ファーストサマーウイカ、“新たな肩書き”への挑戦 音楽の変遷から辿る生き方

ウイカ、音楽の変遷から辿る生き方

 自分は天才ではなく凡人――。現在バラエティ番組で大ブレイク中のファーストサマーウイカは、自身についてそう冷静に語る。阿部真央作詞作曲による「カメレオン」でソロデビューを果たすことになり、BiS解散以来7年ぶりにメジャーに戻ってきても、自身が置かれた状況に客観的にしてロジカルな姿勢は変わらない。そんなウイカに、BiSやBILLIE IDLE®も含めた音楽変遷、そしてソロアーティストとしての展望を聞くと、彼女ならではの人生訓の数々が飛びだすことになった。(宗像明将)

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BiS、BILLIE IDLE®…懐古してくれる人の存在は大事

ファーストサマーウイカ
――この間、BiS階段(アイドルグループBiSとノイズバンド非常階段によるコラボユニット)の解散ライブ(2014年5月6日)の写真をInstagramに載せていましたね。ウイカさんのブレイクで、今、第1期BiSのライブ動画の再生数が増えているんですよ。

ウイカ:うわー嬉しい。基本は運でここまでやってきたと思ってるんですけど、もう一個大きな要素は、人のつながり「ご縁」でしかなくて。いろんな人が繋いでくれたから今があるなと年々強く思っていて。大阪時代の劇団も、今は公演には出ていないけど、まだ籍は置いていて。それは私を知った人が「こんな劇団が大阪にあるんだ」って見に来てくれたりするかもしれない、そうやって還元できればと思って。(第1期)BiSもBILLIE IDLE®ももうこの世に存在していないから、過去の作品を辿ることでしか生きれない。「人は2回死ぬ。1回目は普通に死んだ時で、2回目は忘れ去られた時だ」みたいに言うけど、新しく知ってくれる人がいなくなって、忘れ去られたら本当に終わりで。いわゆる「語れる人」を増やす草の根運動としてルートを作っておいて、何かグループに還していけたらいいな、って。だから懐古してくれる人の存在って大事。私自身すごい懐古厨だけど(笑)、新規を増やしていけたら懐古してくれる人の絶対数が増えるわけで。それが今タレントとして、今までやれなかった形でマスに対して行動ができるのがめちゃくちゃ嬉しい。当時は自分が何ができるか分からなかったけど、今はそうやってBiSやBILLIE IDLE®を知ってくれる人が増えるだけで、今がんばる意味があるな、とすごく思いますよ。

――うーん、「今日の取材、ありがとうございました!」ってまとめたいぐらい良い話ですね。

ウイカ:あはは! こっからこっから!

――Zoomのウイカさんの背景に、BILLIE IDLE®のCDジャケットが並んでいるのがまたエモいですね。

ウイカ:これはいっぱい余っていたからもらったんです(笑)。今は入手困難かもしれないですね。BiSの『うりゃおい!!!』(2014年)とか『BiS階段』(2014年)もすぐ出せるところに置いてある(手を伸ばして『うりゃおい!!!』と『BiS階段』のボックスセットをカメラに見せながら)。自分の作品を見るような趣味はないんだけど、バラエティと違って、音楽というのは作品になって残っていくから、それはすごく自分の力になる。

――またいい話ですね。今日はウイカさんの音楽遍歴の話をしたいんですが、最初に買ったCDは覚えていますか?

ウイカ:ブラックビスケッツかな、世代だから。音楽はなんやかんや13歳からずっと続けていて、趣味の一つでもあるけど、一日中聴いているというタイプではなくて。たぶん自分は、音楽を「やる」ほうが好きなんでしょうね。一日中音楽に触れていたいような人と比べると全然、音楽漬けみたいな人間ではないかもしれない。でもBILLIE IDLE®が解散してポッカリ心に穴が空いた感覚があったから、やっぱり音楽から離れられないんだろうなぁって改めて気付かされましたね。

――大阪の実家で流れていたのはどんな音楽でしたか?

ウイカ:自分のルーツになったUNICORNとか、THE YELLOW MONKEY、エレファントカシマシ、ウルフルズ、THE BLUE HEARTSとか、90年代初期の邦ロック。あとはチューリップも。それと、Queen、The Who、Rainbow、Deep Purple、洋ハードロック。基本、母親の趣味の音楽が流れていた。そこがやっぱり自分のルーツにはなっていると思います。

――もともとは中学の吹奏楽部で打楽器だったことからドラムを始めたんですよね。本格的にドラムを始めたのはいつなんですか?

