10-FEET TAKUMA、映画『THE FIRST SLAM DUNK』楽曲制作から得た“自由なモード” 音楽だから表現できた願いも明かす

10-FEET TAKUMA『スラダン』曲制作を語る

無力で悔しいけど平和を願う、ロックバンドならではの表現

ーーそういうアルバムに『コリンズ』というタイトルがつきましたが、その意図を教えていただけますか。

TAKUMA:アポロ11号の月面着陸計画について調べていたときに、乗組員が船長のニール・アームストロングと、バズ・オルドリン、マイケル・コリンズという3人やったことを知ったんですけど、コリンズさんは探査船が月面に降下している間、上空で母船を操縦しながら待機している、いわばお留守番係みたいな人やったんですよ。月に降り立ったアームストロングとバズを待っている間に、月面を撮影するというミッションをこなしていたらしくて、乗組員3人の中で唯一月面に降りていないんですね。それで世界から後に、“忘れられた宇宙飛行士”と呼ばれた人で。でもいろいろ調べてみると、アームストロングとバズはどっちが先に月に降りて最初の1人になるかっていう葛藤があったみたいなんですけど、コリンズさんは「俺だけ降りられなくて悔しかった」みたいに言ってる資料が見つからず。あくまで僕の勝手なイメージなんですけど、悠々とその母船で待ちながら、自分のミッションを遂行していたと思うとめちゃくちゃかっこいいし、“忘れられた宇宙飛行士”という呼び名も結果的になんかキャッチーやなと。しかも、3人が宇宙服を着てヘルメット持った記念写真を見たら「同じスリーピースやん!」と思ったりとか。僕らも40代後半にもなっても懲りずにロックバンドやってるわけやし、“懲りんズ”やなとか(笑)。

ーー(笑)。

TAKUMA:それで『コリンズ』ってタイトル、おもろいなと。タイトルって必ずしもアルバム全体を説明するような一言でなくてもいいし、レコーディングが終わったタイミングでふと舞い降りてきた言葉やったから、運命かもなと思ってつけたんですよ。

10-FEET TAKUMA

ーーとはいえ、乗組員 コリンズのように誠実に何かを積み重ねていく姿勢は、10-FEETの歩みに通ずるところがありますし、実際にアルバムでも歌われていますよね。例えば「アリア」は〈今になってやっと/悟ったんだ/咲いて枯れたんだって〉から始まりますけど、枯れてしまったことよりも“ここに咲いていた”ことにフォーカスした歌詞なのが肝で。月面に降りられた人がいるということは、船を操縦して待っていた人もいるわけで、そういう裏側に目が行くという意味では、『コリンズ』を象徴する曲なんじゃないかと思いました。

TAKUMA:そう聴いてもらえて嬉しいです。「アリア」はもともと「アンテナラスト」を作ってた時期に、家で鼻歌で歌ってたような曲やったんですよね。仮タイトルが「MICHELLE」で、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTみたいなロックな曲を作りたいと思って、チバ(ユウスケ)さんっぽいダミ声で歌ってデモを作ってたんです。そういう大元のイメージを残しつつ、自分が感じるノスタルジックでブルース的な感覚を重ねていったというか……今はロシアによるウクライナへの侵攻があったりとか、いつ何が起きてもおかしくない世の中になっていて、他人事なことってないと思うんですよね。この曲名は『戦場のアリア』という好きな映画から採ったんですけど、第一次世界大戦下のヨーロッパの戦場で、クリスマスにオペラ歌手が歌う「アリア」という曲が流れてきたことがきっかけで、クリスマスだけは休戦せえへん? と言って休戦したという実話の物語なんです。だいぶ昔の話やから、ちょっと美化して記録されてるんじゃないかっていう説があるみたいですけど、素晴らしい歌声を聴いて、敵同士が休戦して一緒にお酒を飲むシーンを観たとき、これは奇跡やなと思って。

 友人を目の前で殺されたり、大切な人の頭が銃で撃ち抜かれたりするのって、ほんまに自我がぶっ飛ぶくらい、哀しくて怒り狂うような出来事やと思うし、その相手を殺さなくちゃ気が済まないほどの気持ちになってしまうと思うんです。そんな中で1~2日とはいえ、敵と一緒にお酒を飲むというのは奇跡やし、その奇跡を起こしたのが美しい歌であり、「アリア」という曲だったのが素晴らしいなと。僕は戦争を止めるような歌は歌えないけど、それでも争いごとの悲しさとか、そこに対する無力さや悔しさとともに、平和を願う曲を歌いたいなって思ったんですよね。それも変に重たい曲調とか、「We Are The World」みたいに壮大にするんじゃなくて、歩んできたロックに乗せていつも通りにやってこそ、僕らがやるべき表現なんじゃないかなと思いました。

