ジョーイ・バッドアスなどからの批判も? 「Blackout Tuesday」ストライキから考える問題点と課題
しかしながら、もう一つの大きな批判に関しては、長い道のりを要するだろう。前出ジョーイ・バッドアスは、こうもツイートしていた。
「本当に変化を起こしたいか? それなら労働環境を変えろ。才能ある黒人を雇って、正しい報酬を払え」
ケリスやエリカ・バドゥも、こうした報酬の問題を提唱している。アメリカを中心とした音楽業界が「黒人クリエイターを不平等に扱い利益を搾取してきた」とする批判は、長きにわたって語られている。
21世紀の音楽産業を変革したストリーミング関連企業に対しての批判もある。たとえば、Voxでは、スリープ・ディーズなどのインディペンデント・アーティストから「Spotifyは競合と比べてクリエイターに支払う報酬が低い」と反発が出た旨が記されている。メディアやSNSでは、1,000万ドルもの寄付を発表したAmazonに対しても具体的な批判が寄せられた。2015年に発表されたデータではあるが、同社の(アメリカにおける)黒人従業員のうち、推定85%は単純労働に従事しており、幹部格はたった1人とされる。そして、Amazonの倉庫労働者が身を置く過酷な環境への批判は、新型コロナ危機において一層活発になっていた。つまるところ、(人種間)経済格差を促進させるメガ企業が社会正義ステートメントを出すとは酷い「偽善」だ、と糾弾されたのだ。
実は、今では珍しくなくなった大企業による政治的表明を活性化させたのも「Black Lives Matter」運動である。大きな潮目になったのは2018年、NikeによるNFL選手コリン・キャパニック支持キャンペーン「Dream Crazy」とされている(NFLキャパニック問題に関しては昨年のスーパーボウル記事に詳しい)。これが発表された当時、「賛否両論の政治的イシューを扱う企業広告はリスクが高すぎる」として同社の株価は一旦下落したものの、その注目度から24時間で47億円相当のエンゲージメントを生み出し、オンライン売上高を急増させ、結果的には同社の史上最高株価の更新に貢献した。キャンペーン自体もエミー賞獲得に至っている。しかし、当のキャパニックは選手として復帰できていない。この件に関しては、大企業たるNikeがNFLに介入するわけにはいかない事情があるだろうが、もっと広い問題として── 果たして、さわりのいい大企業による社会正義キャンペーンは、中身が伴っているのだろうか? そもそも、そうしたパワーある機関こそが格差構造を押し進めていないだろうか? ビッグブランドが軒並み参加していった「Blackout Tuesday」は、それら企業に対する精査も広めたと言えるだろう。
個人的な考えで恐縮だが、企業や一般人ふくめて、ハッシュタグによる政治的表明はそれなりに意味があるだろう。批判されがちではあるが、やりようによっては、問題の知名度や関心を増やす一助にはなる。しかしながら、関心の拡散以上の何かをしたい場合、できる行動を自分なりに探すこと、冷静さを持って考えることが必要になる(これは「Blackout Tuesday」がもたらした機会の一つだ)。ジョーイ・バッドアスの「FOR MY PEOPLE」が収録された2ndアルバム『All-Amerikkkan Badass』では、アクティビズムにおける葛藤と共に、こんな詩がラップされている。
「ときどき思うんだ あいつらは俺を理解してないって してないだろ?
世界は変えられない 俺たちが内から変わらない限り」
(「Land of the Free」より)
■辰巳JUNK
ポップカルチャー・ウォッチャー。主にアメリカ周辺のセレブリティ、音楽、映画、ドラマなど。 雑誌『GINZA』、webメディア等で執筆。