ウイカ:バンドとしては高校生ですかね。打楽器って土台ではあるけど、周りの楽器ありきで成立しますよね。全てはドラムに合わせるけど、実はドラムってひとりじゃあんまり成立しない楽器で。このエンタメへの、お金を取るプロとしての入り口は演劇ですけど、演劇も周りの人と一緒にやることが多くて。たとえ一人芝居であっても演出家とかがいるし。そうやって集団で何かをやれれば何でもいいんだ、というのは、ここ数年で思いました。アイドルでもガールズユニットでも、音楽が絡んだことを人とやっていられたら幸せなんだな、ってすごく感じます。私は「周りありき」ってスタンスなので、ボーカリストやギタリスト、作曲家みたいに「自分がこういう曲をやりたいから人を集める」みたいな感じではなくて。周囲の状況に合わせて自分のスタンスを馴染ませつつ、いかに自分がおいしくなるようにやるか、みたいなことを、演劇でも音楽でもバラエティでも変わらずやっている気がします。

――バンドではソウル・フラワー・ユニオンの「満月の夕」をカバーしていたと2013年にツイートしていましたが(※1)、他にどんなアーティストの楽曲を演奏をしていたんですか?

ウイカ:イエモンとか、RADWIMPS、BUMP OF CHICKEN、ASIAN KUNG-FU GENERATION、GO!GO!7188、東京事変とか。当時の高校生がやりたくなるような世代のバンドをやっていましたね。それも「私はUNICORNが好きだからやりたい」とは言ったことはないですね。あんまりそこに対して自分の欲求みたいなものはなかったですね。

――当時は楽曲を作ったりしていたんですか?

ウイカ:人生で作曲したことが一度もない。作詞はBiSとBILLIE IDLE®でやっていたけど、それも頼まれたからであって、自ら溢れ出る気持ちを作品にしたいという気持ちはなかった。自発的にクリエイトする気持ちは少なくて。どちらかと言うと、組織にどう作用するかとか、企画とかのほうが好き。高校の軽音部にいた時も、みんなでバンドをやっている時間も楽しいけど、部長として組織をどういう風に回していくかとか、文化祭でどういうライブをやるかとか、そういうことに奔走している時のほうが楽しかったかもしれないです。もし「自分はこれがやりたいんだ」みたいな気持ちがあって、なりふり構わずやれる天才になりたかった。周りの声も耳に入ってこないような人、周りに認められる・認められない、売れている・売れていないは置いといて、「あっ、この人、本物だな」って思う人っているじゃないですか。そういう人にこの上なく憧れます。この30年の中で、「自分にはこれしかないんだ」って突き詰めていきたいものに結局出会えなかったですね。

どんな物語でも登場する全員が天才ではないーー“名脇役”に見出した可能性

ファーストサマーウイカ
――高校卒業後の劇団レトルト内閣時代は、口口口の三浦康嗣さんや環ROYさんとの接点もあったそうですが、当時はどういう音楽環境に身を置いていたんでしょうか?

ウイカ:三浦さんやROYさんと出会ってヒップホップを聴くようになりました。それまでも音楽のインプットは親や部活の影響が大きかったし、本当に人から得ている。天才の定義って人によってバラバラですけど、曲を作ったり、絵を描いたり、自分の作品を形にして、それを堂々と人前に出せる人はその時点で天才だと私は思うんです。モノを生み出せる人はみんな天才。劇作家も、小説家もそう。自分にはないものだから、その人たちと関われることが幸せで。その感覚って、触れ合うことでしか得られないんですよね。だから組織の中に入って見ていたいんでしょうね。

――2013年にBiSに入った頃からよく「スーパーサブ」というワードを使っていましたが、その姿勢はどこから生まれてきたんですか?

ウイカ:いわゆる〇〇コンテストみたいな、大会でも頭ひとつ抜けているようなスター性のある人を見て「自分は天才じゃない、凡人だ」と気づいた時に、「なるほど。じゃあ彼らと同じように振る舞っていても無理だ」と思ったんですよね。そこで、そういう才ある人たちを助ける仲間であり、「秀でた凡人」になるにはどうするか、という方向に考え方を変えました。たぶん中学生くらいまでは天才になれるかもと思っていたんですよね。スター街道を上がれるかもしれないみたいな希望があったけど、何かで日本一とか、大阪府1位とか、取れる技術とかもなくて。綺麗に及第点は取れるけど、秀でたものがない人間だということに気づいた瞬間に、「あっ、じゃあバイプレーヤー、名脇役を目指してがんばろう」と思ったんです。母親もそれを感じていたのかわからないですけど、「名脇役の道のほうがあんたには合うんちゃうか」って言ってくれて(笑)。役者に限らずどんな仕事や集団に入っても、センターを狙おうとせず、ナイスアシストができる有能なサブキャラクターになろう、そのほうがたぶん細く長く、おいしいかもしれないと思いました。

