なぜ、未来を思い出すことはできないのか? 『時間は存在しない』がいざなう、未知の世界
「大学時代、まだ若かった私は、この極端に小さな規模でいったい何が起きるのか、という問いに夢中になった。そして大きな紙の真ん中にきらきら光る赤い文字で『10マイナス33乗』と書き、ボローニャの寝室にその紙を掲げると、この規模の世界で何が起きているのかを理解すること、それを自分の人生の目標にすると決意した」
読みながらしばし唖然としてしまった。このみずみずしい青年の決意に胸を打たれる。溢れ出る知識欲と探求の精神、世界の秘密を解き明かしたいという若き著者のエネルギー。まるで映画のワンシーンのようだ。このような探究心によって科学が進歩し、またこの宇宙の全体像を理解する手がかりへ近づいているのだと感じた。なぜ著者が「時間は存在しない」と述べるのかを、この場で簡略的に説明することは困難だが、この本はなぜ時間が存在しないのかという命題へ向かってスリリングに進んでいく。
想像もつかないほど壮大な世界の片鱗に触れるよろこび。オバマ元大統領は、劉慈欣のSF小説『三体』(早川書房、日本語訳は三部作の第一部のみ既刊)のファンであり、著者にメールを送るほどに熱中していたという。その理由として彼は、『三体』ほどにスケールの大きな小説を読んでいると、大統領としてどれだけ過酷な状況を経験しても、大したことではないと思えたからだと語っている(参考:オバマ前大統領も愛読! 中国のSF小説『三体』が大ヒット中…その魅力を翻訳家が語る)。この言葉には深く同意するほかない。われわれが、日々の生活から直感的に理解可能な世界は限られている。だからこそ、より大きな見知らぬ世界を想像することは心を豊かにするのだ。「なぜ、過去を思い出すことはできても未来を思い出すことはできないのか」という著者のユニークな問いは刺激に満ち、読者を未知へといざなう。そして『時間は存在しない』を読み終えた時、読者にはこれまで見えなかった不思議な光景が見えるのである。
■伊藤聡
海外文学批評、映画批評を中心に執筆。cakesにて映画評を連載中。著書『生きる技術は名作に学べ』(ソフトバンク新書)。