出そうとあがいたりしているのかな、と。

佐々木:ありがとうございます。私も自己啓発書をよく買っちゃうんです。で、家族に見つからないよう隠したりしているので、そこは活かせてよかったなあと思いました(笑)。

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