櫻井敦司:神がかった歌声に秘められた“陰影の美学”、アンビバレントな魅力 「今井智子 ロックスターと過ごした記憶」Vol.10

ロックスターと過ごした記憶:櫻井敦司

80年代のデビュー初期、若かりし櫻井敦司との会話の記憶

 BUCK-TICKを最初に観たのは1987年12月、現在とは違う場所にあった日本青年館でのメジャーデビューライブだ。真っ白のセットの中でキラキラとしたロマネスク風衣装で演奏する彼らは未熟さが目立ったけれど、何か変わったことがしたいのだろうなと伝わってくるものはあった。同郷の先輩である氷室京介の影響が窺えるボーカリストは、モニターに足をかけて甲高い声で歌っていた。終演後にスタッフから感想を聞かれて適切な言葉が見つからず「ドラムはハードロック系かなー」などとお茶を濁した。第一印象は残ったけれど、それがいいのか悪いのか自分でもよくわからなかった。『SEXUAL×××××!』(1987年)リリース時にラジオ番組で櫻井と今井のインタビューをしたが、特に印象に残るような話を聞いた記憶はない。

 意外なところでスイッチを入れてくれたのが、ある雑誌でバンドの担当になり親しくなっていたレピッシュのMAGUMIだった。同じレーベルの若手バンドで交流があったようだし、一緒にイベントを組んでツアーしたりもしていた。「あっちゃん(櫻井)の美しさは神々しいほどですよ」と真剣な顔でMAGUMIが言うので、それはもう一度会ってみたいと下世話な気持ちを抱いたことは否めない。1988年の晩秋、ちょうど『JUST ONE MORE KISS』のヒットでBUCK-TICKは人気が急上昇していた頃だ。今は六本木ヒルズに飲み込まれている旧テレビ朝日の入り口にあった喫茶店で櫻井に会った。音楽番組の収録だったのか綺麗にメイクをし、トレードマークの高く突き立てたヘアスタイルのままの彼に、生い立ちなどを聞くのはなかなかにシュールな状況だった。そんな風貌でステージに立つ彼らが何を考えているのか知りたくて取材をさせてもらったのだが、櫻井の口から出てくる言葉は私の想像と違っていた。『R&R NEWSMAKER(ロックンロールニューズメーカー)』誌の連載用の取材だったが原稿に使った発言はごく一部だった。その取材のメモが残っている。

BUCK-TICK / 「JUST ONE MORE KISS」ミュージックビデオ

 両親と兄との4人家族だったが、この4年前に亡くなった父親にDVの傾向があったため、子供の頃は「いつもビクビクしながらご飯を食べたり……電気がついてるのにウチはなんか雰囲気暗いなとか思って。友達のウチは仲いいのに、なんで俺のウチはこういうんだろうとか思ってた」。けれど父親について「すごいわがままで自分勝手なんだけど、でもすごい子煩悩なんですよ。結局子供が好きで俺たちのことが好きで、オムツとかいつも父親が替えてたんですって。布団の中に連れ込まれて『お前はかーちゃんととーちゃんとどっちが好きだ?』とか言ってね。『両方』って言った覚えがあるんです。そしたら黙ってたけど『お父さん』と言ってほしかったんだと思うんですけど」。

 冷静に語っていたが、亡くなった父親への複雑な想いから彼の優しさが伝わってきた。家庭環境の難しさが影を落とした子供時代を「自分のウチは電気がついてるのに暗い」と言った彼からは虚無感や諦めといったものを抱えて生きてきた重さが伝わってきて、そんなことを想定していなかった私は彼の言葉を受け止めきれない気持ちと戦いながら取材を続けた。高校を卒業すると櫻井は地元で就職したが、高校の仲間と組んだバンドは続けていた。父親が亡くなってしばらくして、先に上京していたメンバーの後を追って上京するように背中を押してくれたのは母親だった。「”もうお前の好きなようにしたらいい”ってお袋が言って。周りの人からは『お前が行ったら兄貴とお袋の2人だけになるじゃねえか』とか。でもそんなこと言ってたら俺のやりたいことができないとか、そういう葛藤があって」。

 それまでドラマーだった櫻井は自ら「歌いたい」と申し出てボーカリストになる。今に続くBUCK-TICKの誕生である。

「すごい楽しかった。金なんか全然なかったけど、みんなと一緒に住んだりして、続かないバイトやったりして。お袋に仕送りしてもらって。すまないなと思ってるんだけど、ないものはしょうがない。なんとか好きなことやりたかったから、もうちょっとだけ親不孝させてもらおうと思って。去年倒れて今は家で療養中。こないだ、初めてお金あげてきた。これあげるって言ったら絶対受け取らないから、そっと置いてきた」

