ドラマ『星降る夜に』主題歌で話題の由薫にインタビュー 音楽活動を通して気づいた自分を表現するということ
シンガーソングライターの由薫が、2月8日に「星月夜」を配信リリースする。同曲は、現在放送中のドラマ『星降る夜に』(テレビ朝日系)の主題歌に起用され、ドラマと合わせて話題を呼んでいる。今回の初インタビューでは、「星月夜」が生まれた経緯はもちろん、彼女の生い立ちやこれまで発表してきた楽曲の背景についても詳しく話を聞いた。(編集部)
音楽を始めた頃に大事にしていた怒りや欲望のパワー
――由薫さんのステージ上で歌っている佇まいや楽曲を通して感じるのは、クールで凛とした印象でした。だけど、お話されている様子を見ると柔らかい雰囲気で、そこに良い意味でギャップを感じまして。
由薫:ふふ、ありがとうございます。
――周りからは、どんな人に見られているんでしょう?
由薫:どうですかね? ラジオに出ると、それまで曲だけを知ってくださっていた人が「こんなふうに喋るんだ」と言った感じで、確かに驚いたリアクションをもらうことがあって、自分でも「そこにギャップがあるんだ」と気づくんです。でも、友達には「人がすごく好きな人」と言われます。人と関わることが好きな人に映ってるみたいです。
――改めて、これまでの生い立ちを教えてもらえますか。
由薫:2000年に沖縄で生まれて、2歳の時に父の仕事の都合でアメリカに移住しました。そこで3年を過ごした後、1年間だけ石川県の金沢に住んで、6歳から9歳までスイスで過ごしました。その後は日本に戻ってきて、今もずっと日本に住んでいます。
――お家ではどのように育てられました?
由薫:父は自由な考えの人で「どうやったら人を笑わせられるか」とユーモアを大切にするタイプなんです。顔にシールを貼ったり、ダンボールで家を作ったり、そうやって父と面白いことを探しながら育った気がします。だから小さい頃は本当に活発で、いろんな所に行ったり、遊んだりするのが好きな子供でした。
――幼い頃から各地を転々とされていましたが、どのタイミングで人間形成されたと思いますか。
由薫:スイスにいた時が自分のスタートかなと思います。その頃に通っていたインターナショナルスクールは、年齢も国籍もバラバラの生徒が集まっていて、みんな個性的だからこそ伸び伸びしていられたんです。そんなスイスで物心がついたからこそ、日本に帰ってきた時はギャップで色々考えさせられました。
――日本に来て最初の登校日、まだランドセルを持っていなかったから、エコバッグで学校に行ったら先生に怒られたんですよね。あとはスイスと違って、上下関係があることにも驚いたとか。日本に帰国して、劣等感だったり怒りだったり、どんな感情を覚えました? それによって性格に変化はありましたか?
由薫:日本に帰ってきてから、性格が内向的になったんです。でも、それは場所が変わって性格も変わったというよりも、そもそも私は日本語で友達とコミュニケーションを取っていたわけではないので、日本語は喋れても生きている日本語が分からなかった。日本ではないところに住んでいた日本人として文法も習ったし、敬語も習ったし、漢字も習った。その状態で日本に来てみると、逆に目立ってしまうというか(笑)。それこそ習っていたことを活かそうと思って敬語も使っていましたし、「うざい」とかそういう言葉も使わなかったですし。言ってしまえば“違う時代から来た人”みたいな感じになっちゃって(笑)。
――授業で習う言葉って、日常会話よりも丁寧ですからね。
由薫:それによって「この人はどこから来たんだろう? なんか普通じゃないよね?」みたいな受け取られ方をしたんですけど、それはそうだなと思って。スイスにいた時の私は、友達と積極的にコミュニケーションを取っていくタイプだったので、それが先に頭の中にあって。日本に来てからも、なんとかして周りと馴染もうっていう思いがすごくあったんです。それからは調整の日々というか、「うざい」ってどういう意味なんだろうとか、みんなが使っている言葉ってどういう意味なんだろう、とか考えて。何が流行っているのかも知らなくて、会話の内容も何について話してるのか全く分からないので、全然ついていけなかったんですよ。そこをキャッチアップしていく中で、子供だけど皆のことを一歩後ろから見ている自分ができた感じもあって、科学者みたいな感覚でしたね。みんなのことを研究して、どうしたら私もその一員になれるか? と考えていました。
――今のお話を聞いて「Poison berry」が浮かびました。
由薫:ありがとうございます。そんな昔の曲まで聴いていただけて嬉しいです。
――あの曲って、自分対社会の図式を描いた曲ですよね。社会に対して自分はどこにいるのか、みんなは「こういうのを欲してるんでしょ?」とかを皮肉も込めて歌っている。初期曲で言えば「170」も好きなんですけど、その頃の楽曲って世間のことを俯瞰で見つつ、そこに怒りを持っている印象を受けるんですよね。
由薫:そうなんですよ。怒りや欲望とかを、音楽を始めた時の私はすごく大事にしていて。なんでかと言うと、そういう気持ちが自分の中のパワーというか、自分を動かすものになっていた。それらはネガティブなものとして扱われるけど、負けん気だったりとか、そういうものが自分をより引っ張ってくれることもあるんだなって、音楽を始めた時に思って。楽曲から怒りを感じ取っていただけたのは、まさに自分の考えを汲み取ってくださって嬉しいです。
――「170」は今の歌い方とだいぶ違いますよね。歌に対するスタンスは当時と今で違いますか?
