花譜『魔法』レビュー:カンザキイオリとの化学反応が生んだ“救済の歌” 若者中心に人気拡大する要因を紐解く
日本の何処かに棲む、何処にでもいる、何処にもいない16歳。現役高校生が扮するバーチャルアーティスト・花譜が今、10代から20代の若者を中心に圧倒的な支持を集めている。
彼女の最大ともいえる特徴が、その素顔を明かさずに、3Dモデリングされたアバターを使って活動していることだ。2018年10月にデビュー、2019年8月開催の1stワンマンライブ『不可解』でTwitterのトレンドワード世界1位を記録し、今年で活動2周年を迎えた花譜だが、なぜその音楽は彼女と同世代である若者たちを惹きつけるのか。本稿では、花譜が11月25日に発売した2ndアルバム『魔法』を参考に、その背景に想いを巡らせてみたい。
はじめに、同作を掘り下げる上で紹介したいのが、ボカロPとして新世代の才能と謳われるカンザキイオリ。今回の『魔法』では、すべての収録曲で作詞・作曲を手掛けており、10代のリスナーも親しみやすいだろうJ-POP/J-ROCKの枠組みを意識しつつも、幅広いサウンドレンジを巧みに操っている。その手腕については、ボカロック的なアプローチの「畢生よ」をはじめ、スカを採用した「モンタージュ」や、じんわりと心温まるストリングスバラード「景色」など、今作のあらゆる収録曲を通して、たっぷりと味わってほしい。
また、その歌詞で主に綴られるのは、他者の心に居場所を求めてしまいがちな現代社会と切っても切れない孤独感や、そのような世知辛い環境下で芽生える反抗心など。この傾向は、先ほどの「モンタージュ」などのアップテンポな楽曲で強く感じられるが、一方で、アルバムのラストを飾る「まほう feat. 理芽」では、人が生きる上での救済(=魔法)として音楽を捉えるなど、決して一辺倒に攻撃的なわけではない。こういったリスナーの心に訴えかける楽曲が、現在の花譜の人気を推し進めているに違いない。
ただ、そういった楽曲の詳細な印象に先行して、『魔法』をひと通り聴いてまず体感したのは、とにかく“気が休まらない”という感情だった。具体的に言えば、ロックを主軸としたアップテンポな楽曲から、バラードなどの落ち着いた表情の楽曲に切り替えるという営みを、ある程度のブロックではなく、一曲ごとに忙しなく切り替えるのだ。アルバム終盤こそ、ようやくある程度の落ち着きは取り戻すものの、これは誤解を恐れずに表すのなら、いささか“情緒不安定”にも思える設計といえる。全15曲という今回の収録ボリュームを考慮にするに、おそらく意図的に仕掛けたものなのだろう。
思うに、この背景には“モラトリアム”な存在と表現されることの多い、若者の精神性が結びついているのかもしれない。やや大雑把な捉え方にはなるが、自分が10代だった頃を思い出すと、周囲の人間や将来に対して特に理由なく、ただ漠然とした焦燥感を常に抱いた過去はないだろうか(少なくとも筆者は、“何かになりたい”という正体不明な意識に追われていた気がする)。そういった落ち着かない感情の動きを、楽曲のサウンドや内容、さらにはアルバムの曲順という構造で『魔法』は再現しているのかと思われる。
そんなカンザキによる楽曲と見事な化学反応を見せるのが、繊細な少女を想像させるような花譜の歌声だ。これは花譜本人が以前のインタビューで語っていたが、ボイストレーニングで喉を強くすることで、今回は「モンタージュ」などの力強い歌声にも上手く対応できるようになったのだろう(参考:Fanplus Music)。その上で、彼女が特に本領を発揮するのはやはり、「アンサー」や「彷徨い」などの時折に胸がキュンと詰まりそうになる歌声の楽曲とも考えられる。花譜の声質は、10代の少女が秘める今にも崩れ落ちそうな自意識を象徴するようで、カンザキが紡ぐ言葉のメッセージをますます情緒豊かにしてくれるのだ。
そもそもVSingerの領域にまで裾野を広げれば、その歌い手は人工的な歌声を持ち味とするケースが大半だが、花譜は彼らの逆といえる、どこまでも生身に徹し、一抹の無防備さを秘めた歌声を志向している。また、3Dによるアバターから発されるからこそ、生身/人工のコントラストは冴え渡り、むしろリアルな人間味を感じざるを得ない。そんなバーチャルな枠組みには収まらない等身大の歌声もまた、花譜がリスナーを魅了してやまない理由のひとつなのだろう。