仏教界のインフルエンサー・松﨑智海が語る、仏教の面白さ 「見えていないものが実はそばにあったんだという気づきが大事」

仏教界のインフルエンサーが語る仏教の魅力

「相談したい」という人が、すぐ飛び込めるお寺であってほしい

ーー『ゆる仏教入門』を書くなかで想定していた読者像はありますか?

松﨑:これは僕のポリシーというか、いつも意識していることなんですが、僕がターゲットとするのは、自分の年齢のプラスマイナス15歳だと思っているんです。僕は今45歳なので、15歳上となると60歳以上の人。その人たちは私の父が担当すればいいんです。15歳下にあたる30歳以下の人は、うちの息子が担当すればいいと思っています。だから僕はプラスマイナス15歳の人のお話しかわからないんです。無理にああでもない、こうでもないと偉そうに言わないようにしています。

ーーSNSやお寺の掲示板のユニークな文言を書くとき、特に意識していることはありますか? 

松﨑:僕らお坊さんの仕事は、届けることだと思っています。届ける時には箱をきれいにする。相手が受け取りやすいように梱包するわけですね。ただの怪しいダンボールはなかなか開けないですよね。でも箱に「Amazon」って書いてあったら開けますし、プレゼントの箱だったら何だろうなと思って開けますよね。ただ開けやすい箱を作っているというだけなんです。いろいろデコっているところがあるんですけれども、中身は一緒です。

ーーSNSでは感情、特に怒りをコントロールするのが難しいなと感じています。智海さんはどうコントロールしているのですか。

松﨑:怒りって、娯楽なんですよね。一番お金がかからない娯楽なんです。だからとっつきやすいし、面白いんですよね。でも一時楽しくなったとしても、それが収まれば「元の木阿弥」で。根本的な解決にはなりませんよね。

 僕もTwitterをやっていますけれども、人生のメインストリームではないと思っています。よく他のお坊さんから、「Twitterのやり方を教えてください」なんて言われるんです。そのときには「目的を明確にしたほうがいいですよ」と言っています。自分とTwitterでの発言をわける。別々にしましょうねと。

 僕の場合、仏教やお寺を知ってもらうことを目的に発信しているので、それを伝えようとしている自分と、素の自分は別の人間なんです。だから「別の人間」がいくら批判されても腹は立たないわけです。悪いのは自分自身ではなく、自分の表現の仕方であって。「これでは仏教の良さは伝わらないな。謝ろう」とか「やり方を変えよう」と変えられるんですよね。でも発言を自分の分身にしちゃうと、自分が攻撃されるし、自分はそうそう変えられない。すると辛くなる。これは仏教の教えとは関係なく、SNSの使い方としてそうしています。 

ーー仏教の面白さ、魅力はどこにありますか。 

松﨑:楽ですよね。僕はやっていて楽しいんです。よかったなと思うことがある。それが皆さんにとっての魅力になるかどうか分からないんですけれども。もちろん苦しいこともいっぱいあるんです。楽になる部分なんてのは、ほんのちょっとで。人生が180度変わるようなことは僕にはなかったんです。でも、それが積み重なっていく。長く生きれば生きるだけ積み重なっていきますから、するとだんだんその違いは大きくなっていくなと思います。

ーー一方で、お寺にはどのような課題があるのでしょうか。

松﨑:お寺の一番の課題は、お坊さんの自信のなさだと思います。今、日本のお坊さんって、尊敬されていないんですよ。僕はベトナムの方とよくお付き合いがあるんですが、ベトナムの方はお坊さんの前を絶対に横切らない。大切にするんです。大切にされると、お坊さんのほうも「しっかりしなければ」と思うんです。自分もこの人たちを裏切らないように、自分の人生を大事に生きていかなければいかんなと思うんですよね。

 そういうことが日本の仏教にはなくなってきている。「お坊さんなんて」とか「どうせ悪いことを考えているんでしょう」といったことばかり言われていると、お坊さん自身も「どうせ俺は」となる。仏教の教えが一般の人には受け入れられないのではと、一番思っているのが、実はお坊さんなんです。

ーーその自信のなさが人に伝わってしまい、仏教ばなれみたいなことが起きると。

松﨑:自信がないから外に出て行かない。みんなお寺にいて、お寺に来る人たちだけを相手にするんです。仏の教えが求められていて、それを伝えていかないといけないんだっていう思いを僕らはきちっと持っていないといけないと思います。

ーーお寺を頼りたいと思った人はどうすればいいのでしょうか。

松﨑:そこなんです。どうすればいいの?から一歩を踏み出す場所をお寺が今まで作って来なかった。「開かれたお寺」という言い方をする人はいっぱいいるんですけども、本当に開けているかといえば、そうではないんです。だから、お坊さんの話を聞きたいというとき、どこに行けばいいのかわからないというのは、日本の仏教の大きな問題のひとつだと思います。

 『ゆる仏教入門』でゲストとして来てくださった各宗派の人たち、その共通点としては、みなさんその第一歩を、敷居を低くする活動されている方ばかりなんです。そういうお坊さんたちが今、いろいろなプラットフォームで一生懸命に頑張っています。

ーーよく知らないお寺に飛び込んで、「相談に乗ってほしい」というようなことはできるんですか?

松﨑:僕は「できる」と言いたいんです。言いたいんですけれども、それをしないお寺がいっぱいあります。これも大きな問題なんですけれども、お寺の住職って「一国一城の主」なんですね。そのお寺の方針は、全部住職が決めてしまうんです。だから堂々と「うちは開かないよ」って言うお寺さんもありますね。「来てもらったら困る」って。

 僕は「いつでも来てください」って言うんですけども。「うちの近くにもそういうお寺さんはありますか」って言われると、「きっとありますよ」としか言えない。だから『ゆる仏教入門』には、そんな僕の葛藤が出ています。これは「そうあってほしい」という、お坊さんに対するメッセージを書いた本でもあるんです。

■書籍情報
『だれでもわかる ゆる仏教入門』
著者:松﨑智海
出版社:ナツメ社
発売日:発売中
定価:1170円(税抜)

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