稲垣吾郎が孤高の表現者としてあり続けるのはなぜか 映画『正欲』で深めた“普通”に対するアプローチ
『週刊文春WOMAN』2023年秋号(文藝春秋)に掲載された稲垣吾郎のインタビューが大変興味深い。大枠は11月10日に全国公開される、主演映画『正欲』に関するもの。だが読み進めるに連れて、本作で演じた役柄の先に、稲垣が自分自身について再確認しながら言葉を紡いでいるように感じたのだ。
稲垣が『正欲』で演じるのは、不登校の息子に悩む寺井啓喜という男だ。地方検察庁の検事という職に就いていることからも、法の下の平等を目指している正義感の強い人物であることが窺える。しかし、だからこそ“普通”から外れた生き方を認めることに強く抵抗を持つという一面も。
原作を読んでいたという稲垣は、そもそも映像化することが難しいと思っていたうえに、この啓喜というキャラクターのオファーが自分に来たことを意外に思ったのだそう。「彼はこの物語の中で、どちらかというとマジョリティー側の人間として描かれているわけですが、僕は今まで少数派で癖のある役が多かったので、これは俳優としてのチャレンジだなと」。
稲垣が言うように、近年、彼はどちらかといえば社会からはみ出す側の役を演じることが多かった。映画『半世界』では地方都市に暮らす不器用な炭焼職人を、『ばるぼら』では破滅していく小説家を、『窓辺にて』では妻の浮気を知りながら何も言えずにいるフリーライターを、それぞれ魅力的に演じてきた。
人がそばにいても拭いきれない孤独感。満たされない愛の正体を模索し、時には壊れるほどに自分自身を追い込んでいく。稲垣がそんなキャラクターを演じると、彼が持つ孤高の輝きがグッと引き出される。そんな感覚を持っているのは筆者だけではないだろう。
稲垣が舞台で演出家から「孤独な人間の苦悩が本当に似合うよね」と言われたことがあるというのも、大きく頷ける。だからこそ、本作では“普通”側を求められたのが、稲垣自身も意外だったというのだ。
だが、自分は“普通”側だと思っている人こそ、危うさを孕んでいる場合がある。自分は決して間違っていない、と正義感を振りかざし、マイノリティに圧力をかけていく様子は、まさに狂気そのもの。そんな“普通”側の人が持つ狂気を、稲垣に求めたという岸善幸監督のコメントにもうならされた。
「みんなが共感できる“市井の人”」と「浮世離れした“異端の人”」。振り返ってみれば、稲垣はアイドル活動からも、そのスイッチを自在に切り替えていたような気がする。インタビューでは、稲垣本人も「パブリックイメージ」という言葉で説明しているのが印象的だった。
そして「昔の稲垣吾郎には、生活感のないイメージがあったはず」「パブリックイメージが本当の自分と違うとしても、それさえも楽しみながら利用できる」と、淡々と語るその姿に少しだけゾクッとさせられたのだ。