名物書店員がすすめる「“今”注目の新人作家」第8回
戦後の大阪を舞台にする警察小説『インビジブル』 注目の新人・坂上泉の骨太かつ軽妙な筆致に脱帽
戦後に成人した新城に時代への疑問を代弁させ、兵役にも就き他人には言いたくない過去を持つ守屋の考えや死生観が遠慮なくぶつかり合いあうことによって、2人の関係が順を追いながらより密になっていく。それを感じさせる大きな要素の一つに、まず会話のリズムが良いことが挙げられる。軽妙ではあるが時に微妙にタイミングを外す新城の大阪弁や、標準語の守屋の会話が物語における素晴らしいアクセントとなっている。著者の「耳」が良いのではないだろうか。
〈......「守屋さんって、三十でしたっけ?」
「そうだが」
「なんで結婚してないんでっか」
「職務が忙しくてな」
「見合い話なんて、それ守屋さんくらいやったら引く手あまたでしょうに。自分から行かんだけでは」
「知らん」
「女が苦手なんでっか?」
「知らん」
普段の堂々たる態度はどこへやら、拗ねたように目も合わせない。実に分かりやすい。
「へえ」
「何だねその顔は」
「いや別に」
「不愉快だ」
「まあまあ」
そんなやり取りをしていたとき、帳場がにわかに騒がしくなる。〉
また実在の人物がモデルとなり筋に影響を与えているのも読みどころだ。右翼の大物、後に国民的作家と呼ばれた小説家、大手新聞社の社会部のエースとしてスクープを連発した名物記者の若き日々の存在が、本書にコクを与えていて面白い。また農村から満州に開拓民として渡り辛酸を舐めたある男の存在がサイドストーリーとして描かれている。
登場人物達の正義を語りながらも隠しきれないほの暗いうしろめたさが描かれる。そんな登場人物達の存在に溺れずに物語を進めていった著者の筆致は見事の一言に尽きる。本書を読み終えて坂上泉は、骨太でありながら軽妙さを併せ持ち、スケールの大きな物語を描くことができる作家だと感じた。これからの活躍が本当に楽しみになった。
■山本亮
埼玉県出身。渋谷区大盛堂書店に勤務し、文芸書などを担当している。書店員歴は20年越え。1ヶ月に約20冊の書籍を読んでいる。会ってみたい人は、毒蝮三太夫とクリント・イーストウッド。
■書籍情報
『インビジブル』
著者:坂上泉
出版社:文藝春秋
価格:本体1,800円+税
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163912455