辻仁成が語る、母の言葉が人生に与えた影響 「母親はいつも新しいことに挑戦していた」
感性は息子にも受け継がれている
——昨年刊行された『立ち直る力』(光文社)、『人生の十か条』(中央公論新社)、そして今回の『84歳の母さんがぼくに教えてくれた大事なこと』を含め、読者に対する直接的な言葉が込められたエッセイ作品が続いています。いずれもツイートがもとになっていますが、辻さんにとってTwitterはメッセージを伝える重要なツールになっているのでしょうか?
辻:最初は自分のために始めたんですよ。僕はシングルファザーですが、最初の頃は大変だったんです。買い物して、料理して、洗濯して掃除して。なので、「きつい、もうやめたい」という気持ちを“息子よ”とワンクッション置いてツイートしてみたんです。最初はお弁当の写真をあげていたんですが、みなさんが反応してくれて、それが苦しいときの自分にとって救いになったんですよね。子供をどう育てていいかもわからなかったんだけど、「こんな僕でも存在していいんだな」と思えたし、ツイートが子育てに対する決意の表れにもなって。その後は、ジェンダーの問題だったり、「主婦の労働量を一般の会社員の給与に換算したら、いくらになるか?」ということも発信するようになって。最近は、朝起きたらブログを書いて、1本ツイートするのが日課となっています。その他にもWebマガジン『Design Stories』(https://www.designstoriesinc.com/)も主宰し、日々発信しています。
——クリエイターが個人で発信できる場所が必要だと。
辻:ええ。書店もレコード会社も大変な状況にあるなかで、モノを作る側としては、SNSをはじめ、どうしてもプラットフォームがあったほうがいいと思いますね。僕は小説も書くし、音楽もやるし、映像も作ってきたので、それを一緒にしてひとつの物語を組み立てることができると思うんですよ。物語の作者が音楽を作って、演奏もして、映像も演出もやる。それは誰もができることではないと思うし。最近は息子が音楽を作れるようになっているので、すべてパリで制作できるんです。たとえば小説を読んでいると映像が見えたり、音が聴こえてきたり——そう考えると本のイメージも変わってくるかもしれないですね。
——そうやって新しいことにトライし続ける姿勢は、お母さまからの影響なのかもしれないですね。
辻:そうですね。母親も料理や刺繍など、いつも新しいことに挑戦していたし、それなりに成功しているので。その遺伝子は、僕の息子にも受け継がれているんですよ。彼が作る曲は僕なんかとても作れないレベルだし、その芽を摘まないようにしたいなと。今年の8月に初めて共作した曲(「トワエモア(toi et moi)」)をリリースしたんですが、そのアレンジもぜんぶ彼がやっているんですよ。45歳離れているんだけど、そのギャップを音楽が埋めてくれるんですよね。ディープ・パープルやレッド・ツェッペリンを聴いて、「こういうリフ、いまはないよね」って言い出したり(笑)。最近はもっと古い音楽も聴いていて、ポール・アンカの曲に対して、「こういうメロディがポップスの原点だよね」って。
——辻さんのお母さまも、「好きなことをどんどんやりなさい」という姿勢ですよね。
辻:そうですね。僕が音楽に夢中になったときも、楽器を取り上げませんでしたから。本にも書いたんですが、函館に住んでいた時期に、倉庫みたいな場所で暮らしていたことがあって。そこで若い芸術家を集めて、詩の朗読会をやったり、演劇や映画の撮影などもやっていたんです。そこにあるとき、東京のハードロックバンドが来たことがあって。長髪でサイケデリックなファッションだったから、近所の人がビックリして、母親に言いつけたんです。40年以上前の函館なので、そんな恰好の人たちは誰も見たことがなかったので。でも、母親は彼らをじっと見て、いい人たちだと思ったんでしょうね、かつ丼を用意してくれたんですよ。
——音楽や演劇を志している若者を応援したかったのかも。
辻:そういう気持ちもあったと思います。僕はそのハードロックバンドの人たちに、レッド・ツェッペリンの「移民の歌」を教えてもらって。あの経験がなかったら、音楽の道に進まず、普通に就職していたかもしれないですね。母親も「新しいことをやらないといけない。音楽をやるなら、ロックしかない」と言っていましたから(笑)。ちなみに息子はロックではなく、いまはビートボックスをやっているんですよ。パリの郊外でやっているイベントなども出演していて。危ない地域もあるから心配なんですけど、「自分は好きなことをやらせてもらったのに、ここで息子を止めるのはよくないな」と。ビートボックスもどんどん上手くなってるし、大きなイベントに出ることもありますからね。ただ、彼は学校の勉強もしっかりやっていて、「音楽で食うのは難しいから、ちゃんと大学に行って、働こうと思ってる」と言ってますけど(笑)。
——最後に辻さんの音楽活動について聞かせてください。
辻:音楽家としての活動はずっと続けていて、主にヨーロッパとアメリカ、日本でも毎年何回かはライブをやっています。拠点はパリで、“SAMURAI MUSIC”をテーマに掲げているんですが、一定のお客さんがいるんですよ。10月12日に予定していた60周年の記念コンサート(『辻仁成“RENAISSANCE”〜60th ANNIVERSARY CONCERT〜』BUNKAMURAオーチャードホール)が台風の影響で来年の5月24日に延期になったので、とりあえずエネルギーを持続するために1月末に少し大きな会場を見つけたので、パリで同じメンバーでライブをやる予定でいます。ずっとやってきたロックやブルースに加えて、シャンソン、ジャズもあって。詩の朗読をやりながらのセッションもあるんですよ。
——シャンソンはパリに移住してから始めたんですよね?
辻:ええ。最初はパリの路上、セーヌ川のほとりなどで歌っていたんです。そのときに知り合ったピアニストや、パーカッショニストと一緒にライブハウスなどでもやるようになって。パリで知り合った仲間と、ECHOESの曲をカバーして録音する計画もあるんですよ。シャンソンやジャズなどの古いサウンドにすることで、新しく聴こえるんじゃないかなと。若いミュージシャンの勢いには勝てないけど、長くやっていないと出せない音はありますから。言葉を大事にしてきたことも自分たちの強みでしょうね。日本語で歌うと、パリでもしっかり通じるんですよ。
——辻さんの表現の核にあるのは、やはり言葉なんですね。
辻:そうですね。すべてを分解すれば、真ん中にあるのは言葉、詩だと思います。いろいろな表現がありますが、ギターと生の声が舞台から発せられたときの力がいちばん強いと思うので。
(取材・文=森朋之/写真=富田一也)
■辻仁成(つじ ひとなり)
1959年、東京生まれ。作家、詩人、ミュージシャン、映画監督、演出家。81年、ロックバンド「ECHOES」を結成。89年処女小説『ピアニシモ』で、すばる文学賞を受賞し、作家デビュー。97年『海峡の光』で芥川賞、99年『白仏』のフランス語翻訳版「Le Bouddha blanc」で、仏フェミナ賞・外国小説賞を日本人として唯一受賞。著作はフランス、ドイツ、スペイン、イタリア、韓国、中国をはじめ各国で翻訳されている。現在は活動拠点をフランスに置き、創作に取り組んでいる。著書に『サヨナライツカ』『真夜中の子供』『人生の十か条』『愛情漂流』など多数。Twitterでの「84歳の母さんの言葉」が大きな反響を呼んでいる。Webマガジン「Design Stories」主宰。
Design Stories
Twitter:@TsujiHitonari
84歳の母さんがぼくに教えてくれた大事なこと
辻仁成 著
定価:本体1,500円+税
発行/発売:株式会社KADOKAWA
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