YouTuberとして成功するのはどんなタイプか? てんちむ『わたし息してる?』が示す、依存体質のセオリー

てんちむ『わたし息してる?』依存体質のセオリー

依存体質にさせる世の中で生きる

 てんちむはどんな性格と行動習慣なのか?

 彼女は、ブロガー時代は収益を得るために1日3~5本投稿し、ランキング上位を目指して徹底して行動。ゲームを始めると趣味のレベルを超えてやり込みまくる。今もYouTuberとして常に上を目指して投稿を続けている。

 常に「爪痕を残す」、人の記憶に残ることを意識し、人と接するときは「食べログ方式」――この人に良い評価をしてもらえればこちらもストレスがない――だと思って相手の気持ちを考えて振る舞う。

 本人が「自分は何かに依存しやすい体質で、そのヤバさを自覚しているからひとつのことにだけ依存しないように仕事にしろ性的関係にしろ複数に分散させている」と言うのがよくわかるくらいハマりやすい体質なのだろう。

 依存と言っても徹底と言ってもいいが、ようするに突き詰めないと気が済まない性分なのだ。

 てんちむは「人生には夢や目標はないが、仕事では目標を持て」と言う。ゲームにたとえると仕事はイベントクエスト。それをクリアしても人生をクリアしたことにはならない、と。わかったようなわからないような説明だ。ただこれと「夢や目標がなくても、人間追い込まれれば死ぬ気でやる」という言葉を組み合わせると、どういうことかが見えてくる。

 たとえば小さい子どもを持つ親なら「こいつを食わせて行かなきゃ。学費の工面しなきゃ」と思うだろう。それがいわゆる「人生の目標」や「志」「夢」か? と言われればおそらくは違うだろうけれども、「なりふりかまわず稼ぐ」動機にはなる。生存欲求のような原始的な動機が強固にあれば、承認欲求みたいな高次の動機がなくても人間は生きられる。

 そして今の世の中には、人生における意味はなんだと言われればわからないが、とにかく数字や結果を追い求めていくと楽しい――というか脳の報酬系が刺激されてドーパミンが出る――、そのこと自体にハマらせる(=依存させる)ものが無数に存在している。多くのゲームのしくみはプレイヤーに「もっと強く、もっとうまく、もっと豪華に」といったことを追求させたくなるしくみになっている。ブロガーがPVを追い求め、YouTuberが再生数やチャンネル登録数を追い求めるのは、金銭的な動機ももちろんあるだろうが、自分の行動と数字が紐付き、評価される楽しさが脳になんともいえない快楽を与えるからだろう。

 もともと今の世の中は、人間を依存体質にさせる仕掛けがあちこちに転がっていて、その個別のゲーム(狭い意味でのゲームではなく「YouTuberとして成功するには?」といった意味での、ルールとセオリーがあるなかでどう行動して結果を得るかのゲームを含む)で最適解を追い求めるのが得意なてんちむのような人間には、ある意味で向いている社会ではある。

 動画サイトではゲームのプレイ動画が人気だが、そもそもゲームとYouTuberの評価システムはよく似ている。

 以前、ひかりんちょの本を紹介したが(16歳TikToker・ひかりんちょが「全世代の人に知られる人になりたい」と言うのでオッサンが著書を読んでみた)、ひかりんちょは「有名になりたい」とは言うが、有名になって何かしたいわけではない。意地の悪い見方をすれば、有名になって注目されること自体の快楽の中毒性に呑まれているのかもしれない。

 夢や志のような大目標ではなく、目先のゲームに集中する、気持ちいいことを追求するように世の中はできている。それをもっともうまくやれるタイプがYouTuberに向いている。

何かに依存しないとやってられない世の中で生きる

 ただSNSで成功することはイコール「目立つ」ことを意味している。成功者ほど誹謗中傷にさらされる。

 てんちむはネガティブなことのほうが記憶に残りやすく、今でもSNSに自撮りを載せると「ブス」というリプが来るんじゃないかと思うとこわいと語る。そういう人間にはつらすぎる社会でもある。

 するとどうなるか。攻撃を超える賞賛(報酬)を求めて、あるいは攻撃自体に目を向けるヒマがないようにさらにゲーム(行動と結果が短期で回るサイクル)に邁進し、数字を追うことになる。

 ようするに今の世の中は、何かに依存させるシステムが整備されているだけでなく、何かに依存しないとやっていられない高ストレス社会でもある、ということだ。

 てんちむはタレントとして事務所に所属し、仕事がなくて焦っていた19歳のときに映画の仕事で(半ば騙されて)フルヌードになった。イヤだったが現場では言い出す勇気がなく、その後、死ねば公開中止になるかもと思って睡眠薬をがぶ飲みして自殺未遂。結局その後、仕事は増えず、脱ぎ損。この経験から「仕事を選べる側の人間になろう」と決意する。

 「これがやりたい!」ではなく「これはやりたくない!」を意識して、やりたくないことを避けて生きている、自分を理解しようとしない人とわかり合うのをやめる、常に現世を捨てて生きる――と彼女が言うのは、メンタルが強いからというより手ひどく傷つけられた経験からだろう。

 YouTuberの言葉が若者を捉える説得力を持っているのは、彼女たちが少なからずこうした失敗体験があり、トラウマを抱えているからだ。成功本と言っても(特に女性YouTuberが書くものは)「こうしてうまくいった」ということだけを見せるのではなく、弱さ、ダサさ、恥ずかしい経験を吐露するからだ(もっとも、それもビジネス書では読者の共感を呼ぶための常套手段として用いられているのだが、計算というより少なくないYouTuberがガチでメンタルをやられた経験があるように見受けられる)。

 昔の村落共同体のように全体が数十人で構成されていて毎日顔を合わせるなら、全員とどこかしらわかりあえるかもとも思えただろう。「イヤでも付き合うしかないか」と諦められたかもしれない。ところが今では、SNSをやっていると誰もが見知らぬ何十万何百万人に言葉が届く可能性があり、全員とまともに意思疎通するのはどう考えてもムリだ。

 そんな時代に、学校や企業で語られ、求められる「みんなで協力しあう」「話せばわかる」という実現不可能な理想を強要されたら、ぶっ壊れてしまう。

 だから「仕事のため」と割り切ることで攻撃耐性を上げて対処し、没頭する時間と、誰に何を言われようがどうでもいいと思えるそれ以外の「人生」の時間とを切り分け、イヤな人とは「仕事」せず、「人生」に関してはハードルを下げまくって生きるという、てんちむ式の考えを聞くと、気が楽になる。

 てんちむをはじめ、成功したYouTuberの言葉は、一見すると人生にスレまくった剥き出しのリアリストのような切れ味だ。けれどそれが生み出された社会背景、そしてどんなビジネスモデルの中で彼女たちが生きているのかを考えると、理に適った処方箋に見える。

■飯田一史
取材・調査・執筆業。出版社にてカルチャー誌、小説の編集者を経て独立。コンテンツビジネスや出版産業、ネット文化、最近は児童書市場や読書推進施策に関心がある。著作に『マンガ雑誌は死んだ。で、どうなるの? マンガアプリ以降のマンガビジネス大転換時代』『ウェブ小説の衝撃』など。出版業界紙「新文化」にて「子どもの本が売れる理由 知られざるFACT」(https://www.shinbunka.co.jp/rensai/kodomonohonlog.htm)、小説誌「小説すばる」にウェブ小説時評「書を捨てよ、ウェブへ出よう」連載中。グロービスMBA。

■書籍情報
『私、息してる?』
てんちむ 著
出版社:竹書房
価格:¥1,320

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