Teleが探し求める“箱庭の灯”とは何か 初の日本武道館公演から開幕、全国ツアーで確かめる答え
6月1日、Teleにとって初の日本武道館公演が開催された。なお、今回の公演は、全国9カ所を周るライブツアー『箱庭の灯』の初日公演にあたる。この記事では、同ツアーの演出やセットリストの一部の楽曲に触れながら、武道館公演の模様を振り返っていく。
まず、武道館に入って驚かされたのが、砂丘を模したような白のステージセットだった。会場の大きさも相まって、まるで広大な砂漠の中に身を置くような感覚を得た人は少なくなかったと思う。そして、このようなステージが用意された理由は、ライブ内の映像演出で明らかになった。
映像演出の登場人物は、老人と少年の2人。彼らは、日中の砂漠を走る列車の中で会話を重ねている。老人いわく、この砂漠は、彼にとっての“心の箱庭”で、それまでの人生の節々における思い出や感情、思想によって形作られた心象風景であるという。老人は、その砂漠の中を一人で彷徨い続けながら、懸命に“箱庭の灯”を探し続けた日々を振り返る。それが何であるのか分からないまま、狂ったように、ただただひたすらに。その話を聞いた少年は、「僕も僕の箱庭で灯を探さなきゃいけない気がする」「答え合わせは自分ですべきなんだ」と告げ、列車を降りて老人と道を違える。そして少年は、夜の砂漠を歩きながら、自分自身にとっての“箱庭の灯”を探すために一歩踏み出した。
“箱庭”とは、砂の入った箱の中にミニチュアを置き、景観を作るもの。その中で自由に何かを表現したり、遊ぶことを通して行う心理療法でも使われている。Teleは公演中、自身にとって音楽を作ることは箱庭療法のようなものであり、音楽を作ることで自分のことが少しずつわかってきた、というようなことを語っていた。
その“箱庭”にともる“灯”とは、いったい何なのか。少年が列車を降りて、自分自身の砂漠の中で探求の旅を始めたことが示唆しているように、その答えは一つではないのかもしれないし、もしかしたら観客の数だけ異なる答えがあるのかもしれない。このライブは、一人ひとりの観客がその答えを見つけ出すための長い旅路のようなものであり、そして、その手掛かりを授けてくれるのがTeleが歌い届けてくれる音楽だ。
今回のライブで特に強く印象に残ったのが、「私小説」の〈君の悲しみを知らない、それすら喜びの朝も知らない。/風が吹き、君は発つ、退屈な日々の折へと。〉という言葉だ。まさに「私小説」という曲名が象徴的なように、私たちは、一人ひとりが自分だけの人生を生きているし、逆に言えば、その人生を生きていかなければいけない。そうした旅路は孤独なものではあるけれど、それでもTeleの音楽は、それぞれの観客の人生を高らかに祝福し、決して独りではないという温かな実感を授けてくれる。
また、彼は「ことほぎ」を披露する際、音源とは異なり、サビの〈拝啓、僕らきっと忘れていいよ。/思い出を美化はしないぜ。/だって素晴らしかった。/美しかった。/だからもう、次の未来へ。〉という歌詞から歌い始めた。そうしたアレンジがあったからか、いつも以上に〈次の未来へ。〉という言葉に滲むポジティブなエネルギーが深く伝わってきたような気がした。自分の心の砂漠を歩み続ける中では、時に、過去の記憶や思い出に縋ってしまったり、囚われてしまうこともあるかもしれない。そうした時に、Teleの音楽は、前を向き、力強く歩を進めるためのエネルギーを与えてくれる。そう強く感じた。