10-FEET、結成から25年間の歩みを辿る特別インタビュー 自在なミクスチャーで築いた“確固たる居場所と独自性”

10-FEET、25年間の歩みを振り返る

 10-FEETが結成25周年を迎えた。リアルサウンドでは「10-FEET 結成25周年特集」をオープンし、大充実のアニバーサリーイヤーを総括しているが、その締め括りとなる本記事では、25年間の活動をポイントごとに振り返っていく特別インタビューをお届けする。結成秘話や、パンクやメタルを経た独自のミクスチャーサウンドの確立、主催フェス『京都大作戦』を通して多くのバンドと結んできた絆、より自由度を増していく音楽性の変遷などをテーマに、TAKUMA(Vo/Gt)、NAOKI(Ba/Vo)、KOUICHI(Dr/Cho)に存分に語ってもらった。彼らが駆け抜けてきた濃密なヒストリーを感じながら、もう一度お気に入りのアルバムを聴き込み、2023年のツアーにも足を運んでもらえたら嬉しい。(編集部)

10-FEET結成 ~音楽性を確立するまで~

ーー改めて、結成25周年おめでとうございます!

TAKUMA、NAOKI、KOUICHI:ありがとうございます!

ーー今回は25年間の活動をポイントごとに振り返っていきたいのですが、まずは1997年の10-FEET結成から。TAKUMAさんがメタルのコピーバンドをやっていて、パンクのコピーバンドをやっていたNAOKIさんと出会い、最後にKOUICHIさんが加入した流れだったと思いますが、当時はバンドに対してどんなビジョンを持っていたんでしょうか。

TAKUMA:そもそも僕はメタルの延長線上で、レゲエやラップを絡めてメロディがある曲、いわゆるミクスチャーをやりたいと思ってたんですね。バンドを始めたての頃はメンバーが何回も変わったりとか、数回ライブをやったら解散するみたいなコピーバンドっぽいノリやったんですけど、自分たちで曲を作って活動していこうという感覚が芽生えたのは、この3人でやり始めた頃からかな。「Hi-STANDARDっぽさにミクスチャー要素を加えたらええんちゃう?」とか話してたんですけど、なんせ10-FEETを組んでからギターを弾き始めたので、ミクスチャーなんて到底できなかったんですよ。当面はスリーコードでGreen Dayっぽく行こうということになったり(笑)。知り合いにもCDを出して活躍してるバンドが多かったので、「なんとか俺らもCDを出せるように頑張ろう」って3人で共有してたのが最初のビジョンやと思います。

TAKUMA

ーーNAOKIさんはいかがでしょう?

NAOKI:もともとメロコアとか激しめのハードコアパンクが好きで、The Offspring、Bad Religion、NOFXとか、海外のパンクバンドをよく聴いてました。でも、Strung OutとWizoが来日したライブ(1997年3月の『-REVENGE OF THE PIZZAMAN TOUR-』)を観に行った時に、そこに出ていたHi-STANDARDを初めて知って。

TAKUMA:それ、すごいライブやな。

NAOKI:そうそう。日本にもこんなバンドがいるんやなって驚いたし、3ピースのカッコよさを知ったのもHi-STANDARDあたりからですね。それでメロコアとかハードコアパンクのバンドをやってみたいと思って、まずはPennywiseとかBracketのコピーバンドをやっていて。やっぱり最初は、インディーズでいいから1枚CDを出したいってことが目標やったと思います。

ーーKOUICHIさんはどういう流れで加入されたんでしょう?

