音楽療法の歴史は戦争と深く関わっているーー『戦争の歌がきこえる』が伝えるメッセージ
自粛期間中に読んだ小説のなかで、もっとも心に残ったのはポール・オースターの『サンセット・パーク』だった。
2010年に出版されたこの小説の舞台は、サブプライム・ローン問題、リーマン・ブラザース破綻が起きた00年代後半のアメリカ。その影響を直接的・間接的に受けた4人の男女がボロボロの空き家で共同生活を送る、というストーリーだが、そのなかに登場する高学歴プアの女性がウィリアム・ワイラー映画『我等の生涯の最良の年』の博士論文を執筆していて、この映画が小説全体の通奏低音となっている。
『ローマの休日』『ベン・ハー』などでも知られる巨匠ウィリアム・ワイラー監督の『我等の〜』は、第2次大戦後、故郷に戻った復員兵たちが主人公。市民生活に復帰した彼らが様々な問題に直面するプロパンダ映画として知られ、“戦争でひどいめに遭った男たちも、立派に市民に戻れる”という物語はアメリカ全土で圧倒的な支持を得た。しかし、当然だが、戦争で受けた傷はそんなに簡単に癒されるものではない。『サンセット・パーク』を読むと、第2次大戦で人々が受けた傷が孫の代まで継承され、現代の社会全体に静かな悪影響を与えていることがわかってもらえるだろう。
『サンセット・パーク』の背景をより深く知ることができ、今なお続く第2次世界大戦の影響を多角的に理解できるのが、米国認定音楽療法士の佐藤由美子氏の『戦争の歌がきこえる』。佐藤氏が2004年からオハイオ州シンシナティ市のホスピスで出会った人々との交流、そこで患者から打ち明けられた戦争の体験を綴ったノンフィクションだ。
『我等の〜』に登場する復員兵と同年代の患者たちは、長い間、戦争の体験を誰にも話せず、内に抱えたまま生きてきた。音楽療法士が日本人だとわかった瞬間、彼らは堰を切ったように打ち明ける。「I killed Japanese soldiers.(僕は日本兵を殺した)」と絞り出すような声で語ったロン。フィリピン島の戦闘で友人を亡くしたことをずっと記憶にとどめていたユージーン。
佐藤氏の献身的なホスピタリティと音楽療法によって、彼らは心の底にあった過酷な経験、悲しみ、後悔、怒りをゆっくりと話し、そして、少しずつ癒されていく。戦争体験は一人一人違うという事実、その後の人生のしんどさが率直にして柔らかい文体によって綴られ、感情を揺さぶられてしまう。
『戦争の歌がきこえる』は、第一章「太平洋戦争」、第二章「欧州戦線」、第三章「忘却と記憶」によって構成され、戦地に行った人々だけではなく、原爆開発にかかわった人たち、夫や恋人が戦争を体験した女性たち、ホロコーストの恐怖に捉われ続けたユダヤ人女性などのエピソードも綴られている。様々な視点から戦争を捉えることで、日本人が知らなかった新たなアングルから理解を深められるのも、この本が持つ大きな意義。
佐藤氏は本書のあとがきで「アメリカ人の戦争の記憶を知るためには、国民それぞれが有するさまざまな経験や感情に目を向ける必要がある。それは日本の場合でも同じだろう。」と記しているが、戦争という巨大な出来事を理解するためには、個人の物語を丁寧に掬い上げることが必要なのだ。前述した通り、戦争が人々に与えた傷は、その子供世代、孫世代にまで継承されている。一人ひとりの心の傷を巡るストーリーを読み解くことは、決して他人事ではなく、現在(そして未来を)生きる我々の人生の質を上げるうえでも、欠かすことができない仕事だと思う。