 実はこの30年後、彼らのデビュー30周年企画として組まれた『別冊カドカワ 総力特集 BUCK-TICK』での取材で再び家族のことを話してもらっているのだが、「生い立ちを話すのは最後にするね」と編集を担当した大窪由香さんに告げていたそうだ。自身も家族を持ち未来に向かって進んでいるという気持ちだったかと思うが、逝去されて25年は経っていた母親について、「自分たちが人気も出てこれからという時に亡くなり、この人の幸せはなんだったんだろうと思うと、何もできなかった無力感がずっと続いている」と変わらぬ想いを語った。櫻井が失われた命への深い悲しみや孤独といったことを歌詞に込めていたのは、こうした想いからだろう。

櫻井敦司 アー写

ドラマーからボーカルへ より鮮やかになっていった“BUCK-TICKの色”

 1988年に話を戻すと、母親にようやく親孝行もできるほどバンドが順調に動き出し曲はヒット中、MAGUMIが太鼓判を押す美貌もあってコンプレックスなど何もなく攻めの気持ちだけの若者だろう、などと思っていたら櫻井は全く違い、意外なほどの繊細さと優しさと自分への戸惑いから成り立っているようだった。「目立つのが嫌いだった」という子供時代は、きっと母や兄の後ろに隠れているような大人しい子で甘えん坊だったのだろう。自分を抑えて周囲の空気を読むような繊細さを身につけたのも想像できる。それが彼の中に複雑な感情を積み重ねていったのではないだろうか。バンドが続き作品やライブで類い稀な表現力を発揮して一目置かれるようになっても、彼の中にあるものは変わらなかったように思う。どこかに影を抱えて生きているような彼の佇まいは、本人の意思と裏腹に彼の魅力の一部となっていた。音楽に興味を持ち始め、最初はギターを買ってもらったが指の皮がむけすぎて挫折。ドラムがかっこいいと叩き始めバンドに加わったが、父の死のあとに母の助言を得て「自分のやりたいことをやろう」と思い、ボーカルがやりたいとメンバーに申し出た。目立つことが嫌いで引っ込み思案だった彼の、もしかしたら初めての自己主張だったのかもしれない。

「何かこう……スポーツをやった後の充実感みたいなものが欲しかったと思うんですよ。自分が集中できたり、他のことを考えられないぐらいエネルギーが出せるっていうのが、したかったんだと思います。それがやっぱり、バンドってものが目の前にあったから、その中で一番エネルギーを出せるって思ったらボーカルってものがあって。そこで初めて自分でやりたいことっていうか、やろうと思ったことが、口から出てきて」(※1)

 初期のBUCK-TICKは今井が詞曲ともに手がけ、先輩バンドのBOØWYを意識したようなパンキッシュなナンバーが多かったが、3rdアルバム『SEVENTH HEAVEN』(1988年)から櫻井が作詞に参加するようになる。人気が高まり取材やTVやラジオへの出演が増えて楽曲制作の時間が取りにくくなったため、今井の負担を減らそうということと、自己表現を意識するようになった櫻井の想いが、作詞への扉を開いたようだ。そして「暗いものがやりたい」と今井に伝える。Bauhausやデヴィッド・ボウイなど好きなアーティストから感じる影を自分でも歌おうと思ったのだろう。当時のことをのちにこんな風に語っていた。

「1枚目、2枚目やって、3枚目どうしようって時に、初めて、暗いのやりたいんだって今井に言ったんですね。漠然とそれだけなんですけど。自分が好きなものって、英国のバンドの落ちた感じの時代だったり、性根はマイナーが好きなんだなみたいな感じで。それを今井に伝えて、方向を探っていた時期ですね。のちのちBUCK-TICKの雰囲気がダークと言われるようになったきっかけが『TABOO』(1989年)だったと思います。『SEVENTH HEAVEN』の『VICTIMS OF LOVE』、あのへんから自分のやりたいことが、ぼんやり見えてきた気がします」(※2)