ーーそれは実際に戦争が起きていることに対して居ても立っても居られない感覚というか、音楽家として何かを表現しなきゃという、駆り立てられたような感覚に近いのでしょうか。

TAKUMA:………日本では戦争が起きていないので、G-FREAK FACTORYの「ダディ・ダーリン」じゃないですけど、やっぱり平和を願う気持ちは、平和じゃない人でないとわからないと思うんですよね。ただ、それを充分わきまえた上で、わきまえているだけでは何も始まらないからこそ、自分なりに勇気を持って歌った1曲なんです。「何もわからんくせに、お前が何歌っとんねん」って言われるかもしれないけど、いや、そんな自分だからこそ歌うよ、という表現になってます。

10-FEET TAKUMA

ーー「アリア」みたいに立ち止まって自分の足元を見つめる曲って、「SLAM」や「第ゼロ感」みたいに堂々と前進していく曲の裏で絶対に必要になるものですよね。その両面をアルバム通してしっかり歌い切っているのが10-FEETらしいなと思いました。

TAKUMA:そこも少しは考えていましたね。でも、その時々でスッと自然に出てくる音楽に勝るものはないと思ってるので、たとえそれを作ったことによって、明るい曲が1曲もなくなって真っ黒なアルバムになったとしても、それを信じるべきやなと思うし、また次に明るい曲を作れればいい。バンドをやっているからには、ワッと溢れ出たものをしっかり掴み取る音楽作りを大事にすべきやなと思うんです。でも、こうしてインタビューしてもらっていつも思うのは、そういう直感を信じて作っていけば、不思議とアルバム1枚で何かを表現できていたりするものなんですよね。「アリア」を聴いても、ストレートに平和を願うだけじゃなくて、ロックならではの、重すぎないけど決して軽くもない言葉で表現できていると思っていて。「ほんまに申し訳ない」じゃなくて、ひと言だけ「ごめん!」って言ったほうが伝わるときってあるじゃないですか。そうする力がロックにはあると思うから、普通に話したりするだけではできない表現をしてるんです。

ーーなるほど。アコースティックギター1本で演奏されている「おしえて」や「まだ戻れないよ」みたいな短い曲も、直感で浮かんだメロディをそのまま弾いてる印象を受けました。これはソロ活動の影響も如実に出ているのではないかと思ったんですけど、いかがですか。

TAKUMA:その通りで、どちらも最初はソロに向けて作ってた曲なんですよね。そもそもアルバム制作が始まった早い段階で、KOUICHI(Dr)が「アコギ1本で弾く曲がアルバムにあってもいいんちゃう?」って言い出して。海外のバンドも含めてそういうの結構あるよねという話をしていたんですけど、今までの10-FEETにその選択肢はなくて。単純にドラムとベースの出番がなくなるやんと思ってたからなんですけど、KOUICHIの話も確かに面白いなと思ったので、それやったらソロの曲から1カ所だけ抜き取って短い曲にしてみようと。それが「おしえて」と「まだ戻れないよ」なんですけど、それによってソロ用にストックしてた曲が2曲潰れたんです(笑)。

10-FEET TAKUMA

ーー(笑)。本来はもっと長い曲になってたんですね。

TAKUMA:自分でも思い切ったことをしたなと思いました。ただ、僕は片手間でソロを始めたわけではないし、もちろん一生懸命に情熱を持ってやってるけど、そもそも10-FEETやってへんかったらソロとかないし、やっぱり10-FEET最優先なんで。ここぞという大事なときは、いいと思ったソロ曲もまず10-FEETでやってみるよという話を前々からメンバーにしていて、今回それを早速やりました(笑)。

ーーそれも最初の話にあったように、経験が増えたからこそ何でも10-FEETの曲になり得るということの象徴かもしれませんね。実際、「おしえて」と「まだ戻れないよ」はかなり新鮮でした。

TAKUMA:そうかもしれないですね。その代わり、今回イメージに合わなくてアルバムに入らなかった曲をソロでやっていい? という話もNAOKI(Ba)とKOUICHIにしていて。それはそれでソロに似合う曲になって、面白くなっていくかもしれないですし。

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