THEE MICHELLE GUN ELEPHANT、“間に合わなかった世代”にも授けたDNA King Gnu、キタニタツヤらが影響受けた名曲
“間に合わなかった世代”にとって「ドロップ」と「世界の終わり」が印象深い理由
他にも、先述の音楽フェス企画の一環で卓越したギタープレイを見せたReiやのんなど、女性ミュージシャンにもTMGEを敬愛する人は大勢いる。彼ら彼女らは、みな現在アラサー世代。2003年当時は小学生ぐらいの年齢であり、おそらく解散ライブにすら足を運ぶことが叶わなかった世代となる。ただ、こうして「間に合わなかった」世代が持つTMGE像を改めて見ると、一点とても興味深い傾向がある。彼らが影響を公言したり、引用曲としてセレクトしているのが「ドロップ」か「世界の終わり」というケースが多い点だ。
「世界の終わり」が、元より幅広い世代に支持される人気曲であることは言わずもがな。切れ味の鋭いコードストロークに蠢くベースライン、堅実かつタイトなエイトビートと、楽器隊の魅力が余すところなく詰まったサウンド。そしてバンドの始まりの曲でありながらも、どこか現実味のない概念的な表現も交えつつ終末観を描くという、相反性を携えた歌詞。リリシスト・チバユウスケの個性も存分に発揮された代表作として、今なお呼び声高い1曲となる。
一方の「ドロップ」は、おそらく劇中で流れる映画『青い春』(2002年)の影響も大きいのだろう。バンドの作品の中でも比較的スローテンポなナンバーだが、どこか緊張感を保ちつつ、焦燥や鋭さをまとってどっしりと展開する楽曲に、初期とはまったく性質の異なるサウンドの円熟味を感じる人も多いはずだ。無駄なものを一切削ぎ落とした言葉数少ない歌詞の中で描かれる〈ピンク〉の色彩の鮮烈さ。それもまた、大勢の心を掴む要素のひとつに違いない。
こうして見ると上記2曲は、活動を通して深化していくバンドの各時期の魅力を非常に明瞭に表した楽曲ともなる。だがそれ以上に、ことさら「間に合わなかった」世代にとって両曲の印象が強い理由は、きっと彼らにとってのTMGEを象徴する事象が、バンドの終焉となる2003年の解散ライブだからなのかもしれない。
その一夜は映像作品として発売されたり、TVで特別番組が放送されたのみならず、映画にもなって昨今もリバイバル上映が繰り返されているなど、多くのファンが語り継ぐ日となっている。だからこそリアルタイムに活動を追えなかった人々は、その最初と最後を飾る印象的な「ドロップ」「世界の終わり」の2曲を、TMGEの象徴的な楽曲とするのではないだろうか。
彼らは確かにこの世界にいた。同じ時間軸を生きて、時代を大きく動かした。『THEE 30TH』プロジェクトや様々な機会を通じてそう後世に伝える限り、TMGEは大勢の中で色鮮やかに生き続けるのだろう。
爆音はまだ止まない。ブルーズは鳴り続ける、これからもずっと。
※1:https://kansai.pia.co.jp/interview/music/2024-03/paledusk.html

























