神前 暁が斎藤滋&山内真治と振り返る、『ハルヒ』『らき☆すた』『〈物語〉シリーズ』の音楽

神前暁、作家活動20th記念鼎談(前編)

 『涼宮ハルヒの憂鬱』や『らき☆すた』、『〈物語〉シリーズ』、『かんなぎ』などの楽曲を制作し、アニメ・ゲーム業界だけではなく、J-POPシーンにも影響を与えてきた音楽家・神前 暁が、2020年3月18日に作曲家デビュー20周年を記念した作品集『神前 暁 20th Anniversary Selected Works “DAWN”』をリリースする。

 20年の間に生み出されてきた珠玉のアニメソング・劇伴・ ゲームソング・提供楽曲の中から、 神前自らがセレクションを行った楽曲たちを収録した同作のリリースを記念し、リアルサウンドでは全3回に渡る神前 暁への取材記事を掲載。第1回目は神前に加え、株式会社ランティス(現在は株式会社バンダイナムコアーツに社名変更)の音楽プロデューサーとして、『ハルヒ』『らき☆すた』などを手がけてきた斎藤滋氏と、『〈物語〉シリーズ』などで音楽プロデュースを務める株式会社アニプレックスの山内真治氏を交えた鼎談形式で、神前のキャリアを振り返ってもらった。(編集部)

プロ音楽作家・神前を作り上げた『ハルヒ』『らき☆すた』制作秘話

神前 暁

ーーまずは斎藤さんと神前さんの出会いから振り返りましょうか。斎藤さんがアニメの音楽プロデューサーとして、神前さんがTVアニメ劇伴担当として、それぞれ初めの一歩を踏み出したのがアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』(以下、ハルヒ)でした。

斎藤:2005年後半に、当時の京都アニメーションさんの東京オフィスでお会いした記憶があります。当時のランティス社長(井上俊次氏)・副社長(伊藤善之氏)や、KADOKAWAの伊藤(敦)さんに紹介されました。僕が関わり始めた時点ですでに『ハルヒ』は進行していて。「God knows…」と「恋のミクル伝説」はもう出来上がっていたと思います。

斎藤 滋氏

神前:挿入歌は早めに作っていましたから。

斎藤:初めて会った時の神前さんは、ゲーム音楽出身の方だなという印象が強くて。僕もサイトロン(・デジタルコンテンツ株式会社)というゲーム会社出身なんですけど、ゲーム音楽って基本的にループするように作られていて。神前さんはTVアニメ劇伴が初めてだったこともあり、最初の劇伴デモはループする形で上がってきたんですけど、一緒に作品を担当していた副社長が「ループしているじゃないか、これじゃダメだよ!」と注意していて、「そうなんだ……」と思いながら見ていた記憶があります。

神前:「アニメの劇伴はイントロの掴みと終わり方が大事」とよく言われていました。

ーー同じ畑だった人が、同じアニメで同時に世に出た作品でもあったと。ともに制作するなかで、お互いの印象が変わった瞬間は?

斎藤:『ハルヒ』1期~『らき☆すた』と続けてお仕事をしていたのですが、『ハルヒ』2期で久しぶりにお会いしたんですよ。その時には、楽曲も洗練されていて“売れっ子”の道を歩み始めているなと感じました。そういえば、2期のときも無茶振りが多かったですよね。「エンドレスエイト」とか……。

神前:ああー!(笑)

斎藤:同じ時間を繰り返すことで意識が変になっていく描写のなかで、ノイジーな劇伴をいっぱいオーダーして。

神前:CDの音飛びみたいな音も入れてましたよね。

斎藤:テレビで流したらクレームがくるくらいのものでした(笑)。

ーー『らき☆すた』に関してはどうでしょう?

斎藤:今では考えられないくらいの仕事量をお願いしていましたね。

神前:劇伴が80曲で、歌ものが20曲くらいでした。

斎藤:当時は「神前暁が全部作るのが面白いんだ!」となっていたし、それも一つのネタという部分があって、演歌やファンク、戦隊モノ的な楽曲もお願いしていたのですが、ことごとく打ち返してくださって。その引き出しの多さに驚きつつ、「何を頼んでもやってくれる人」という認識になって甘えたところもありました(笑)。

神前:スタイルを模倣して作るということは得意だったので、『らき☆すた』ではそのスキルが活きました。とはいえ、制作のスピード感含め、プロの洗礼を浴びて、一皮剥けて大人になった作品でしたね。

斎藤:「もってけ!セーラーふく」に関しては、監督からのオーダーに副社長が燃え上がって「これをやろう、あれをやろう、歌詞もこういうテンションがいいだろう」と盛り上がった結果の曲ですね。いろんなところで僕があの曲の中心人物みたいに書かれていますが、当時はまだ新米プロデューサーだったので、あくまで色んな人を頑張ってまとめる人でしかありませんでした。

神前:Bメロの〈BON-BON おーえん団~〉というところで、最初は裏のシンセだったラインを、副社長が「ここを歌メロにしよう」と提案してくださって。「そういうことまでするんだ」と思ったのをはっきり覚えています。

 神前&斎藤&山内の“意外な繋がり”

山内真治氏

ーー山内さんは当時、これらの斎藤さん・神前さんによるお仕事をどう見ていましたか?

山内:当時はソニーのレーベルでアニメタイアップものをやっていたので、深夜アニメからオリコンの上位にガンガン曲が入っていく現象を、いち視聴者として「すげーな!」と思いつつ、一抹の苦々しさをもって見ていました(笑)。

斎藤:良いものを作っている自覚はありましたが、受ける受けないは世の流れですから。ただ、当時のランティス社内では「アニソンはいつ売れるかわからないから、いつ売れてもいいように必ず良いものを作りなさい」と言われていたので、それを守り続けてよかった、と思いました。それに、もともと自分は音楽家ではないので、音楽プロデューサーと言いながら、音楽を作るクリエイターが存分に力を発揮できるようにするために動く、“環境づくり屋さん”なんですよ。

ーー収録曲で紐解いていくと、ここからアニプレックスの案件が多くなってきます。斎藤さんと山内さんは元々親交があったんですか?

斎藤:現場でお会いすることはありましたが、2010年に恵比寿の料理屋さんで初めてしっかりお話しました。たしか、社長と僕と、山内さんと……。

山内:当時の上司で、のちにミュージックレインの代表になった瀬尾(勝)ですね。当時はアニプレックスがランティスのレーベルである〈GloryHeaven〉ーー茅原実里さんやGRANRODEOさんがいたレーベルの商品をディストリビューションしていて。同業他社だけど仲間という関係だったので、ご挨拶も兼ねて食事させていただいたんです。

ーー山内さんと神前さんのファーストコンタクトは?

山内:『STAR DRIVER 輝きのタクト』ですね。制作前の2010年に、当時のプロデューサーと一緒にMONACAさんへ行って、神前さんを紹介されました。J-POP系のレーベルでやっていると、アニメ系の音楽家さんとのつながりなんてなくて、字面は知っていても、当時は「こうさき さとる」って読むことすら知りませんでした。

ーー神前さんとアニプレックスの繋がりでいうと、その前に『セキレイ』と『かんなぎ』があったわけですよね。

神前:『かんなぎ』で岩上(敦宏)さんとご一緒して、その縁で『化物語』のお話をいただいたんですよ。『らき☆すた』の次の年にはもう『かんなぎ』をやってたんだ……。

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