DOPING PANDA×the band apart、21年ぶり対バン企画を前に特別対談 ソロ活動を経て強固になったバンドとしての自覚

ドーパン×バンアパ対談

 DOPING PANDAが6月に開催するツアー『mugendai THE CARNIVAL 2023』にて、the band apartとの対バンライブ『mellow fellow』を行なう。この『mellow fellow』は、2002年に下北沢SHELTERで開催されたDOPING PANDAとthe band apartの共同イベントであり、ここから2組のコラボ曲も生まれている。1990年代に主流だったロックやパンクの潮流に安易に迎合することなく、ジャンルを飛び越えるようなオリジナリティの高いバンドサウンドを鳴らしてきた両者だが、かたやメジャー、かたやインディーズで活動し、必ずしも常に近しいところにいたわけではなかった。むしろDOPING PANDAが解散した2012年以降、Furukawa Yutaka(Vo/Gt)がソロ活動を行ない、昨年の再結成に至る過程の中で、徐々に邂逅していったと言っていいかもしれない。

 今回は、そんなDOPING PANDAのFurukawa、the band apartの荒井岳史(Vo/Gt)、木暮栄一(Dr)の3名による対談をセッティング。2000年代当時に志していたバンド像、2010年代に訪れた転換点、そして紆余曲折を経たからこそ感じるバンドである意味など、待望の『mellow fellow』を目前にたっぷり語り合ってもらった。(編集部)

疎遠になった2000年代、再び交流した2010年代

――『mellow fellow』を掲げた開催は21年ぶりになりますが、Furukawaさんは今回the band apartと対バンしたいと思った理由は何だったのでしょうか。

Furukawa Yutaka(DOPING PANDA/以下、Furukawa):2022年にドーパンが再結成して、まずはアルバムを出してツアーを回ろうって話してたんですけど、その後は気が向いた時だけライブをやるとかではなくて、ちゃんと1年に1回は新しい作品を出して、継続してライブ活動もやっていこうという方針になって。昨年ワンマンでツアーを回ったから、次は対バンじゃないかという話になったんですけど、自分の中では「再結成後の対バンはバンアパから始めたい」って決めていたので、その間にいくつか声かけてもらっていた対バンも断ってました。

Furukawa Yutaka(DOPING PANDA)

――それはFurukawaさんにとってthe band apartがどういう存在だからなんでしょう?

Furukawa:最初にデモテープを聴いた時の衝撃をいまだに覚えていて。たしか梅ヶ丘の居酒屋でTAGAMIさん(SYUTA-LOW "TGMX" TAGAMI/SCAFULL KING)と「このバンドすごくない?」って話して、すぐライブ観に行ったのを覚えてます。(2000年代初頭の)バンアパとドーパンで一緒に、パンクとはまた違った音楽でシーンを作れると思っていたんですよ。けど、お互いに若かったし我も強かったので、あまり上手く行かなくて。ドーパンがメジャーに行ってからも何度か対バンに誘っていたんですけど、たぶんメンバーの耳に届く前に途絶えたオファーがたくさんあって(笑)。対バン回数は多くないのに、俺が節目ごとに一方的にバンアパの名前を出すから、不思議がられてたんじゃないですかね。

木暮栄一(the band apart/以下、木暮):バンアパってそういう話がめちゃくちゃあるから。(当時のマネージャーが)俺らに話さず、勝手にオファーを断ってたことがたくさんあって。その結果、あまり誘われなくなっちゃったんだけど(苦笑)。

――荒井さんと木暮さんは、再結成後のDOPING PANDAをどんな風に見ていますか。

木暮:遡るけど、2000年代に入った頃は『AIR JAM』の影響で、「インディーズであることがかっこいい」みたいな根拠のないイメージを俺は持っていて。ドーパンがそこからメジャーに行ったのは、今思えば逆にかっこいいことをしたなって思うんだけど、当時はそれでちょっと疎遠になってしまって。もちろん「Crazy」とか超いい曲だなと思いながら聴いてたけど、そこからしばらくして解散しちゃったから、あまり上手く行かなかったのかなとは遠巻きに思ってました。特にYutakaはいつも打ち上げで誰かと揉めている、ナイフのような男っていうイメージで(笑)。でも、今はあまりナイフじゃなくなって、「昔の俺はあえてナイフを持っていたんだ」くらいのことまで言えるようになったから、バンドの雰囲気もすごくいい感じなんだろうなと。お互いに「経てきたな」という感じです。

