『毅の“カタリタガリ”』第2回
SUPER★DRAGON 古川毅、影響を受けた“歌詞”を語りまくる 2010年代以降に登場した3名の作風
■藤井風
藤井風さんは、すでに多くの方がその魅力について語られている話題のアーティスト。僕も去年出会って以来、すっかりハマっています。サウンドも歌詞もすでに確立されてしていますし、すごく気持ちのいいところを突いてきてくれるんです。出身地・岡山の訛りをそのまま使うところがわかりやすいと思うんですけど、J-POPの歌詞の書き方そのものを更新しているようにも思います。
〈もうええわ 言われる前に先に言わして
もうええわ やれるだけやって後は任して
もうええわ 自由になるわ
泣くくらいじゃったら笑ったるわ アハハ…〉
「もうええわ」のサビの部分。そこにいくまでのAメロで〈さぁ羽のばして ここから 捉われてばっか だったから〉と始まって、Bメロの〈みんな 先が見えない夜道を 共に 迷い歩く夜更け時〉へと続くところまでは、自身の決意とか考えていることを外に向けて話している感じ。そこからいい意味で思いっきり裏切ってくるというか、一気に自分の内面の声に切り替わって、誰に投げかけるわけでもなく、しかも〈もうええわ〉って投げ出すんです。なのに、みんな似たようなものだしそんなに難しく考えなくてもいいんじゃないかって、もっとも強いメッセージが詰まっていると受け取ることもできる。
〈5時の鐘は鳴り響けどもう聞こえない〉
これは「帰ろう」という死生観について歌っていると感じた曲の一節。子供の頃って町に鳴る午後5時の鐘を聞いてそろそろ帰らなきゃって思っていたけど、大人になると鐘は相変わらず鳴り続けているのに聞こえなくなる。ここに人間がいろんなことを知っていくなかで失う初期衝動や大切なものが集約されていると感じました。大人になることの虚しさという側面を、たった一文で表現できるすごさ。そこから〈憎しみ合いの果てに何が生まれるの わたし、わたしが先に、忘れよう〉という終盤に向かう。人間は死ねばある意味生まれた頃に近い、あるべき姿に戻っていくんだから、いらないものはさっさと捨てようと思えました。
藤井さんの歌詞は、心が軽くなるものが多いんですよね。難しい言葉は使っていないし、誰もが少なからず抱えているであろう感情に迫る全方位型でありながら、僕みたいなそういう作品とはひとまず距離を取って考えてしまいがちなひねくれ者でも、圧倒的にカッコいいと思える。こういうやり方もあるんだって、概念を超えて素直になれる魅力があって、好きなんです。