EXILE History 第2回
EXILEの20周年を振り返る 第2回:EXPG STUDIO誕生&初の武道館公演まで、夢を繋いだ道のり
2001年9月のメジャーデビュー以降、メンバーの勇退や加入を繰り返しながら、音楽シーンの最先端を走り続けている、ダンス&ボーカルグループEXILE。不動のリーダー EXILE HIROの魂を受け継ぎ、メンバー一人ひとりがボーカルやパフォーマーという枠を越えたマルチな活動を見せている彼らは、昨年11月、最後のオリジナルメンバーであるEXILE ATSUSHIを送り出したことを機に、新生EXILEとして新たな歴史を作り始めている。そして2021年、グループはデビュー20周年のメモリアルイヤーに突入。それを祝し、EXILEのヒストリーを辿りながら、改めてその魅力を紐解く連載(全10回)がスタート。第2回は、名実共に国民的アーティストとなった2003年~2004年頃の活動に迫る。
2001年9月27日に、シングル『Your eyes only ~曖昧なぼくの輪郭~』でデビューしたEXILE。EXILE HIRO、松本利夫、EXILE ÜSA、EXILE MAKIDAI、EXILE ATSUSHI、SHUNの6人から成る“EXILE 第一章”が残した功績は大きく、20周年を迎えた現在も、EXILE AKIRA、EXILE TAKAHIRO、橘ケンチ、黒木啓司、EXILE TETSUYA、EXILE NESMITH、EXILE SHOKICHI、EXILE NAOTO、小林直己、岩田剛典、白濱亜嵐、関口メンディー、世界、佐藤大樹という後継者達によって、その輝きは更新され続けている。
デビュー2年目の2002年、オリジナルメンバーの手で設立されたエグザイルエンタテイメント有限会社。アーティスト自らが舵を取るこの個人事務所は、2003年9月、HIROの知人が経営するモデル事務所と合併し、今や誰もが知るところとなった株式会社LDH(現在は株式会社LDH JAPAN)へと進化を遂げた。デビュー時からハイペースでリリースを重ねてきた彼らは、2003年2月13日にリリースした2ndアルバム『Styles Of Beyond』でオリコン週間アルバムランキングの首位を獲得。同作に収録されている楽曲の多くが、CMソングやドラマの挿入歌になっていることからもわかる通り、EXILEは当時すでに少人数では追いつかない規模のプロジェクトとなっていた。それでも、「EXILEはみんなの夢をかなえる場所」(※1)という信念はブレることなく、1stアルバム『our style』(2002年)と同様に『Styles Of Beyond』も、ATSUSHIやSHUNが作詞を手がけた楽曲や、10代の頃からダンスと両立してDJの腕を磨いてきたというDJ MAKIDAIがミックスしたトラックを収録するなど(※2)、メンバー一人ひとりの個性を大事にした作品に。そして、avexの松浦勝人が発案したというLove(愛)、Dream(夢)、Happiness(幸福)の頭文字からとった社名“LDH”に、改めて刻み込まれたのだった。
「本当に心の底から、それを思うことができるなら。思いは、きっと叶う」(※3)。HIRO自身がそう確信しながら、ここまで歩んできたように、現在もLDHにはビジョンシートというものが存在している。所属アーティストが自分のキャリアを見つめ直し、ここからどのように夢を掴んでいくかを記す、いわば夢の計画書だ。例えば、EXILE第三章で加入したボーカル SHOKICHI(EXILE THE SECOND)のように、何枚ものビジョンシートを提出したことでソロアーティストの夢を掴んだメンバーもいれば(※4)、EXILE第四章で加入したパフォーマー 佐藤大樹(FANTASTICS from EXILE TRIBE)のように「『こういう作品に出たい』『こういう賞を獲りたい』って、一旦ノートにまとめて整理して、それをビジョンシートに書く。HIROさんが“何年後のビジョン”を大事にされる方なので、僕も見習って真似して、『○歳にはこうする』ってはっきりと書いています」(※5)というメンバーもいて、その書き方や内容は人それぞれ。だが、佐藤は「高校に入学したときにホームルームの時間で各自が夢について話す時間があって、『僕EXILEになります』って言ったんです。滅茶苦茶バカにされましたけど(苦笑)でも夢を口にすることで、無意識のうちに自分の尻を叩いたんだと思います」(※6)とも語っている。つまり、プロになる以前から“なりたい未来の自分”をイメージし、そこに向かって着実に進む姿勢が備わっていたと言えるだろう。それは佐藤に限らず、同じく第四章から加入した白濱亜嵐(GENERATIONS from EXILE TRIBE)も「中学生の時からEXILEになりたいなりたいって言っていたら白ザイル(シラザイル)っていうあだ名をつけられて(笑)、そうしたら本当にEXILEになれました」(※7)と語る。そんなJr.EXILEの存在が、EXILE魂が脈々と受け継がれてきたことの証、オリジナルメンバーが築いたものの大きさを今も伝えている。
東京にEXPG STUDIOが開校したのは、2003年10月のこと。リーダーHIROの「ダンサーもミュージシャンやアーティストと同じく、もっと独自に表現していくべきだし、評価されていくべき。そのために自分は、踊る人があえてパフォーマーと名乗って表に出るグループを作りたいんだ」(※8)という想いを受け取り、パフォーマーが主体となって始動したEXILEが、「子供たちに夢を叶える場所を提供したい」(※9)とダンススタジオ運営に乗り出したのは実に自然な流れだった。インストラクターもオリジナルメンバーが自らスカウトしており、開校当初の立ち上げメンバーの中には、後にEXILEのメンバーとなるAKIRAの姿もあった。