KOUICHI:それまでも別のバンドで対バンしていたので、2人のことは認識していました。僕は当時、もうバンドをやめようと思ってたんですけど、2人と普通に喋るくらいの仲になったあたりで「一緒にバンドやらん?」って連絡が来て。Hi-STANDARDがめちゃめちゃ好きで、そればっかり聴いていたので、もう1回やるならそういうバンドがいいなと思っていて。聴かせてもらったデモテープも好きな感じで、なんか楽しそうやなと思えたので、入ることにしました。

NAOKI

ーーやはり3人を結びつけたのはHi-STANDARDが大きいんですね。

TAKUMA:とはいえ10-FEETを組んだ時、僕はHi-STANDARDを知ったばかりやったんですよ。最初に僕に教えてくれたのは、シンちゃんでした。

ーー初期10-FEETのギタリストですね。

TAKUMA:そう、4人でバンドやってた時期があって。シンちゃんは小学校の同級生なんですけど、僕にメタルを教えてくれたバリバリのヘヴィメタラーで、メタル以外は聴かない人やったんですよ(笑)。そんなシンちゃんが「これは聴け」って持ってきたのが、Hi-STANDARDの『GROWING UP』。僕も当時はメタル以外は聴かなかったんですけど、明るいメロディなのに16連符を弾いているのが衝撃で、「LONELY」とかを聴いていても「これはイケてるバンドや」と思って聴き始めたんです。でもNAOKIとKOUICHIはすでにHi-STANDARDとか<Fat Wreck Chords>に詳しかったから、一緒にやるようになってそういう曲を教えてもらいながら、ミクスチャー要素も入れ込んで曲を作っていきました。

ーーそもそも、TAKUMAさんがミクスチャーをやろうとしたのはどういう理由からでしょう?

TAKUMA:メタルしか聴いていなかった“メタル暗黒時代”の最終章に、Rage Against the Machine、KoЯn、Limp Bizkitの3バンドに出会うんですよ。

ーーいわゆるニューメタルですね。

TAKUMA:そう、ニューメタルの存在を初めて知って。「これは何なんや!?」と思ったけど、ちゃんと聴いてみたらめちゃくちゃカッコよくて、メタルやなと認識して。そこを入り口にミクスチャーロックにハマっていくんですね。そしたらHi-STANDARDや<Fat Wreck Chords>系を聴いてる人も、Rage Against the MachineとかLimp Bizkitを結構聴いていたから、そこでKOUICHIやNAOKIともガッと趣味が合致して「ミクスチャーやろう!」ということになりました。

KOUICHI

ーー90年代後半はまさにHi-STANDARD影響下で、英詞パンク主流のライブハウスシーンだったと思いますけど、日本語詞でも歌ったりとか、シーンからさらに1つ抜きん出たオリジナリティを作ろうという意識もあったんでしょうか。

TAKUMA:1回3人で上京した時期に、日本語詞をやり始めたんですよね。数少ない5~10人の来てくれるお客さんと一緒に「もっと感動したいな」っていう気持ちが芽生えてきて、「日本語で歌えば感動できるかも」と思ったことがきっかけで。お金がなくて、友達もいない状態で上京してくる人が同世代でいっぱいいたので、そういう人と一緒にライブハウスで熱くなりたいっていう想いが後押しして、日本語の曲が生まれてきたと思うんです。でも、そこで意識していたのが、日本語になることで“青春パンク”と言われたらあかんなということで。Hi-STANDARDブーム以降で、ちょうどその頃は青春パンクブームが来たタイミングだったんですよ。僕も大好きやったんですけど、10-FEETで日本語をやるなら、その先の何か新しいものじゃないといけないなと思ってたから、“日本語版メロコア”を作ろうっていう意識がなんとなくあったと思うんです。それで最初にできた曲が「CHERRY BLOSSOM」(2002年)かな。そこから「ALL」とか「AND HUG」ができてくる。

ーーなるほど。NAOKIさん、KOUICHIさんとしては、「これは10-FEETを確立できたな」と確信できた曲ってどれでしょう?

NAOKI:お客さんからも周りのバンドマンからも、今までと違う反応が得られたのは「RIVER」(2002年)ですね。いろんな場所で流してもらって、この曲で10-FEETを知ってくれた人が一気に増えましたから。

KOUICHI:僕も最初は「RIVER」かな。それ以降やったら「その向こうへ」(2011年)だと思います。どちらもお客さんのリアクションが変わった曲かなと。強さのある曲を鳴らせたというか、バンドとしてより大きくなった感覚を持てる曲やったと思います。

10-FEET - RIVER LIVE From 京都大作戦2017

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「インタビュー」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる