MIKADOは最新作『HOMUNCULUS』に至る1年で何を見せたのか その歩みと魅力を“3つの視点”から徹底分析

〈みんなの気持ちもわかる本物以外いらないんだろ〉――「TECH」

 MIKADOは躍り出た。昨年は、ミックステープ、アルバムを出し、いくつものバージョンをリリースした楽曲「言った!!」のヒットなど、その疾走には目を見張った。そして今年初めにリリースされた、ljとのEP『Walk the Walk』を経て、先日6月18日にアルバム『HOMUNCULUS』をリリース。その歩みは全く止まる様子を見せない。

 MIKADOの魅力は、大まかに分けて3つある。それは高い技巧性、快楽性、そしてカリスマ性だ。彼は、言葉の持つ可能性を高めながら、音としてのラップミュージックに誠実に向き合って音楽を作ることを、高いレベルで達成させている。2001年生まれ、和歌山県出身のこのラッパーは、自らのハードな生い立ちや地元のコミュニティ、文化を背景に持ちながら、人々を先導するようなカリスマ性にもあふれているのだ。

 高い技巧性は一貫して見られる。その巧みなワードプレイは、日本語ラップを聴く醍醐味にもあふれている。MIKADOの曲のバリエーションは、ハードなものからメロディアスなものまで幅広いが、ライミングや単語、または一節の反復を絶妙なタイミングで繰り出すことで、リスナーの脳内に鮮烈に“言葉”を刻む音楽になっている。瞬発性のあるスピットのようなものから、メロディアスなものまで、多くの場合において的確な押韻を実践していく。一つのラインを2回以上繰り返しながら、ある言葉を入れ替える、または付け足すことで次の展開に繋げる、という複数の曲で見られるリリックの巧妙な展開、構成力も見事である。

 一方で、感覚的な側面もMIKADOの音楽においては重要だ。ミックステープ『Re:Born Tape』リリース時のインタビューで、収録終盤の曲は、特に喋っているような感覚でラップしたことで時間をかけず完成させたと答えていた(※1)。高いラップスキルの持ち主であることは前提として、そういった堅すぎない身軽さも魅力である。

 彼の変幻自在なフロウは、トラップベースの多様なビートの上で、サウンドに対する柔軟なアプローチを見せる。音に対して快楽的に乗りこなしていくような感覚の身軽さを感じさせる。それは、場合によっては言葉を詰め込むことなく、肩から力が抜けたような擬音を入れ込むことや、何度も繰り返される音として気持ちのいい発声音(『HOMUNCULUS』のなかで言えば「SAKE」がそれにあたるだろう)を聴いても明らかだ。音としての気持ちよさ、自らの感覚によって構築されている音楽的な快楽性も、MIKADOの作品の重要な側面である。

 「言った!!」という楽曲、そしてその言葉そのものは、いくつかのリミックスを経て、瞬く間にヘッズのあいだに広まった。何度もフックのなかで繰り返される〈言った!〉の反復は、前述した高い技巧性と音楽的な快楽性のもとで説得力を放っているとも言えるかもしれない。同郷のラッパー・7と話している(※2)ように、もともと、意味合いがなんとなく説明できるくらいの地元の仲間内のスラングとして使っていたこのシンプルな言葉が、全国にいるヘッズに拡散されていったのは、昨年のシーンで起こった最も印象深い現象の一つだ。その意味は本来の用法を超えて浸透し、言葉の定義を正確に説明できる人間は、今やほとんどいないことだろう(それは、昨年、全世界のポップカルチャーを席巻したチャーリーxcx「BRAT」の意味を正確に説明できる人間がいないように)。

MIKADO - 言った!! Remix feat.7,Kohjiya

 つまり、正確な定義に関係なく、多くの人間がただ即発的に、まるでスタンプを押すかのように気軽に言い放ったこと、その現象自体が重要なのだ。彼自身もここまで広がるとは思っていなかったかもしれないが、そういった波及力を持ち、ヘッズの足並みを揃えたこと、そしてシーンに自らの足跡を刻んだことは重要で、それこそが彼のカリスマ性を高めた要因の一つと言えるだろう。

 また、地方のフッドを背負いながら成り上がり、そこでのコミュニティや文化を自らの音楽に落とし込んで全国に広げていく様は、まさにヒップホップらしいアクションである。自らの居場所を意識し、それを屈託なく誇示していることも彼のカリスマ性と接続できる。

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