由薫:かなり違っていて。当時は音楽を作ることを、ご飯を食べるとか、運動をするのと同じような、自分が人として生きていくのに必要不可欠なものとして排出するような気持ちで作っていました。それは綺麗なものではなかったりもしたけど「出さないと出さないと」って思っていたんです。それこそ「170」は今でも覚えているんですけど、曇りの日に部屋でノートを開いて鉛筆でガーっと止まることなく歌詞を書いて。十代ならではかもしれないですけど、そういうパワーで生まれた曲なんです。歌詞が完成したときには涙が出てきました。
――言葉にすると何の涙だったんですかね?
由薫:それこそ怒りですかね。22歳の私からするとちょっと恥ずかしいんですけど、当時の気持ちを思い出してみると、今でこそ自分は人と関わるのがすごく好きですが、その時の私は社会の中にいながら、どこか取り残されてしまっているような感じがしていて。同時に、そういう人が私だけではないっていうことにも気づいた時で。あの曲は、どこかの誰かを引っ張ってきて曲にしたんですけど。それを歌詞にして改めて自分で歌ってみた時に、同じような気持ちをしている人とどこかで繋がれたような気持ちになって、それで涙が出てきたんですよね。これまで「170」の種明かしみたいなことはしてこなかったんですけど、実際にあったことを見て読んで怒りが湧いてきて、それで作った曲でもあって。「社会は駄目だ」とかじゃなくて、社会に取り残されているように感じている人のために曲を作りたいなって思っていたので、自然と涙が出てきたのを覚えてます。
――去年2月にリリースされた1st EP『Reveal』になって、そのギアが変わったというか、儚さや寂しさが強くなった気がしたんですよね。「Fish」「風」「ヒヤシンス」もそうなんですけど、どこか寂しい感じがする。
由薫:その通りだと思います。音楽を始めた時は、先ほども言ったように自分の中のパワーみたいなものを出すつもりで、書こうと思って書いてないんですよね。もはや仕方なく書いてるというか。だけど『Reveal』あたりから、能動的に曲を書こうと思ったりとか、ライブを念頭において書いた曲だったりとか。それまでは「怒り」や「欲」といったネガティブな気持ちがテーマにあって、それを原動力にして生きていくんだっていう感じだったのが、愛がテーマになってきていて。かなり自分でも変わった感じがありますよね。
――つまり曲作りが排出するものではなくなった。
由薫:そうですね。『Reveal』には、ライブをし始める前の曲が入っていたりするんですけど、どちらかというと自分の中だけで完結する音楽というよりも、誰かに向けて書いている意識を持ち始めた時の音楽なのかなと思います。まだ手探りでしたけど、私ってこういうことがやりたいんじゃないか? ということに、ちょっと近づいたのが『Reveal』でしたね。
ONE OK ROCK Toruプロデュースは運命的な巡り合わせに
――そして同年6月に1stシングル『lullaby』でメジャーデビューをされます。どんな状況でデビューの報告を受けたんですか?
由薫:それまでは練習生として事務所と関わらせてもらっていて。ライブ活動をしていくにあたり「本当に音楽をやるつもりですか?」とか「どれくらい真剣に音楽と向き合うつもりですか?」というやり取りもあったりして。自分の中で「本気で音楽をやるんだ」と決意したあたりで、2021年の秋にメジャーのお話をもらいました。
――予想はしてました?
由薫:全然予想していなかったです。どちらかというと、正直このまま事務所にいさせてもらえるのか、もらえないのかのお話をするのかと思って。会議室でメジャーデビューのお話をいただいた時は、最初に「事務所にいさせてもらえるんだ」と安心して、その後に「あ……メジャーですか?」って。かなりキャパオーバーになっていた記憶があります。
――最悪の事態を予想していたら、まさかのメジャーデビュー。しかも映画『バスカヴィル家の犬 シャーロック劇場版』の主題歌で、プロデュースにONE OK ROCKのToruさんが入るという、かなり大きなトピックが一気にやってきました。それを聞いた時の気持ちはどうでしたか?
