藤井フミヤ、原田真二、SEKAI NO OWARI、スカパラ×稲葉浩志……日本の音楽が描いてきた“時間装置”への憧れ
もしも時間を巻き戻せたなら……。そんな祈りにも似た主題を、J-POPは世代を超えて何度となく描いてきた。SF的な発明品としてではなく、取り戻せない過去への未練やまだ叶わぬ夢へのもどかしさを託す装置として、“時間”そのものを扱う楽曲は絶えることがない。そして、その楽曲たちの多くが名曲として聞き継がれてきた。タイムマシンやタイムカプセルというモチーフが、いかにして感情の器として異なる形で使われてきたのか。本稿では、J-POPでたびたび描かれてきた“時間”をめぐるモチーフが、現代の楽曲のなかでどう再解釈されているのかを考えていきたい。
最初に振り返るべきは、1978年にリリースされた原田真二「タイム・トラベル」だろう。当時19歳だった原田が松本隆の詞に自ら曲をつけたこの楽曲は、古い洋館に暮らす謎めいた女性に導かれ、スフィンクスの眠る砂漠やピラミッド、1920年代のニューヨークを幻視のように駆け抜けていく。〈ああ夢の中〉というフレーズが象徴するように、ここで描かれる“時間旅行”は現実の記憶を巻き戻すものではなく、非日常へと誘う幻想の旅として歌われている。2011年にはスピッツがテレビドラマ『僕とスターの99日』(フジテレビ系)の主題歌としてこの曲をカバーし、のちにスペシャルアルバム『おるたな』にも収録された。原田の楽曲が他者のドラマ主題歌に使われたのはこれが初めてのことで、楽曲そのものが世代を超えて受け継がれ、“タイム・トラベル”という言葉通りの旅を果たしたことになる。
1995年に発表された藤井フミヤ「タイムマシーン」では、時間旅行のモチーフが身近な恋愛の願いとして描かれている。日立マクセルのMDキャンペーンソングとして書かれたこの楽曲は、筒美京平の作曲に藤井自身が詞を乗せたもの。出会ってすぐに消えてしまった相手をもう一度取り戻したいという、切実な願いがストレートに綴られている。原田の「タイム・トラベル」が幻想の旅への誘いだったのに対し、藤井の「タイムマシーン」は、過去に戻って恋をやり直したいという一人称の願いとして描かれている。〈ねえ もう一度 この夢 続きを見ていたい〉というフレーズからは、終わってしまった恋をまだ終わらせたくない思いが伝わってくる。さらに〈あの娘の 未来がほしい〉と歌われることで、その願いは過去を変えて相手との未来を手に入れたいという切実さへとつながっていく。この曲がヒットしたという事実からもわかる通り、“タイムマシン”という装置が純粋なファンタジーとして疑いなく信じられていた時代の空気を伝える一曲でもある。
2024年にリリースされたSEKAI NO OWARIの7thアルバム『Nautilus』にも、「タイムマシン」という楽曲が収録されている。Netflix映画『赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。』の主題歌として書き下ろされたこの楽曲は、大切な人を失った痛みを消すために、過去へ戻りたいと願う主人公の視点で進んでいく。だが、記憶を消すことは、その人と出会えた喜びまで消してしまうことでもある。そう気づいた主人公は、出逢いそのものは止められなかったのだと受け入れ、前も見えず、上も向けないままでも、自分自身と向き合おうとする。ここで描かれるタイムマシンは、過去をやり直すための道具ではなく、喪失を受け入れるための通過点として機能している。
2024年10月に発表されたAdo「桜日和とタイムマシン with 初音ミク」は、“時間”というテーマを声のあり方から描いた楽曲としても聴くことができる。桜の季節に訪れた別れを歌うこの曲で向き合うのは、あの日に戻りたいという思いと、もう戻れないという現実だ。Adoの声と初音ミクの声が交互に響き、そして時に重なり合うことで、記憶のなかの自分と現在の自分が対話しているような感覚が生まれている。過去に引き返すことはできない。それでも、言えなかった気持ちをようやく言葉にしようとする姿には、タイムマシンに乗って過去を変えるのではなく、過去に置き去りにしてきた思いへもう一度手を伸ばすような切実さがある。2007年に生まれた初音ミクと、2020年代を代表する歌い手・Adoが同じ楽曲のなかで“時間”を歌うこと自体が奇跡であり、ジャンルや世代を越えた事象だと言えるだろう。























