“ボーカルの掛け持ち”が築く鮮やかなキャリア 中嶋イッキュウ、村松拓らの活躍から考える
一人のボーカルが、バンドを掛け持ちする例が増えている。要は一つのバンドの活動だけでキャリアを積んでいくのではなく、あるタイミングで別プロジェクトを立ち上げたり参加したりする人が増えているという話だ。しかも、別プロジェクトで大きな成功を収めることで、主軸にあったバンドの活動もより活性化させる、そんなハイキャリアなバンドマンが出てきている。この記事では、そのような例にスポットを当てていきたい。
最初に紹介したいのが、中嶋イッキュウだ。中嶋イッキュウはアグレッシブな変拍子と、硬派で鋭いバンドサウンドが魅力のtricotでギターボーカルを務めている。バンドサウンドが攻撃的である分、tricotで歌うときの中嶋イッキュウは、どこか張り詰めた空気を身にまとっている。低音と高音の使い分けをわかりやすく歌い、バンドサウンドのテンションと呼応させるかのような抑揚をつける。必要であれば、叫ぶように歌うこともある。その装いは、ロッカーシンガーのそれなのである。
そんな中嶋イッキュウは、2018年になると、ジェニーハイという別プロジェクトに参加する。ジェニーハイでは、基本的には楽器は弾かないで、紅一点のボーカルとしてマイクだけを握る。ジェニーハイもtricotと同じく「バンド」という体裁を取っているが、鳴らしているサウンドはロックよりもポップに傾倒している。メンバーにキーボードがいるので、鍵盤楽器が印象的な歌も多いし、グッと音数を減らしてヒップホップの雰囲気を出している歌もある。当然、イッキュウの佇まいも変わる。端的に言えば、バンドマンというよりも、女性ソロアーティスト感が強くなっている。等身大でエモーショナルに歌い上げるイッキュウの姿は鳴りを潜め、キラキラとした歌声で、キャッチーなメロディを歌う。場合によっては、セリフにも似た節回しを歌うこともある。いずれにしてもtricotのみの活動時には見せなかった歌声を披露している。
何よりも印象的なのは、ジェニーハイでの活動が、tricotの作品にも反映されているように感じるところだ。先日リリースされた『あふれる』は、tricotらしいキレのある変拍子が随所で披露されつつ、荒々しいギターの音は抑えられて、ジャケット同様に瑞々しさを感じる作品になっている。ボーカルの声を重ねることで柔らかさを演出しているし、tricotの作品としては珍しく、爽やかさを感じる仕上がりになっている。
続いて紹介したいのが、ABSTRACT MASHというバンドのボーカルであり、現在はNothing’s Carved In Stoneのギターボーカルとしても活躍する村松拓である。ABSTRACT MASHは海外の乾いた空気を感じさせるような、カラッとしたギターロックが特徴である。村松のボーカルもそんなサウンドに似合う、ややハスキーがかったエモーショナルな歌声だ。
Nothing’s Carved In StoneはABSTRACT MASHと比べると、キメを中心としたサウンドの細かさが際立つ。Nothing’s Carved In Stoneは他バンドでも活躍してきたプロフェッショナル集団でもあるため、各プレイヤーの演奏の個性が前面に出ているのだ。ギターリフはキレがあり、ベースは躍動的、ドラムはそんなバンドサウンドを巧みにまとめあげている。そして、そんなサウンドの中で村松の声が存在感を示しているわけだが、ABSTRACT MASHと比べると、表情豊かに、ややまろやかで甘い声が際立っているように感じる。
2011年に村松拓の意向で、ABSTRACT MASHは一時的に活動休止を迎えたが、休止から7年が経ったタイミングで復活を遂げた。元々、この休止期間は各々のスキルを磨くうえで設定されたもの。最初からABSTRACT MASHへの還元が念頭にあったわけだ。まだ、活動再開してから1年ほどしか経っていないが、Nothing’s Carved In Stoneを通して様々なものを吸収した村松が、今後、ABSTRACT MASHのキャリアを大きく更新していくことだろう。