 〈からめあう指と指の先に 青くつやめいた傷跡〉といった青い欲望のエロスとロマンを感じさせる歌詞の「VICTIMS OF LOVE」はたちまちライブでも人気曲となり、その流れに乗った『JUST ONE MORE KISS』で一気にバンドはブレイクする。〈抱き合えば そこは架空の都〉と想像を掻き立て〈天使のざわめき 悪魔のささやき〉と誘う。曲によって歌い方や発声を変えて歌に表情を加える櫻井のボーカルスタイルは研ぎ澄まされていき、初ロンドン録音の『TABOO』で開花する。イギリス人エンジニアとの制作はバンドにとって納得のできるものではなかったようだが、退廃的で耽美な歌とパンキッシュなサウンドの絶妙なバランスが、BUCK-TICKというバンドの色になった。

「したいことっていうか、これをしようっていう意思が出てきた。安直な言い方をすると、暗い世界を書こうとか、それを自分のキャラクターにしようとか。もっと自分自身がはっきりしたかったんだと思うんですよ。やりたいこととか、見せ方とか。バンドにもそういうはっきりしたものを出せればと思った」(※3)

BUCK-TICK アー写

 TVの音楽番組や音楽雑誌を賑わすようになったBUCK-TICKは、のちにヴィジュアル系と呼ばれるシーンの先駆けのような存在となった。美麗な衣装やヘアスタイル、退廃的な歌詞や攻撃的なバンドサウンドなどがその要素ではあるが、櫻井の美貌が人目を引いたことは否定できないだろう。そんな中で今井の事件が起こり、バンドは半年の活動休止、だがその逆風で加速するかのように意欲的な新作『惡の華』(1990年)をBUCK-TICKは発表する。ボードレールの詩集のタイトルを引用した本作は、櫻井にとって作詞の面でもボーカリストの面でも自信を持てる作品だったようだ。アルバムタイトルは全曲を録り終えてから考えたというが、「イメージみたいなのは休んでる間からあって……。日常では味わえないような絶望感、それを主題にして、そこからいろいろな方向に、いろいろなかたちで見えてくるもの。突っ走る感じとか、逆に内にこもるような感じとか。そういうことは最初にあった」(※4)という。

BUCK-TICK / 「惡の華」ミュージックビデオ

SCHWEIN、ソロ活動……ボーカリストとしての転換点

 『惡の華』をリリースしツアーが始まって間もなく、櫻井の母が亡くなった。亡くなるまで状況を知らされていなかったそうで、ショックは言葉にならないほど大きかったことだろう。その数日後に取材で彼と会ったのだが、あまりの憔悴ぶりにお悔やみの言葉をかけても崩れ落ちそうで何も言えなかった。そのツアーはBUCK-TICKの新たなスタートを示すに値するものになったはずだが、その頃の記憶がないと櫻井は言っていた。彼の母への想いは「さくら」の歌詞に込められている。この曲が収録された『狂った太陽』(1991年)は、激しさと寂しさがせめぎ合うような櫻井の歌がアグレッシブな今井の曲とひとつになって、スリリングな魅力を生み出している。「太陽ニ殺サレタ」は、華やかなステージで喝采を浴びながらも消えない孤独感、表面と内面で錯綜する美しさと醜さといったものを歌う、出色の作品の一つだ。

 ボーカリストとしての転機になったと思われるのは『殺シノ調べ This is NOT Greatest Hits』(1992年)だ。既発曲のアレンジを変え、ボーカルも含めて新録音したこの作品は、バンドにとっても大きな転換点だった。当時の新潮流だったデジロックやエレクトロニカを取り入れて再構築したサウンドと、すでに歌い込んでいる曲を新たな解釈で歌う櫻井のボーカルが、BUCK-TICKを大きく飛躍させる力になっていた。もっとも、この作品について櫻井自身は物足りなさも感じていたようだ。歌い方をどれほど変えようと歌詞を書くわけではないから新しいものを作る手応えには及ばなかったのかもしれないが、歌うことへの集中度は一段と高まっていったのではないかと思う。

 櫻井が新たな一面を見せたのは、2001年に今井、レイモンド・ワッツ(PIG)、サシャ・コニエツコ(KMFDM)と組んだバンド SCHWEINだ。これ以前に、今井が藤井麻輝(SOFT BALLET)と組んだSCHAFTに参加したレイモンドらとのユニットに櫻井も加わったのだが、英語詞や強烈なシャウトなどそれまでにない歌に挑戦した。海外でも作品がリリースされ手応えがあったからか、2004年に櫻井はソロプロジェクトを始動させアルバム『愛の惑星』をリリース、ライブも行った。本作はウェイン・ハッセイ(The Mission)から岡村靖幸まで自身の愛する国内外のアーティストの参加を得て制作。櫻井ならではの世界観を濃厚に描き上げた。