――それを高校生ぐらいで受け入れてしまえるのは、すごく大人ですよね。

ウイカ:当時からいろんなオーディションを受けたり、いろんな経験をしていったんですよね。やっぱり頭ひとつ抜けている人ってどの業界にもいますけど、その人を見た時、挫折しなかったんですよね。自分にそこまでのプライドというか、確固たる自信もなかったから。いつも手ぶらで戦いに行って「そら負けるよなー」みたいな感じで。そこで挫折を覚えちゃうと、夢を捨てちゃっていたかもしれないですけど。どんな物語でも登場するキャラクター全員が天才ではないし、天才ばかりだとしても、ひとりぐらい脇役は必要だろう。というか物語のほとんどは脇役でできているだろ、って思うと、そっちのほうがいろんな場所で戦えるんじゃないか、って。それが今も続いていて、肩書きがないまま、「何の人かわからないけど何でもやる人」になったという感じですね。

――第1期BiSの研究員が今、人権を得ているのは、そんなウイカさんの大ブレイクのおかげなんですよね。

ウイカ:あはは、そんなことないですよ。ただ、BiSがなくなって、WACKが発足して、今はBiSHを筆頭にいろんなアーティストがいて。もし渡辺(淳之介)さんがWACKをやらず、本当にBiSだけで終わっていたらまた違ったかもしれないし。BiSHが売れたことによってBiSにもまた焦点が当てられて、そこからさらに私が後を追うようにマスに出ることができて。もちろん世界線としては違うけど、全部を辿ったところにはBiSがある。BiSがみんなに支えられているのは、音楽性とストーリー性が秀逸だったからだと思うんですよね。ただ過激なことをしているだけだったら、その時はセンセーショナルかもしれないけど広がりはないと思う。そこに楽曲の強さや歩んできた軌跡、ストーリーの強さがあるから枯れない気がするし、そのストーリーの中に破天荒な要素があるからどんどん人が引き込まれていく。

――自分がいたグループをすごく客観的に見ていますよね。

ウイカ:より見れるようになったと思います。時間が離れれば離れるほど。BiSのスピード感は考える隙を与えてくれませんでしたからね(笑)。BILLIE IDLE®はそれとすごく真逆で。時間の流れがすごく緩やかで、その中で楽曲の良さや、やろうとしていたことをブレずに明確に作って置いていけた気がするから。どちらも私には素晴らしいコンテンツで、自分の人生になくてはならないものだけど、結局終わっちゃったら風化して、そのまま化石になっていく。だけど、私が生き続けて発信し続けることによって、それが磨かれて、当時の輝きをもったまま新しい人の目に触れたらいいなってずっと思っています。

――今BILLIE IDLE®の楽曲はサブスクから消えて、一部のCDは中古価格が上がっています。BILLIE IDLE®の2019年12月の解散は、「やりきった」という感じだったでしょうか、あるいは「やりきれていない」という部分も残っていたでしょうか?

ウイカ:やれることはやったと思います。今思えば「もっとこうすればよかった」と思うことももちろんあります、BiSもBILLIE IDLE®も。でも、腹八分目って考えると、「もう二度とあいつらの顔を見たくない、もう二度とあの曲を歌いたくない」って思うよりは、名残惜しいくらいのほうがいいじゃないですか、何事も。BILLIE IDLE®をやっていた5年は長く見えるけど、内容量としてはBiSにいた1年半と同じぐらいの密度で。BILLIE IDLE®でしかできなかったこともたくさんあるけど、密度が分散していたから。やり切れていない部分といえば、マスに対する大きな目標みたいなところ。BiSは横浜アリーナでの解散が一番大きいけど、それってグループとしては、やり遂げられたことなのかどうかわからない。武道館で解散というのを目標にしていて、そこに乗っかったからあれがベストなんだろうけど、もっと売れていたらそうじゃない未来もあったかもしれない。ただ、グループのハッピーな結末が「売れること」とは限らないかもしれないですよね。BILLIE IDLE®の時は「PUFFYさんみたいに年齢や性別とか関係なく、ずっとアーティストとしていられるようになれたらいいな」とか言っていたんですけど、それはたぶん「もうここから爆発的に売れることがない」と悟った瞬間から思うようになったんですよね。

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