由薫:「私は物語の中で生きてるのかな?」ぐらいまで思いましたね(笑)。なぜかと言うと、それまでのいろんなことが回収されているように感じたんです。事務所と関わらせてもらうきっかけになった『NEW CINEMA PROJECT』は、映画の主題歌を作ってみるというオーディションだったんですよ。
――なるほど。
由薫:当時オーディションを受けるにあたって、生活の一部としてやっていた音楽を、誰かに聴いてもらうスタンスで初めて書いてみて。それまで人前で歌ったことなかったけど、審査員の前で歌って評価してもらうっていうことを初めて経験したのが、そのオーディションでした。実は、その時は曲を作るにあたって、どうしたら自分の個性を分かってもらえるかなと考えた結果、英語と日本語の歌詞を混ぜることを思いつきました。「スタートライン」と「スタートレイン」をかけて「スタート」という曲を作って、「これを私の始まりにするんだ」という気持ちで書いた。そもそも英語と日本語を混ぜてみる発想は、ONE OK ROCKさんの曲を聴いたのがきっかけだったんです。十代だった私は「日本のアーティストで、こういうアプローチをしている方がいるんだ」とビックリして。それまで言語って自分の中で揺れているものだったけど、それを一つの曲にして、日本の方にも英語スピーカーの方にも翻訳機を通さずに真っ直ぐ聴いていただける音楽作りを教えてくださったのが、ONE OK ROCKさんだったので……自分の中でこんなことがあっていいのかと思いました。
――続いてリリースしたデジタルシングル「No Stars」でも、Toruさんとタッグを組まれましたね。
由薫:「lullaby」の場合は、Toruさんのデモを聴かせていただいて、そこに歌詞をつけて映画に捧げる歌として書いたんです。だけど「No Stars」は、デモを作る段階からセッションという形でToruさんと対話をさせていただいて。「これからどういう方向に行きたいのか」とか「どういう音楽が好きなのか」とか、そういう何気ないけど大切なことを話し合いながら作っていきました。歌詞は「これは大変だ」と頭を抱えるくらいすごく悩んで、その一連の中で成長をさせていただけたのが「No Stars」だったと思います。
――「No Stars」について「前向きなメッセージを、と思って何度も書き直しているうちにたどり着いた歌詞は、”世界は明るい”ではなく、むしろこの『No Stars』でした」というコメントを出していましたよね。振り返れば「Fish」の〈あなた以外には殺されたくないの〉とか、「Leon」の〈きらきらして綺麗だけど切なく笑ってみたい〉とか、「my friend」の〈「なんだかうまく笑えないせっかくの天気なのに」〉など、1つのキーワードに対して2つの意味を持たせたり、真逆の意味を当てたりしていて。そういう感覚はどこで培ったのでしょう?
由薫:結果論になってしまうんですけど、これまで自分が常に2つのモノの間で揺らいでいたのが大きいと思います。人生を振り返ると、日本に帰ってきて戸惑った時というのは芸術や本、映画にすごく入り込んだタイミングでもあって。もはや宇宙のことまで考えていましたし、想像力もすごくて。音楽を始めた時の私っていうのも、まっすぐではなかった。だからこそ、私のための音楽がほしいと思って曲を作り始めたんです。例えば、私がタイムスリップをして、当時の自分に会いに行って「こんな曲を作ったんだ」と聴いてもらった時に、納得してもらえるかどうかが、1つのボーダーラインになっていて。「No Stars」を作っていた時も、最初はまっすぐな明るい歌詞を書いていたんですけど、自分に対して居心地が良かったわけではなくて。タイムスリップして当時の私に聴かせた時に、納得してもらえない気がしたんです。あとは、音楽の面白みとして、私は一つの曲でいろんな見方をできるのが、素敵なことだと思っていて。そもそも一つの物事に対して、みんなそれぞれ見てるものが違うと思うんです。黄色があったとして、私の黄色と誰かの黄色で違うかもしれないけど黄色と名づけている。そういうことに面白みを感じますね。それこそ「Fish」ができた時は、個人的にも満足した記憶があります。「私がやりたい面白みを歌詞に込められた」って。よっしゃ! って思いました(笑)。
――前作「gold」は歌詞もサウンドも武骨な感じで、新しい顔を見せていますよね。
由薫:「こういう言葉が自分から出てくるんだ」とビックリすることがあるんです。まさに「gold」は何を思ったのか、埃のかぶったエレキギターを引っ張り出してきて、アンプにつないでジャカジャカ弾いて、ドラムの音もセットして、それに一番から歌詞をつけていって。サビが〈どんな色が好きでも どんな場所にいたとしても 探し続ける〉という珍しくストレートなんですが、その瞬間の私には、それが必要だったんですよね。だから自分でもビックリというか、それこそまた1つ殻が破れた感じがして。自分でも予想していなかったけど、自然とできた曲です。