追悼 チバユウスケ TMGE、The Birthday……鮮烈なロックを追求し続けた極上のフロントマン
カッコいいヤツだったな。
モデルのようないわゆるイケメンでもないし、俳優のようにスマートでもない。ちょっと猫背の痩せっぽちで、何だか迂闊なところもある。けれど、あの嗄れた声で歌い出すと途轍もない存在感を発して聴く者を圧倒する。ロードムービーのようにイメージを飛ばしていく歌詞と切れ味抜群のロックンロールは、空気をビリビリと震わせた。それを極上のバンドのフロントで歌うのだ。カッコいいと言うしかない。チバユウスケは、アーティストというより常にバンドマンだった。
揃いのブラックスーツで、パンクでホットなガレージロックを鳴らしたTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT(以下、TMGE)、元BLANKEY JET CITYの照井利幸(Ba)とASSFORTのMASATO(Dr)と組んだROSSO、そして骨太かつメロディアスなロックを貫くThe Birthday。どれも最高のライブバンドだ。どの時期も強烈なオリジナリティを発揮し、生身の人間にしかできない情熱を放出している。
TMGEは、中断騒ぎになった豊洲のフジロック(『FUJI ROCK FESTIVAL '98』)や、横浜アリーナでの史上初のスタンディングライブ、解散前最後の幕張メッセなど伝説的なライブも多いが、私の記憶の真ん中に残っているのは京都 磔磔をはじめライブハウスで演奏する彼らだ。ブラックスーツが重くなるほど汗を流し、チバは酸欠で喘ぎながらシャウトする。楽屋に向かう4人の足取りがおぼつかないほどライブは壮絶だった。1年中、絶えずどこかで演奏していたような印象がある。
この時期はバンド全員でのインタビューが多かった。チバはニヤニヤしながら他のメンバーの発言を聞いていて、自分に質問が向くと煙に巻くようなことを言って笑っていた。アベフトシ(Gt)もあまり話す方ではなかったから、クハラカズユキ(Dr)とウエノコウジ(Ba)が軽妙な答えをしてくれて記事が成り立ったようなものだ。詞曲を書いて歌っているのはチバだけれど、バンドは自分だけじゃないと示したかったのかもしれない。そういえばリーダーとされていたのは最年少のクハラだった。
2期に渡ったROSSOを経て、TMGEからの盟友クハラとともにThe Birthdayを組んでチバはちょっと変わった。曲もソリッドなロックンロールからブルースやジャジーな曲など広がりのあるものが増えていった。ROSSOからThe Birthdayのメンバーになったイマイアキノブ(Gt)の影響もあったのだろうが、新鮮な曲を次々に出してくるチバに驚いたものだ。誤解を恐れずに言えばロックというものをさらに掘り下げて血肉にし、ソングライターとしての幅を広げているように見えた。チバ自身が変化の翼を広げる自分を楽しんでいるようにも思えた。「涙がこぼれそう」「愛でぬりつぶせ」といった超弩級のロックチューンが生まれ、ライブの定番曲になった。
イマイが脱退した時は、バンドを辞めてソロになろうかと思ったとも言っていたが、チバに「バンド続けません?」と提案したのはヒライハルキ(Ba)。2代目ギタリストはフジイケンジ(Gt)になった。アベフトシを思い出させる黒のギブソンでソリッドなリフを弾くフジイはすぐにバンドに馴染み、The Birthdayは順調に活動してきた。相変わらずツアーを繰り返し、目下のところフルアルバムは11枚。もう1枚ぐらい準備していたかもしれない。
バンドのフロントマンとしての自覚を持ったようで、チバ一人でのインタビューも増えて深い話をすることも多くなった。もともと率直な人で、時には名言も飛び出す。缶ビール片手に機嫌よく話に応じてくれるのはいいのだが、時間が長くなったり夜遅くなったりすると、ご機嫌すぎて取材の体を成さなくなることもあったのが困りものだった。まあ、それはそれで楽しい時間だったが。