aiko、新曲「磁石」で“恋の終わり”をどう描いたか 「青空」「ハニーメモリー」にも見られた変化の気配
aikoというシンガーソングライターについて語るとき、私はいつも“ちっちゃなaiko”のことを考える。
デビューから22年、aikoは快活で、ボーイッシュなのにフェミニンで、「男子~! 女子~! そうでない人~!」で、みんなの友達のような存在として笑顔を振りまく一方で、その歌の中では一貫してセンシティブな恋愛感情を歌ってきた。歌の中にあらわれる主人公は基本いつも不安で、自分に自信を持てず、ひとりぼっちで泣いていたりする。愛する人の愛情がなければ生きていけないほど恋愛を必要とし、それゆえいつかそれがなくなるのではないかというおそれを同時に抱えている。aikoという女性の内側には、恋の歓喜に打ち震え、会えない切なさに身をよじり、失う恐怖と失った痛みに涙を流す、幼い少女のような“ちっちゃなaiko”が常に同居しているように私には見えたのである。
そして面白いことに、快活なaikoとちっちゃなaikoはファンの中では二重写しのように重なり、「それがaiko」とキチンと受け止められていたりする。「それがaiko」は22年間、大きな変化なく更新され続け、もはやaikoというキャラクターも音楽性も日本中の誰もが知る盤石なものとなっている。
しかしそんな盤石であり続けたaikoの作風が少しずつ変わりつつあることにお気づきの方はおられるだろうか? 変化を見せているのは表舞台を受け持つ快活な方のaikoではない。彼女の内面でヒザを抱えているちっちゃなaikoの方になにやら動きが起こっているようなのだ。
変化の気配は近年リリースされた楽曲から薄々感じられた。昨年発表した2枚のシングル「青空」「ハニーメモリー」。〈あなたにもう逢えないと思うと/体を脱いでしまいたいほど苦しくて悲しい〉と歌われる「青空」は、一見なくした恋を忘れられないいつものaikoと変わらないように見える。しかしこの曲のアレンジはポップでどこかユーモラスであり、彼女は自分自身を〈馬鹿みたいだな〉と嗤うことができる。〈苦しくて悲しい〉と歌っている割には、楽曲から苦しくて悲しそうな感傷があまり伝わってこないのだ。
一方の「ハニーメモリー」も1行目、〈思いっきり泣いて泣いても未練は流れ落ちない〉と歌っているように、これまた終わった恋の歌である。この曲は「青空」ほど明るくないが、しかし〈泣いて泣いて〉というほど激しくも痛ましくもない。サビで別れた恋人に〈今年の桜は誰と見たの〉と問うように、楽曲のメイントーンは自身を苛む辛さではなく、「時間は戻らない」とでも言いたげなノスタルジックな無常観に置かれていたりする。
つまり、何が変わったのか?