 作品ごとに研ぎ澄まされていく櫻井の歌詞と歌から滲み出る美意識の源は、音楽だけでなく映画や文学など様々なものからインスピレーションを受けていた。音楽ならデイヴィッド・ボウイやピーター・マーフィ、沢田研二といった名前をよく口にしていた。映画はアラン・ドロン。彼の出世作『太陽がいっぱい』(1960年)はお気に入りだった。「太陽」というワードはこの作品から来ていたかと思う。愛読書としては埴谷雄高『死霊』、夏目漱石『心』などを挙げていて、京極夏彦や稲垣足穂も愛読していたようだ。子供の頃に観て忘れられない映画と、群馬県前橋市の空襲をテーマにした『時計は生きていた』(監督:神山征二郎/1973年公開)という作品を挙げ、そこから「ゲルニカの夜」(『No.0』収録)が書かれた。『ゲルニカ』は言うまでもなくピカソの作品と重ねている。

櫻井敦司の表現は“未完成のまま” ISSAYとともに残した退廃的な美しさ

 そんな櫻井が慕っていた先輩がDer ZibetのISSAY(Vo)だった。櫻井より4つ年上で確かな美意識を持つ美貌のボーカリスト。櫻井は自分と同じものを彼から感じ取っていたのだろう。BUCK-TICKがデビューして間もない頃に知り合い、2人は交流を重ねていた。BUCK-TICKが『TABOO』をロンドンでレコーディングしていた時期にDer Zibetも『GARDEN』(1988年)をロンドンで制作中で、BUCK-TICKがシークレットで行なったライブにISSAYたちは足を運んでいた。櫻井と今井が参加した『思春期II -Downer Side-』(1991年)リリース後に九段会館で行われたDer Zibetのライブに櫻井がサプライズで登場し、「マスカレード」をデュエットして観客を歓喜させたこともある。Der Zibetのセルフカバーアルバム『懐古的未来〜NOSTALGIC FUTURE』(2010年)で、2人はこの曲を再び歌っている。またISSAYのソロ作『FLOWERS』(1994年)には櫻井と星野が参加した。最後に2人が共演したのはヤガミ・トールの『60th Birthday Live』だった。櫻井がステッキや仮面と言った小道具をステージで使うようになったのはISSAYの影響だ。パントマイムを学んでいたISSAYからパフォーマンスについても教わったものは多かったのではないだろうか。2人に共通する趣向についてISSAYはこんな風に言った。

「没落貴族的なデカダンスが好きなんですよ。退廃だけど品位を気取っているというか。あとはそいつがいるだけで、その場を退廃させる。それぐらい腐ったものがいいですね」(※5)

 BUCK-TICK年末恒例の武道館公演の打ち上げでは楽しそうに語り合う2人を何度も見かけた。ISSAYは2023年8月5日に急逝。その2カ月後の10月19日、櫻井が横浜のステージで倒れ、そのまま帰らぬ人となった。櫻井のいるBUCK-TICK最後の作品となった『異空 -IZORA-』(2023年)は、彼らしい退廃感を下敷きにしながら核への不安や戦争の恐怖、ジェンダー問題や家族愛など重要なテーマを歌い込んでいる。

BUCK-TICK/さよならシェルター destroy and regenerate-Mix (Live at TOKYO GARDEN THEATER 2023/7/23)

 私が最後に観たライブは、この作品を携えてのツアーの終盤になった東京ガーデンシアターだったが、そのライブでの櫻井は本当に素晴らしかった。終演後に感想を伝えると喜んでくれた時の笑顔が忘れられない。もちろんこの作品以前からだが、シアトリカルに全身を使って表現するライブパフォーマンスは見事なものだった。それでも本人は満足していなかった。繰り返しこんな言葉を口にしていた。

「いまだに完成していないですから。未完成のままずっと来てますから。今も、成長というとおかしいですけど、伸びたいなと思っていますからね」(※6)

 まだやりたいことはたくさんあったであろうと思うと今も胸が塞ぐ。櫻井亡き後も、バンドはBUCK∞TICKとして活動を続けている。櫻井がメンバーと作り上げてきたものは、これからも色褪せることはないだろう。

※1:『R&R NEWSMAKER(ロックンロール・ニューズメーカー)』1993年1月号
※2・3・6:2018年、『別冊カドカワ 総力特集 BUCK-TICK』取材時のメモより
※4:『R&R NEWSMAKER(ロックンロール・ニューズメーカー)』1990年2月号
※5:『別冊音楽と人 櫻井敦司』

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