DOPING PANDA 『Crazy』

荒井岳史(the band apart/以下、荒井):(フルカワユタカ名義の)ソロ活動だけじゃなく、市川さん(市川昌之/LOW IQ 01)のサポートもやったりしていたから、そういう現場で交流を続けてきた先でのドーパン再結成だったので、シンプルに「やれるんだ、よかったね」という感じですよ。さっきの「対バンに誘ってくれていた」っていう話は当時あまり知らなかったけど、ある時期からなんとなく疎遠になって、近いところで活動していなかった印象なんだよね。

Furukawa:解散ライブ来てないもんね?

荒井:行けてない。解散するんだっていうのを聞いてから、会えてない時期があって、しばらくしてまた会うようになって、再結成……っていう感じなので、まだ再結成してからのドーパンのライブを観ていないんですよ。でも、(この記事の)撮影で久しぶりにドーパンの3人と一緒に会えて、「あぁ、楽しそうでいいな」と。解散前はTaroさん(Taro Hojo)以外の2人は尖ってる印象だったから。

Furukawa:Hayato(Hayato Beat)はね、物理的にも尖ってたし(笑)。

荒井岳史(the band apart)

荒井:もちろん、当時はドーパンなりの責任感で気を張ってたんでしょうけど。

Furukawa:それはお互い様だと思うけどね。1回、学園祭のライブ(2009年の『桜美林大学大学祭』)で対バンしたじゃない? あの時もあまり話せなかったんだよな。

木暮:俺はHayatoと一緒に筋トレしてたけど。

Furukawa:あ、そうなの(笑)。荒井とは今みたいに喋れてた気がするけど、まーちゃん(原昌和)と一緒にいた時に、ちょうど軽音楽部の学生がバンド演奏やっていたから、「元気にやってるね」とまーちゃんに話しかけたら、「全然よくねえけどな」って(笑)。それで俺、震え上がっちゃって会話が止まった。

荒井:マジか(笑)。

木暮:あいつも全盛期だったんだなあ(笑)。

木暮栄一(the band apart)

――DOPING PANDAが解散した2012年以降、Furukawaさんはソロでいろいろな方と交流しながら制作やライブを行なっているイメージですが、そういう交流が再結成に与えた影響はありますか?

Furukawa:直接的に繋がってるかはわからないけど、自分にとってそういう交流はデカかったですね。ドーパンの時は3人だけでやっていたし、たくさんの人の意見を入れるとオリジナリティが薄まっちゃうと思ってたんですよ。純度が高いものを作るためには、なるべく人と関わらない方がいいと思っていて。フェスでも人のライブを観ず、楽屋から出ないで、マネージャーにごはんを持ってこさせたりしていたので。

荒井:すごくこじらせてるね(笑)。

Furukawa:解散してからも、そのマインドは崩れていなかったですね。それでしばらく知り合いのサポートと、自分のソロだけやっていたんだけど、デカかったのはBase Ball Bearかな。彼らのサポートをやったことがきっかけで、一気に舞台に戻った感じ。たぶんそれが広まって、市川さんが誘ってくれたと勝手に思っていて(笑)。そこから昔の仲間とか、あまり交流がなかった細美(武士)くんとかと一緒になるイベントが増えて、自分の作品でコラボをやったり、まーちゃんと曲を書いたりする流れになっていくので。だから、ベボベがきっかけとして本当に大きかったですね。

――交流が開けていく中で、Furukawaさん自身は何が一番変わったと思います?

Furukawa:俺って案外、人が好きなんだってわかりました。昔はめちゃくちゃ嫌われ者だという自覚があったし、俺自身も人のことを嫌いだと思っていたんです。きっとインタビューでの発言とか、見栄を張った生き様とかを見て判断されてるんだろうと思い込んでいたんですけど、いろんな人と話してみると実は全然そんなことなくて。悪い人はそんなにいないし、俺も悪い人間じゃなかった……と気づかされる数年間でした。思えば、誰かと一緒にやることで純度が薄まるとか、ちゃんちゃらおかしくて。むしろ自分の知らない引き出しを開けてもらえるよなっていう、真面目な気づきがありました。

DOPING PANDA「Imagine」

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